神話は歴史ではありませんが、歴史家はその神話を通して当時の人々の声を「聞き」、文献に込められた真意を探ります。古事記や日本書紀をどう読むか──それは私たちの歴史観を問う大切な作業です。

◉ 歴史学とは「過去の声を聞く」学問
歴史とは、過去に起きた事実をもとに、それを記録した人々の意図や思いを「聞く」学問です。
これは法医学と同じく、客観的事実に基づいて「亡き者の声を聞く」という、科学的な営みです。
ドラマに登場する法医学者が遺体から死因や経過を科学的に導き出すように、
歴史家も文献や証拠から過去の人々の声を読み解きます。
つまり、歴史学とは空想や思い込みではなく、「証拠に基づいた科学」です。

この立場から見ると、昨今の近代史論争、とくに日本軍の蛮行を前提とした教育や歴史観の押しつけは、
科学ではなくファンタジーにすぎません。
現場の声=当時の人々の実際の証言や記録に耳を傾けない限り、それは歴史学ではなく、
ただの小説か宗教に過ぎないのです。

◉ 神話は歴史ではないが、歴史の源でもある
「神話は歴史ではない」というのは一面の真理です。
なぜなら、神話は多くの場合、出来事の「日時」が不明瞭であり、
その点で「歴史」として扱うには難しいからです。
しかし一方で、神話が記された時代の人々が何を伝えたかったのかを読み解くなら、
神話は歴史をひもとく貴重な手がかりとなります。

たとえば『古事記』や『日本書紀』は、ただの神話集ではありません。
当時の朝廷が、意図をもって編纂した文献です。
その成立背景(『日本書紀』養老4年=720年、『古事記』は和銅5年=712年)をふまえると、
これらの書は日本の「国家としての自己定義」を記した教科書ともいえるのです。
そこに込められた先人たちの声を読み取ることは、そのまま日本文化の原点を知ることであり、同時にその後の時系列に史料のそろった歴史を紐解く本質となるのです。

◉ 文学と神学と歴史学の違い
神話を通して神様の意志を読み解こうとするのが「神学」。
神話を舞台に人間ドラマを描くのが「文学」。
そして、神話を通して「当時の人々の声」を聞こうとするのが「歴史学」です。

文学はファンタジーを含みますが、歴史学はファンタジーを排し、証拠に基づく学問です。
文学者は「思い込みの人」、歴史家は「聞く人」であり、
歴史学は文献に記された内容から、「なぜそれが書かれたのか」という背景や意図を探ります。
ゆえに歴史とは、「書いた人々の声を聞く」営みであり、
歴史書はその声を記録した貴重な手がかりとなります。

そして、神話が歴史になることはありませんが、
「神話を生んだ時代背景」と「統合した意図」は、まさに歴史そのものなのです。
だからこそ、『古事記』や『日本書紀』は我が国の貴重な歴史資料であり、
歴史家が最も耳を傾けるべき「声」が詰まっているのです。

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