2016年の天皇陛下によるビデオメッセージは、憲法に抵触せずに想いを伝える、象徴天皇としての「沈黙の訴え」でした。このご発言は、現代における“象徴”の意義と制度の歪み、そして日本人が受け継ぐべき姿勢を問いかけています。
■1.玉音放送が意味するもの──「声」に託された国のかたち
2016年8月8日、平成天皇が全国民に向けて「お気持ち」を語られたビデオメッセージは、私たちの記憶に深く刻まれる出来事でした。
この「おことば」は、いわゆる玉音放送としては、終戦時・東日本大震災後につづいて、歴史上三度目のものでした。
天皇陛下が、テレビという手段を通じて、国民一人ひとりに直接語りかけられた。
それは、「権力者ではなく象徴」としての存在でありながら、時代の分岐点において、ただ沈黙するのではなく、“言葉”で“心”を届けようとされたのです。
戦争や災害と同様に、この生前退位のご意向もまた、「国のあり方」を根本から問い直す出来事だったのではないかと思います。
■2.終身制という歪みと、静かなる制度改革
天皇陛下は、あくまで制度に直接触れることを避けつつも、心からの「問いかけ」を投げかけられました。
現行の皇室典範では、「退位」に関する明確な規定がありません。即位された天皇は、崩御されるその日まで、常に天皇であり続けねばならないという「終身制」です。
けれども本来、日本の伝統において天皇は、「国家最高権威」であっても「国家最高権力者」ではなく、時としてその任を後進に譲ることもまた、伝統的な道でありました。
実際、最後の譲位は1817年の光格天皇によるもの。以来、200年にわたり制度としての「譲位」は凍結されていたのです。
平成天皇は、その歪みに対して、声を荒げるでもなく、法を無視することもなく、ただ「一人の高齢者」として、そして「象徴としての天皇」として、静かに、しかし深く、心からの訴えを発せられました。
■3.天皇陛下の信頼に応える国民でありたい
私が特に胸を打たれたのは、ビデオメッセージの中で語られたこの一節です。
「国民を思い、国民のために祈るという務めを、
人々への深い信頼と敬愛をもって成し得たことは、
幸せなことでした。」
国民を「信頼し」「敬愛してくださる」。
それは、どれほどの覚悟と慈愛が込められたお言葉でしょうか。
そして私たちは、その信頼に、応えているでしょうか?
暴力や混乱、感情的な攻撃ではなく、制度を尊重し、今あるルールの中で最善を尽くす。
それこそが、平成天皇のご姿勢が私たちに教えてくださった「日本人の道」ではないかと、私は思います。
実際に、現行制度のもとでは、天皇陛下が退位のご意向を直接“要請”することすらできません。
けれども天皇陛下は、法に触れることなく、国民の「心」に向けて語りかけられました。
そのお気持ちは、私たち一人ひとりの心に、しっかり届いたはずです。
政治が動かなくても、制度が鈍くても、
「言葉と心」──その響きによって、国を変えることはできる。
それを証明してくださったのが、この2016年のメッセージだったのではないでしょうか。
■ 結びに──私たちの責任
象徴天皇という存在は、「力」ではなく「徳」によって国を支える存在です。
平成天皇は、ご自身の行動をもって、その象徴像を現代に示されました。
今、私たちに問われているのは、
「その信頼に、どう応えていくのか」ということだと思います。
制度に不満があるなら、変えるべきは「制度」そのものであり、
それを変える責任は、今を生きる私たち自身にあります。
天皇陛下が、道を踏み外さず、苦悩の中で示された“おことば”。
その静かなメッセージに、私たちがどのように応えるのか。
それこそが、次の時代の「日本のかたち」を左右するものになると、私は感じています。
