アフリカのコンゴ王国は、欧化を受け入れた末に奴隷貿易と搾取の地となり、数百万の命が奪われました。
その歴史から、「自主独立」と「守る力」の大切さを日本の立場から深く考察します。
●欧化と裏切り──平和な王国が地獄となるまで
15世紀末、アフリカに存在したコンゴ王国は、統一された平和で豊かな国でした。
1482年にポルトガル人が来訪、当初は対等な国交が結ばれ、宣教師の受け入れや欧化政策も積極的に進められました。王子がポルトガルへ留学するなど、前向きな国際交流が行われていたのです。
しかし、その裏で進行していたのは、ポルトガルの奴隷商人たちによる“人間狩り”でした。家族が突然さらわれ、奴隷として売られるという現実が、王国の中で静かに広がっていきました。
コンゴ王の抗議は無視され、国内の秩序は崩壊。ついには武装集団ジャガ族が侵攻し、それを鎮圧するためにポルトガルへ軍事支援を要請──結果、コンゴ王国はポルトガルの属国となってしまいました。
●ベルギー支配と“手首経済”──自由国という名の地獄
19世紀後半、ベルギー国王レオポルド2世が「コンゴ自由国」を建国しますが、これは名ばかりの“私有地”。コンゴの資源を収奪するための拠点でした。
やがて自転車や自動車の普及により、ゴムの需要が爆発。ゴムの木が豊富なコンゴでは、現地民に強制労働を課し、ノルマ未達の罰として女子供の手首を切り落とすという恐ろしい制度が始まります。
いつしか「切断された手首」がノルマ達成の証拠として取引されるようになり、手首そのものが“通貨”のように扱われる悲惨な事態となったのです。
●日本はなぜ属国にならずに済んだのか?
一方、日本にも16世紀にポルトガル人が来航し、鉄砲やキリスト教が伝わりました。
しかし日本はそれを学び、わずか50年で世界最大の鉄砲保有国となり、自前の軍事力を持ちました。
そして豊臣秀吉は奴隷貿易とキリスト教を禁止し、日本人女性が奴隷として売られるのを食い止めました。
違いはどこにあったのか──それは「自前の軍事力」と「主権意識」の有無です。
日本には、国を守るという強い意志と、それを実行する力があったからこそ、属国にならずに済んだのです。
●力なき正義は、正義にあらず
コンゴは、1960年にようやく独立を果たしますが、わずか1週間で内乱が勃発し、ベルギー軍の再介入で再び混迷へ。
その後も資源をめぐる争いが絶えず、1996年以降の19年間で、なんと600万人が命を落とすことになります。
日本も、いま何を学ぶべきか?
「話し合い」や「法理」に依存しすぎてはいけません。正義を守るには、現実的な“力”が必要なのです。
自衛隊の実力は高いものの、専守防衛という“反撃しない国”である限り、日本は「ATM国家」と見なされてしまいます。
●主権と誇りを取り戻すために
私たちが日本という国に生まれた意味。
それは、先人たちが築いた「自主独立の国家」を、子や孫に手渡すことです。
それは、ただ憲法を唱えることではなく、「守る覚悟」を一人ひとりが持つことです。
過去の歴史を“他人事”として終わらせてはいけません。
「コンゴのようにならないために、何をすべきか」──
それを考えることこそ、今を生きる日本人の責任なのです。
