1877年、モース博士が日本に初来日。
大森貝塚を発見し、日本考古学の礎を築いた彼は、明治日本の生活・文化・人情に深く感動し、それを克明に記録しました。
その記録は、私たちが忘れかけた「日本の心」を照らし出します。

🔹1. 考古学の夜明け──大森貝塚の発見

1877年6月18日、アメリカの動物学者エドワード・S・モース博士が来日。
その数日後、横浜から新橋へ向かう汽車の車窓から、東京・大森の海岸で不思議な貝殻の堆積を目にします。
それが後に「大森貝塚」と呼ばれる遺跡であり、モース主導の科学的な発掘調査は、日本における考古学の出発点となりました。

この発見は、単なる“遺跡の発見”にとどまらず、日本の古代文化への関心を大きく高め、以降、多くの日本人が考古学や民俗学へと目を向けるきっかけとなります。

🔹2. 日本文化への愛と、世界への発信

モース博士は帰国後もたびたび再来日し、日本文化への関心を深めました。
東京大学の動物学教授として教育に尽力する一方、日本の陶芸や書籍、民具、建築などを自費で購入・収集。
それらはアメリカのボストン美術館に寄託され、海外における“ジャポニズム”ブームの火付け役ともなります。

関東大震災で焼失した東大図書館のために、博士は1万2千冊以上の蔵書を寄贈。
彼の行動が、明治初期の日本の姿を現代へとつなげてくれたのです。

🔹3. 子どもたちの笑顔──失われた“日本の心”

モースが記した名著『日本その日その日(Japan Day by Day)』には、当時の日本人の姿が生き生きと描かれています。

「日本は子どもの天国である」
「子どもたちは親切にされ、自由で、礼儀正しく、幸福そうだった」
「日本人は清潔で、他者に思いやりを持つ民族である」

それは、今の私たちが忘れてしまった“当たり前”の風景。
プライバシーのなさは、思いやりと信頼の文化が成り立っていた証。
鍵のない家、互いに貸し借りする醤油、お互いを信じて暮らせる共同体──それが日本の原風景でした。

🔹4. モースの問いかけ──今こそ、日本の心を

モースの友人ビゲローは、大正時代にこう記しました。

「君と僕がかつて接した“日本人”という生き物は、絶滅しかかっている。」

私たちは今、あの頃の「心」をもう一度取り戻せるのでしょうか。
教育・地域・家庭、すべてが再び手を取り合い、子どもたちが笑顔で育つ国を目指すには──
モース博士の眼差しが、私たちに「日本をもう一度見直す」機会を与えてくれています。

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