古事記の黄泉の国からお帰りになられたイザナギ大神が、竺紫(つくし)の日向(ひむか)の橘小門(たちばなのおど)の阿波岐(あはき)原で、禊祓(みそぎはらひ)をされた後に、天照大御神、月読命、須佐之男命の三貴神をお生みになられるシーンに、面白い記述があります。
イザナギ大神が天照大御神に、首に付けた玉の緒を天照大御神にお授けになられるのですが、そこに「もゆらにとりて揺らかして」と言う記述があるのです。

かくていざなき みことには   此時伊耶那岐命
いたくよろこび のらさくは   大歓喜詔
あはみこうみて うみのはて   「吾者生生子而於生終
みつのたふとき こをえたり    得三貴子」
かくてみくびの たまのおを   即其御首珠之玉緖
もゆらにとりて ゆらかして   母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而
あまてるかみに たまひては   賜天照大御神而詔之
いましみことは たかまはら   「汝命者所知高天原矣」
ところしらせと ことよさむ   事依而賜也

首に付けた玉の緒とは「魂(たましい)の緒」のことを言います。
人は「霊(ひ)を止(と)めた存在」であり、だから「霊止(ひと)」です。
霊(火)は、緒紐(おひも)で肉体と繋がっています。
これは胎児が母体とつながるへその緒と同じです。
つまりイザナギの大神は、娘の天照大御神に、男性神としての御霊(みたま)をお授けになられたというわけです。

そしてここに、

 もゆらにとりて ゆらかして
(母由良迩(此四字以音下効此)取由良迦志而)

という記述があります。
「母由良迩(もゆらに)」には、続けて「此四字以音、下効此(この四字は音(こえ)を用いる。下はこれにならふ)」とありますから、ここは漢字そのものに意味がありません。
ですから大和言葉で解釈することになります。

その場合、「も」は「面(も)」です。
「ゆら」は「万葉集の2065番に「足玉も手玉もゆらに織るはたを」という歌があり、これは物が触れ合って音が鳴ること、つまり「揺れる」ことです。
つまり「もゆらに」は、「首につけた勾玉を、カラカラと音を立てて揺らしながら、顔から外した」という様子です。

続く「ゆらかし」は、原文では「由良迦志」です。
「ゆら」は上と同義です。
「迦志(かし)」の「迦」は、釈迦という言葉があるように、「力と出会う、めぐりあう」といった意味で、
「志」は「こころに誓う」ことを意味します。
つまり「由良釈志(ゆらかし)」は、「揺らしながら、心の力を込めた」という意味になります。

つまりイザナギの大神は、首から大切な魂を外して、その魂の緒紐を天照大御神様にお授けになられたときに、その魂をわざわざ揺らしながら、天照大御神さまにお授けになったと書いているわけです。

普通、相手にものを渡すときは、相手が受け取りやすいように、素直に渡します。
ところがイザナギの大神は、わざわざ揺らしながら、娘に授けられたのです。

ここに大切なメッセージがあります。

イザナギの大神の御霊(みたま)とは、「言葉では言い尽くせないほど大切なもの」です。
なにしろ自分の魂なのです。
大切なことは言うまでもありません。
そしてその大切なものが、実は常に「ゆらゆらと揺れている」と古事記は伝えているのです。

なんでもそうですが、すべてのことには「ゆらぎ」があります。
西洋的なものの考え方では、何につけても敵か味方か、白か黒か、○か×か、陽か陰か、正しいか正しくないかなどと、ものごとを2つに分けたがります。
その方が、はっきりするし、なんだか理知的な感じがしたりもします。
けれど、それは錯覚に過ぎないのです。

1+1は2になる。
それが西洋的数学です。
けれど現実を見てください。
1+1が3になったり4になったり、ときには限りなくゼロに近づいたりします。
純粋な1などないし、1が純粋な1でないなら、1+1の答えは、もしかすると、1.3かもしれないのです。
これが古代から続く日本人の日本的思考です。

縄文時代、日本では1万4千年の長きにわたり、人が人を殺すという文化を持ちませんでした。
これが世界史的に見ても、実に画期的であることはいうまでもありませんが、でも考えてみてください。
人と人とが暮らすとき、争いがない、なんてことはないのです。
早い話、どんなに大好きな恋人同士でも、長く付き合っていれば、絶対に喧嘩しています。

にもかかわらず縄文人が、争いのない社会を築くことができたのは、どうしてでしょうか。
それが「揺らぎ」の考え方です。
ものごとには、常に揺らぎがある。
いちばんたいせつなものには、必ず揺らぎがある。
白か黒かの二者択一ではなく、実は白黒どちらともつかない、グレーの部分が一番多かったりする。
そこに真実がある。

このことは、現実世界の決断に際しても重要な意味を持ちます。
A案とB案が対立する。
どちらが正しいのか、激論となる。
それが間違いのもとだ、と古事記は、これを日本古来の知恵として書いているのです。

A案B案が対立しているのなら、その中間に真実がある。
互いに対立するのではなく、揺らぎがあることを自覚する。

男と女と同じです。
男女は、精神も肉体も全く異なる存在です。
男は結論を求めるし、女は共感を求めます。
男の肉体は強い筋力で生存を図ろうとするけれど、女性の肉体は栄養を溜めることで長期間の生存を図ります。

そんな異なる男女が出会うと、何が起きるかというと、子が生まれます。
そして子は、父とも母とも違う存在です。

これが答えです。
大切なことには揺らぎがあり、異なるものが出会うとき、そこに新たな真実が生まれるのです。

こうした考え方が縄文人たちの社会常識であれば、争いや対立が起きれば、
じゃあ、どうしたら良いか、一緒に考えよう、解決しようという動きになったであろうことは容易に想像がつくことです。

明治の初め、西洋の武力支配の構造に出会った日本は、たいへんな努力をし、多くの命と引き換えに、我が国の独立自尊と、上に述べた和の文化、結びの文化を守り抜く努力をしました。
戦後の占領政策の影響で、9割の日本人が、そうした日本文化の深みを知らず、ただいたずらに欧米礼賛の植民地奴隷、拝金奴隷となりました。
現代日本におけるうつ病の蔓延も、原因を探れば、ここにたどり着きます。

逆に言えば、日本人の心のなかには、いまでも洋風化されていない、植民地支配されていない自立自存の魂が完全には失われていないといえます。

日本は、文化の面において、西欧よりも最低でも千年進んだ文化を持っていたのです。
わたしたちに必要なことは、西欧の文化も取り入れながら、日本古来の古くて新しい先進性を取り戻すことにあります。

まさに「もゆらに揺らかして」なのです。

※この記事は2022年10月のねずブロ記事のリニューアルです。

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です