本日は「時の記念日」。天智天皇による水時計の設置は、秩序ある社会を築く国家戦略の一環でした。同日に設置された高麗郡も、共生と秩序の象徴。今こそ学びたい日本の国家理念です。

◉「時間を刻む」という国家戦略──天智天皇の挑戦

671年6月10日、天智天皇が漏刻(ろうこく)と呼ばれる水時計を近江大津宮に設置しました。
これが日本で最初に「時間を共有する制度」となり、今日「時の記念日」として記念されています。

漏刻は単なる技術ではありません。
2時間ごとに鐘や太鼓を打つことで、人々が共通の「時」を持つ──つまり「秩序」が生まれたのです。

それまで日本では「お天道様が真上に来たら昼」「日没で一日が終わる」といった感覚的な時間管理が中心でした。
雨天や曇天では時間の基準が曖昧になり、集団行動が困難でした。

そこで水時計が登場します。
「時間を数える」ことで、集団行動が容易になり、国家統治にも秩序がもたらされました。

このように、天智天皇の漏刻設置は、
「技術」ではなく「文明の礎」としての意味を持っていたのです。

◉1799人の高句麗人──共生を実現した「高麗郡」

716年6月10日──この日にはもうひとつ、日本の国造りに大きな意味をもつ出来事がありました。
それが、高句麗からの渡来人1,799人を武蔵国(現在の埼玉西部・多摩地域)に移住させ、「高麗郡(こまぐん)」を設置したことです。

当時の朝鮮半島では、高句麗が唐・新羅連合軍に攻め込まれ滅亡。
多くの人々が日本へと逃れてきました。
彼らは単なる難民ではなく、当時の天皇に朝貢した記録もある「信義のある」渡来人たちでした。

朝廷は彼らにまとまった土地を与え、自給自足できる環境を整えました。
初代郡司に任じられた高麗若光(こまのじゃっこう)は、高句麗の副使であり、663年の白村江の戦い後に日本へ献上に来た人物とも言われています。

この政策に見るべきは、排除ではなく「迎え入れ」、そして「共生」の精神です。
しかも、暴動や混乱を防ぐための「秩序ある共同体づくり」もセットで実行されています。

◉時間と人の管理=秩序をつくるという思想

天智天皇が遺した「時間を刻むこと」、そして「他民族との共生」。
これら二つの出来事は、単なる歴史的偶然ではなく、国家戦略としての“秩序”の実践であったといえます。

現代のように移民や労働力不足が問題視される社会において、
ただ単に「労働力だから」「受け入れろ」と進めるのではなく、
「共生には秩序が必須」であるという考え方が必要です。

不良を取り締まるだけでなく、全体として治安と信頼を保つ社会を維持するには、
「時を守る」「ルールを共有する」という文化の下支えが不可欠です。

それは1300年以上前に、天智天皇がすでに実行していたという事実から、
現代日本もまた深く学ぶべきでしょう。

◉今日を生きる私たちへ──“ときを知り、人を活かす”という生き方

天智天皇が漏刻を設置した意味。
渡来人をただの「外国人」として扱うのではなく、「共同体の仲間」として迎え入れた意味。

この二つを同じ日に思い起こすことができる6月10日は、
単なる「時間の記念日」でも「外国人の記録」でもなく、
日本が目指してきた「共生と秩序」の原点を思い出す日ともいえるのです。

現代のように混沌とした社会状況にあって、
私たちは今こそ「覚悟をもって秩序をつくる」こと、
そして「異なる存在とどう生きるか」を問われているのかもしれません。

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