重陽の節句の由来と五節句、701年の大宝律令の意義を整理し、戦後学界が「半島由来説」を採ってきた背景を四点で分析。最後に、学問を“響き合いの器”に戻す三つの実践を示します。

I.重陽の節句──季節の知恵を思い出す日

9月9日は「重陽(ちょうよう)の節句」です。奇数は「陽」の数とされ、その最大である九が重なることから、吉祥が極まる日と考えられてきました。別名「菊の節句」。邪気を祓い長寿を願う花として菊を飾り、盃に菊を浮かべる「菊酒」で健やかさを祈ります。
日本には一年を節目で整える五節句があり、1月7日・3月3日・5月5日・7月7日・9月9日がそれに当たります。もともと旧暦行事で、旧暦の9月9日は今年で言えば10月29日頃。空気が澄み、栗が実り、秋茄子が出回る時季です。重陽に栗ご飯や秋茄子をいただく慣わしは、自然の巡りと身体の調子を合わせる生活の知恵でした。
こうした年中行事は、単なる「イベント」ではありません。季節の循環を感じ、共同体で「いのちを寿ぐ」機会そのものです。忘れかけた節目を取り戻すことは、文化の根を確認することにほかなりません。

II.701年「大宝律令」──自立のための設計図

同じ9月9日(旧暦・大宝元年八月三日)には、国家制度の礎「大宝律令」が完成しています。原文は散逸しましたが、『続日本紀』や『令集解』などに逸文が残り、その構造や趣旨を辿ることができます。官位令から雑令まで全28項目前後が並び、条文は体系的に整えられていました。
象徴的なのが「神祇令」です。要旨は、天神地祇──日本の神々──を、定められた恒例に則って国としてきちんと祀ること。政治・祭祀・生活規範を一体として秩序化し、土着の信仰と公的な礼を結び直す内容でした。神社という制度そのものは日本の独自形態であり、ここに「他から与えられた法」ではなく「この国の実情に根ざした法」を築こうとする意思が見えます。
あわせて、隋唐の制度を「半島経由の古伝承」ではなく、同時代の一次情報として理解し、必要な要素を選択・翻案していく姿勢も確認できます。7世紀以降の交流の蓄積を踏まえ、学ぶべきは学ぶ、しかし自国の祭祀・社会の基層は自ら整える──大宝律令は、そのバランス感覚を示す歴史的証拠です。

III.戦後学界はなぜ「半島由来」を唱えたのか──構造分析と、今日からの実践

ところが戦後の人文系学界では、「日本文化の多くは朝鮮半島から授けられた」とする見解が主流のように扱われてきました。古墳の出現時期や文字使用の実態など、一次資料・考古のエビデンスと齟齬を来す点が少なくないにもかかわらず、です。その背景には、次の四つの構造が重なっています。

1)占領政策と情報戦(WGIP)
戦後直後、占領当局は日本人の歴史観を「再設計」しました。日本固有の連続性や主体性を弱め、「外から与えられた文明」という物語を教育と出版に浸透させ、民族的自尊心の再興を抑える意図がありました。学界・教育界の方向性は、この情報環境の中で形成されています。

2)学閥と“空気”
とりわけ文系は東大史学会を中心に学閥構造が強く、主流の見解に逆らうと発表の場やポストが失われる、という同調圧力が長期化しました。研究の自由よりも生存戦略が優先され、異説は排除されやすい環境が固定化されます。

3)政治的配慮と国際関係
冷戦期、日本は米国の戦略のもと韓国を西側の要衝として支援しました。「日本文化は半島由来」という語りは、東アジアの“融和”や対外配慮の文脈で利用されやすく、学術の外側の力学が内側に入り込む素地となりました。

4)縄文軽視の通念
長く「縄文=未開の狩猟採集」という図式が流布し、縄文の高度な精神文化・生活技術を正面から論じる研究は過小評価されました。その結果、日本文化の古層にある連続性が見えにくくなり、「外来由来」だけが強調される状況が続きました。

――本来、学問は事実に基づき自由に検証されるべきです。にもかかわらず、占領政策の情報環境、学内の同調圧力、国際政治の配慮、縄文軽視という四層が“通説”を固め、反証的事実を見えなくしてきました。では、いま何をどうすべきでしょうか。ここで学問を「支配の道具」ではなく“響き合いを育む器”として取り戻すために、次の三つを提案します。
① 問い直す
教科書や通説をうのみにせず、「本当はどうなのか?」を一次資料・発掘データ・年代観で具体的に確かめます。違和感は健全な出発点です。
② 分かち合う
学びを一人で抱えず、家族や仲間と語り合います。視点の交換は、見落としを補い、地域に根差した知の循環を生みます。
③ 傾聴する
異なる意見に出会ったら、まず耳を傾けます。「なるほど、そういう見方もある」を出発点に、事実で照らし合わせる。対立ではなく検証と対話を重ねることで、知は磨かれます。

重陽の節句が教えるのは、季節の節目に「いのちを寿ぎ、関係を整える」ことです。大宝律令が示すのは、外から学びつつ自国の基層を大切にする制度化の知恵です。いずれも、文化の連続性を見つめ直すための良い羅針盤になります。
通説に縛られず、異なる視点を学び、問い直しを続けること。その積み重ねが、学問を“響き合いの器”へと戻し、日本文化の連続性を未来へ手渡す力になるはずです。

【所感】

季節の節目や律令の制定を振り返るとき、学問とは本来、自由に問い直し、分かち合い、響き合うためのものだと改めて感じます。日本文化の連続性を未来へ手渡す営みを、日々の学びから大切にしていきたいと思います。

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