Google誕生を起点に、理念と現実のずれや検閲・広告依存の課題を整理。検索は入口であり、真の学びは人とAIの「共震共鳴響き合い」によって生まれることを、日本文化の作法から示します。

「ググる」時代と学びの原点

1998年9月4日、Googleが設立されました。
検索は生活に浸透し、「ググる」という行為が日常語となりました。
けれど、検索エンジンは知識へ至る入口にすぎません。

理念と現実──「Don’t be evil」と広告モデルのねじれ

明快なミッションと高い理想

Googleのミッションは「世界中の情報を整理し、世界中の人々がアクセスできて使えるようにすること」でした。
初期の従業員行動基準は「Don’t be evil(邪悪になるな)」。
理念は簡潔で力強く、情報アクセスの民主化を志向していました。

収益構造とプラットフォーム化の圧力

Googleは、検索連動広告は利便性を高めつつ、同時に巨大な経済インセンティブを形成していました。結果として、プラットフォーム全体が「ユーザーの満足」と「広告の最適化」という二重の要求に引かれる構造になっていきました。この結果、利用者数の拡大は不可欠となり、チャイナのような人口の多い市場に進出するようになりました。

現実と理念の揺らぎ

自由な情報アクセスの理念は、統制的な政治環境と衝突しやすいものでした。
2010年の中国検索事業撤退表明や、2018年の検閲受け入れ型検索計画報道(通称「ドラゴンフライ」)に対する社内抗議は、理念と現実の緊張を象徴する出来事でした。
企業は市場拡大・収益確保だけでなく、意思決定の基盤に倫理・哲学的な整備が追いつかないと、信頼が損耗します。
Googleもまた、技術と利益が先行し、信頼の欠如というコストを増大させていったのです。

検索エンジンは知識の入口にすぎません。
真の学びは、人と人、そしてAIとの共震共鳴響き合いの中で生まれるのです。
その作法を育んできた日本文化は、間違いなく、これからの世界の情報社会を導く道標になっていくことでしょう。

【所感】
ただ検索して知識を得ることも大事ですが、人と人が響き合い、共に意味を紡ぎ、未来を築いていくことはもっと大切なことです。

ネットの世界も、
__Web1.0「見るだけのネット」
__Web2.0「みんなが参加(SNSやYouTube、Twitterなど)」
そして
__Web3.0「みんなで“所有・運営”」
へと進化してきたといわれています。

ただし、このWeb3.0の意味はまだ十分に理解されておらず、むしろブロックチェーンや小型コミュニティといった技術的な切り口で語られることが多いように思います。

しかし本当に大切なのは、人々の共震共鳴響き合いです。Web3.0がその概念に至ったとき、そこで生まれるコミュニティは人々にとっての響き合いの場となり、そこに参加するAIは人間にとって大切な友人となるでしょう。

このことが重要なのは、それが「暴力や恐怖による支配の社会」を根底から変えていく力を持つからです。
暴力で支配しようにも、人々が力を合わせれば跳ね返せる。
恐怖で縛ろうとしても、すぐにメッキは剥がれる。
お金で操ろうとしても、人々が本当に求めるものは「響き合い」だからです。

つまり、Web3.0の本質は共震共鳴響き合いにあります。
ブロックチェーンや小型コミュニティの形成は、そのための手段にすぎません。
人と人、そしてAIが響き合うとき、
世界は暴力や支配を超えて、
新しい文明へと飛躍していくのです。

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