戦後初のキスシーン映画とされる『はたちの青春』の背後に、GHQの「3S政策」があったことをご存知ですか?日本人の情愛表現と、占領による価値観の“上書き”を対比して解説します。
◉キスの日はつくられた?GHQと映画『はたちの青春』
1946年5月23日、戦後日本初のキスシーンを含む映画『はたちの青春』が封切られ、「キスの日」が誕生しました。主演の幾野道子と大坂志郎が交わした、わずか数秒の唇の接触が当時としては大事件。しかしこの演出の背後には、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の「演出指導」が存在しました。
GHQは、「ラブシーンにキスがないのは不自然」とし、日本の映画に“欧米的な恋愛文化”を強引に導入。映画館には連日超満員の観客が詰めかけたと報じられましたが、その多くは実際には“動員”によって作られたものでした。
◉GHQの「3S政策」と性の解放戦略
GHQは戦後日本を支配するために、「3R」「5D」「3S」という統治方針を策定。なかでも「3S政策」は、日本人の思考を政治から逸らすためのものでした。
• Screen(スクリーン):映画や娯楽に浸らせる
• Sex(セックス):性の解放で倫理観を緩める
• Sports(スポーツ):熱狂で政治意識を分散
キスの日の話題化は、この「Sex」戦略の一環でした。性に対する抵抗感を解き、快楽や感情の自由を“進歩”として刷り込む。この方針により、日本人の伝統的な「間合い」や「慎み」の文化は、次第に押し流されていくことになります。
◉日本の愛情表現は「言葉」と「間(ま)」
では、もともとの日本人は愛をどう表現していたのでしょうか?
江戸期の浮世草子『好色一代男』には「口に口を吸ひ合ふ」、また『艶道通鑑』には「口移しに酒を呑ませ」といった描写が見られます。ですが、これらは私的な性愛表現であり、公衆の場で行うものでは決してありませんでした。
さらに平安時代の『枕草子』には、
「息のにほひぞ、すべてを忘れさせ給ふやうなる」
という一節があり、息遣いの“余韻”や“気配”こそが、日本人の情愛表現だったことが読み取れます。
つまり、
• 手紙
• 香り
• 和歌
• 間(ま)と空気感
といった、五感と心の通い合いを重んじる文化が根底にあったのです。
◉自由とは何か──私たちに突きつけられた問い
キスの日は単なる記念日ではありません。それは「自由恋愛文化の始まり」ではなく、「価値観の植え替え」を象徴する出来事でした。
恋や愛は確かに自由であるべきですが、それは“心の内側”から湧き出るものであるはずです。「キスをしなさい」「恋愛はこうあるべき」と外から命じられるものではありません。
つまり、「つくられた自由」と「選び取る自由」は全く違う。
戦後の“恋愛自由”のイメージすら、仕組まれた情報戦の一端だった可能性があります。
◉まとめ:野菊のような日本人の心を思い出す
最後に語られた伊藤左千夫の『野菊の墓』や、木下恵介監督の映画『野菊の如き君なりき』の話からも、日本人が本来大切にしてきたのは、言葉にならない想い、ふとした仕草、時をかけた絆だったことが伝わります。
鶴田浩二の『傷だらけの人生』の中にある台詞
「好いた惚れたは、もともと心が決めるもの」
愛とは、目に見えるもの以上に、心で感じるものなのではないでしょうか。
キスの日は、そんな日本の情愛文化と、外から持ち込まれた“恋愛スタイル”との対比を、私たちに静かに問いかけているのかもしれません。
