国共内戦末期、共産党軍の猛攻にさらされた台湾。敗色濃厚な中、元日本陸軍中将・根本博が密かに渡台し、金門島での奇跡の逆転劇を実現。その背後には、日本人らしい覚悟と恩義がありました。

● 金門島の奇跡──台湾を救った“戦神”の登場

国共内戦で追い詰められた蒋介石の国民党軍。共産党の圧倒的な勢いの前に、台湾本島まで危うい状況にありました。そんな中、突如現れたのが元日本陸軍中将・根本博。彼は“戦神”と呼ばれた伝説の軍人です。

かつて蒙古でソ連軍を撃退し、日本人居留民を4万人以上も救出した実績を持つ根本中将。蒋介石の旧恩に報いるべく、GHQの目を逃れ、釣り竿一本で台湾に密航。その命がけの行動が、やがて歴史を変える一大作戦へとつながっていきます。

● 根本中将の作戦眼──戦場を見抜いた慧眼

当初、国民党軍は福建の商都・厦門を防衛する方針でした。しかし根本中将は、厦門は地形・補給・人口密集の面で長期防衛に向かないと判断。一方、対岸の小島・金門島こそ、持久戦が可能で戦略的拠点になりうると断言します。

彼は共産軍が海を越えて上陸する際の動線を読み切り、日本陸軍伝統の“塹壕戦術”を導入。敵を一度上陸させたうえで退路を断ち、包囲殲滅するという、苛烈ながらも精緻な作戦を展開しました。

● 二昼夜の激戦──金門島防衛戦の勝利

1949年10月24日、2万人の共産軍が金門島へ上陸。しかし彼らの船はすでに油を注がれ、退路を断たれていました。夜明けとともに国民党戦車隊が出撃し、共産軍は逃げ場を失って壊滅。

さらに根本中将は、島民の被害を最小限に抑えるため、戦車の攻撃ルートを変更し、敵を北海岸へと追い込みました。ここであらかじめ待機していた砲艇と戦車部隊が挟撃し、共産軍は完膚なきまでに殲滅されます。

共産軍の損害は死者1.4万人、捕虜6千。わずか二昼夜の戦いで台湾侵攻を食い止めたこの大勝利は、共産党の威信を揺るがし、金門島は以後70年以上、台湾領として存在し続ける結果をもたらしました。

● 名も報酬も要らず──日本人の誇りを体現した男

この大功績にもかかわらず、根本中将は一銭の報酬も受け取らず、自らの名が公式記録から消されるよう要請。すべては恩に報いるため。家族にさえ行き先を告げず「釣りに行ってくる」とだけ言い残して出発し、帰国時も釣り竿を携えて戻ったという逸話は、まさに武士の美学を体現する姿でした。

妻も娘も、その間どこに行っていたのかを一切問うことはありませんでした。そこには「信頼」と「精神的自立」による、夫婦・親子の深い絆がありました。

● いま私たちにできること──語り継ぐ勇気と使命

根本博中将のような存在を忘れず、語り継ぎ、次代に伝えることこそ、私たちの責任です。政治思想や立場を超えて、日本人としての誇りと生き方を、若い世代へと橋渡ししていきたい──。

根本博とその家族の姿を描いた映画が、いつの日か多くの人の共感を呼び、堂々と上映される日本社会であるように。私たちひとり一人が、そうした未来を担う存在でありたいと思います。