古代の傘は権威の象徴でしたが、日本では室町時代には庶民が雨傘を使い始めていました。東洋最古の雨具文化が、実は日本で花開いていたという驚きの事実を紹介します。
◉ 傘の起源は「権威の象徴」だった
傘の歴史をさかのぼると、古代エジプトやペルシャの壁画にはすでに約4,000年前から傘が描かれていました。
しかしそれは雨を防ぐための道具ではなく、王族や貴族の「身分の高さを象徴する日傘」でした。
東アジアでも同様で、例えば高句麗の壁画には、王の後ろに従者が日傘をさす姿が描かれています。
中国や朝鮮半島でも傘は王侯貴族のためのものであり、庶民には縁のない存在でした。
『日本書紀』には、西暦552年に百済から「幢幡(どうばん)」が欽明天皇に献上されたとあり、これは傘に似た荘厳具であったと考えられます。
さらに610年には、百済の僧・観勒が「傘(伞)」を日本に持参したという明確な記録が登場します。
ただし、これらも儀礼用・日傘であり、雨具としての機能はありませんでした。
◉ 雨具としての傘──和紙と油が生んだ日本独自の進化
雨具としての傘が日本に登場するのは、14世紀・室町時代からとされています。
竹骨に和紙を貼り、さらに防水のために荏胡麻油(えごまゆ)などを塗ることで、雨を弾く実用的な「天傘(あまがさ)」が誕生しました。
和紙は繊維が長く、水に強いため、油を塗っても破けにくく、非常に実用性が高かったのです。
この時代、日本ではすでに和紙や竹細工、木工技術が発達しており、庶民でも傘を使う環境が整っていました。
町人文化の興隆も相まって、雨の日にも出歩くための便利な道具として傘が受け入れられ、普及していきます。
この雨具としての傘の登場は、世界的に見ても画期的でした。
西洋では17〜18世紀頃になってようやく庶民が傘を使い始めたとされ、朝鮮半島でも「紙傘(한지우산)」が登場するのは18世紀とされています。
つまり、日本は400年も早く、庶民に雨傘を取り入れた“先進国”だったのです。
◉ 傘が語る日本の文明観──庶民を中心とした文化の証
日本では、権威のためではなく「日々の暮らしを豊かにする」ために技術や道具が発達してきました。
傘一つとってもそれがよく表れています。
雨が多く、四季の変化がある日本の気候風土に適応する中で、庶民のために「濡れない便利な道具」として雨傘が工夫されていったのです。
一方、朝鮮半島では長らく傘は身分の高い人々だけのもので、庶民は蓑(みの)や布を被って雨をしのいでいました。
ようやく17〜18世紀になって雨具としての紙傘が登場しますが、当初は中流以上の階級に限られていました。
西洋では、17世紀頃のヨーロッパの都市部で、上層階から排泄物が投げ捨てられるため、糞尿よけとして分厚い布の傘が使われ始めたという背景もあり、日本とはまったく異なる文化的発展が見られます。
つまり、雨具としての傘の普及という視点から見ても、日本は「庶民の快適な生活を支える文明」を築いてきた国だと言えるのです。
高い技術が軍事や権威のためではなく、人々の暮らしのために使われるというのは、世界的に見ても稀有な特徴です。
「傘」という何気ない道具に、こんなにも深い文明の物語があったとは…日本文化って本当に奥深いです。
次に傘をさすとき、ちょっと誇らしい気持ちになれるかもしれません。
