戸塚ヨットスクール事件をきっかけに、体罰が一律に悪とされるようになった現代。叱れない大人と育てられない社会の問題を通じて、「本当の愛とは何か?」を問い直します。

◉ 戸塚ヨットスクール事件がもたらしたもの

1983年6月13日、戸塚ヨットスクール校長・戸塚宏氏が、訓練中の事故で生徒を死なせたとして傷害致死容疑で逮捕されました。
この事件は、社会に「体罰=暴力=犯罪」という強烈な印象を与えました。
以後、教師が生徒を叱る、手を上げる、バケツを持って立たせる──かつて“当たり前”とされていた指導手法が、一斉に糾弾される風潮が広がります。

その結果、「厳しさ」は教育の現場から急速に姿を消しました。
教育における“怖さ”や“緊張感”が排除され、生徒に舐められる教師、叱ることすらできない家庭が増えていったのです。

◉ 教育の「病巣」──叱れない教師と親たち

この事件以降の社会では、「叱る=悪いこと」という風潮が蔓延し、大人が子どもに遠慮する構図が常態化しました。
教師は注意一つでPTAに責められ、親は子どもに厳しくすることで「虐待」と誤解される──。

例として、学校で生徒がノンアルコールビールを飲んでいたことを注意した教師が、逆に保護者から糾弾されたというエピソードが紹介されました。
注意された子どもたちが、
問題行動を反省するのではなく、
「叱られたこと」が“加害”とされる社会

これは教育の逆転現象であり、責任と秩序が崩壊する出発点でもあります。

また、保護者自身も、子どもの反抗期に無力化してしまい、親子の断絶が深まるケースが後を絶ちません。
叱られたことがない若者たちは、社会に出て上司に注意されると「どうして怒られるのか分からない」と感じ、職場での適応に苦しむのです。

◉ 本当の“愛”とは何か──教育に必要な厳しさ

教育の本質は「教え育む」ことにあります。
単なる知識の詰め込みではなく、礼儀や秩序、責任、そして“覚悟”を育てることです。
現代の日本は「過剰な自由」や「民主主義の誤解」によって、愛を持って叱ることさえも避けられるようになってしまいました。

もちろん暴力や虐待は許されません。
しかし、「善悪を教える厳しさ」までを否定する風潮は、子どもを“育てない”社会を生み出してしまいます。
厳しさを経験した世代は、そのバランスを知っています。次世代に正しく“痛み”を伝える責任が、いま求められています。

◉ まとめ:教育再生は“叱る勇気”から

暴力と指導の厳しさを混同してはいけません。
叱ることは相手のためであり、それを通じて「人としての強さ」「共に生きる覚悟」が育まれます。
スーパー銭湯でのマナー、子どものいじめ、学校給食のトラブル──すべては“注意されることを恐れない心”が育っていないことが根にあります。

教育の現場にも、家庭にも、社会にも、もう一度“叱る勇気”と“愛ある厳しさ”を取り戻す必要があります。
それこそが、崩れかけた日本の教育と社会を立て直す第一歩になるのではないでしょうか。

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