1897年のハワイ併合によって、太平洋の楽園ハワイ王国は滅亡しました。王族と日本との連携構想、東郷平八郎の無言の抑止、そして「アロハ・オエ」に込められた祖国への哀歌を通じて、国を守る意義を考えます。
🌺 太平洋のまほろば・ハワイに何が起きたのか
1897年6月16日、ハワイ併合条約がアメリカとハワイ間で調印されました。この条約により、かつて太平洋の楽園と呼ばれたハワイ王国はアメリカの準州となり、独立国家としての歩みを断たれました。
ハワイにはもともと倭人が暮らしていたという伝承もあり、土地は共有財産という日本古来の価値観と共通する文化が息づいていました。土地の所有概念は存在せず、木々の果実は家族ごとに割り当てられ、皆が自然と共に暮らしていたのです。
しかし、18世紀末にキャプテン・クックら欧米人が来島し、ハワイに疫病や銃火器、宗教とともに“土地の私有”という概念を持ち込みました。先住民の人口はわずか数十年で30万人から5万人台に激減し、土地の75%以上が白人所有に変わりました。
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🤝 カメハメハとカラカウア──日本との希望の連携
この危機に立ち上がったのがカメハメハ大王です。彼は欧米の脅威に立ち向かい、ハワイ諸島を統一。その孫にあたるカラカウア大王は、1881年に来日し、明治天皇との会見を実現します。
彼が日本に託した希望は5つ──
1 日本人移民の受け入れ
2 王女カイウラニと日本皇族との婚姻
3 日本とハワイの連邦化
これは、欧米の植民支配に対抗するための、東洋国家の手を結んだ未来像でもありました。しかし当時の日本はまだ明治維新から14年。国力も外交力も、米国に抗うには程遠い状況にあり、やむなくこの提案を辞退せざるを得ませんでした。
唯一、実現したのが「日本人移民」です。ハワイに渡った日本人たちは、現地で温かく迎えられつつも、白人支配層からは差別と暴力に苦しみながら、懸命に生き抜いていくことになります。
⚓ 静かなる東郷平八郎の抑止力
1893年、女王リリウオカラニが、ハワイ人に選挙権を回復しようと憲法改正を試みると、米国は軍艦ボストンをホノルルに派遣。主砲の照準は王宮に向けられ、武力による併合が迫りました。
このとき、日本政府は巡洋艦「浪速」と「金剛」を急派。艦長は若き日の東郷平八郎。日本艦はボストンの両隣に投錨し、砲口を米艦へと静かに向けました。
一言の警告も発せず、ただ隣に在る。これこそが“無言の圧力”です。暴動や略奪を抑え、市民の混乱を未然に防いだ東郷の振る舞いは、後の日本海海戦に繋がる“抑止の哲学”の原型ともいえるものでした。
🎵 アロハ・オエに込められた悲しみと教訓
ハワイ王国の滅亡とともに、王族の姪・カイウラニ王女は和服姿で日本との縁を示すも、ハワイ併合の翌年に急死。その死には不自然な影も残ります。
そして、リリウオカラニ女王が自ら作詞・作曲したのが「アロハ・オエ」──
うるわしの、ああ、まほろば
もう一度、抱きしめて
さようなら、ふるさと
“まほろば”とは、古語で「美しく住みよい理想郷」を意味します。
この旋律には、祖国を奪われた者の痛み、悔しさ、そして静かなる祈りが込められています。
🌏 日本が学ぶべき“ハワイの教訓”
ハワイの出来事は、決して遠い異国の話ではありません。
「土地の買収」「移民政策」「疫病の蔓延」「主権の空洞化」──
現代の日本も、同じ轍を踏みかねない分岐点に立っています。
国を守るとは、武器を持つことだけではありません。
文化を守ること、言葉を大切にすること、そして祖国を愛し続ける心こそが、真の“国防”です。
今こそ、アロハ・オエの歌声に耳を澄ませましょう。
「祖国を失うとはどういうことか」──
それを知ったハワイの人々の魂の歌が、いまも静かに、私たちに問いかけているのです。
王女 カイウラニ様

