1969年、学生運動の嵐の中、立命館大学で「わだつみの像」が破壊される事件が起きました。
戦没学生の手記『きけ わだつみのこえ』とともに、戦争と平和、人間の尊厳について深く考えます。
◉ 東京港の開港と社会の節目となった日
1941年5月20日、芝浦・竹芝埠頭を含む東京港が国際港として開港しました。それまで関東圏の貿易は横浜港に一極集中しており、関東大震災を契機に「港の分散化と防災」の観点から新港が求められたのです。
これは単なるインフラ整備の話ではなく、日本が災害を糧に進化してきた歴史の一断面であり、「復興と未来への備え」が日本的価値観に根差していることを象徴しています。
また、2016年5月20日には台湾で蔡英文総統が就任し、「独立か統一か」をめぐる価値観の分断が再び顕在化。そして2020年にはコロナ騒動の余波で、甲子園大会が中止となった日でもあります。
こうした「5月20日」は、政治・経済・思想の分岐点として、歴史に刻まれているのです。
◉ 「わだつみの像」誕生と破壊の悲劇
本題は1969年5月20日に起きた「わだつみの像破壊事件」。
「わだつみの像」は、戦争で亡くなった学生たちの声をまとめた名著『きけ わだつみのこえ』の出版を契機に、記念像として作られたものです。
「わだつみ」は“海の神”の意。像の設置には大きな困難が伴いました。最初は東京大学に寄贈される予定でしたが、当時の東大は学生運動への刺激を懸念して受け入れを拒否。その後、立命館大学総長・末川博氏の決断によって像は受け入れられました。
しかし、設置歓迎集会のさなかに京都大学の全共闘デモ隊が乱入。荒神橋での衝突(荒神橋事件)をきっかけに、わだつみの像は破壊されてしまいます──それはまるで、平和と尊厳の象徴が、過激なイデオロギーに踏みにじられるような出来事でした。
◉ 思想よりも、人間の命と声を──『きけ わだつみのこえ』が語るもの
わだつみの像は1976年に再建され、現在は立命館大学国際平和ミュージアムに展示されています。
その碑文には、
「未来を信じ未来に生きる。そこに青年の生命がある」
という言葉が刻まれています。これは戦争や思想を超えた、人間の本質を見つめる言葉です。
『きけ わだつみのこえ』には、最期の時を迎える戦没学生の切実な声が残されています。
たとえば、チャンギー刑務所で処刑を待つ木村久夫陸軍上等兵の手記──
飯一匙の感触、息を吸う感覚、その一瞬一瞬の“生”をかみしめる記述は、読む者の心を深く揺さぶります。
「極限まで押し詰められた人間には、涙も怒りもない。ただ、その瞬間をありがたく、あるがままに享受するだけである」
この言葉から私たちが学ぶべきは、「思想ではなく人間そのものを尊ぶ心」ではないでしょうか。
◉ 平和とは、日常を守ること──“感謝”を忘れずに生きる
戦争の時代には、食事をする、息をする、家族と話す、すべてが当たり前ではありませんでした。
現代の私たちは、それを当たり前に享受しています。それゆえに「当たり前の幸せ」にもっと感謝しなければならないと、動画では語られています。
例えば、子供の騒がしさも、夫婦のけんかも、戦時下ではあり得なかった“豊かな生活”の証です。
そして「サイレンが怖いから、音楽に変えよう」という発想も、まさに“優しい国・日本”が歩んできた平和の道を象徴しているのではないでしょうか。
「わだつみの像」が語るのは、戦争の悲劇ではなく、“平和への祈り”です。
思想ではなく、命と心に寄り添うこと。
それが、本当の意味で戦争を超えてゆくための第一歩なのかもしれません。
