
はじめに|「旦那がお金を管理させてくれない」背景とは
「旦那がお金を管理させてくれない」と感じるとき、その裏には現代の夫婦関係だけではなく、日本社会が長い歴史の中で築いてきた財産観や制度の変化が影響しています。
実は、日本語で夫を「主人」と呼ぶ場合、この「主人」という言葉は、西洋的な意味での「所有者」や「支配者」ではありません。
もともとは「家」という組織の代表者を指す言葉で、 会社における社長と同じ感覚でした。
この背景には、大化の改新の時代にまでさかのぼる「戸主」制度が存在します。
長く続いた 日本の伝統的な財産管理の仕組みは、明治時代の民法改正や戦後の制度変更を経て、大きく形を変えてきました。
つまり、「旦那がお金を管理させてくれない」という現象は、単なる夫婦間の性格や価値観 の違いだけでなく、日本の制度史全体と深くつながっているのです。
夫を「主人」と呼ぶ言葉の本来の意味
「主人」という言葉は、現代では「一家の支配者」や「お金を握る人」というイメージで捉えられがちですが、本来はそうではありません。
日本では 1200 年以上の長きにわたり、「家」を一つの法人のように捉える考え方が根付いていました。
その「家」の代表者が「戸主」であり、「主人」とはその法人の代表という意味だったのです。
会社の社長が会社の所有者ではなく、あくまで代表者であるのと同じように、昔の「主人」 も家の財産を個人的に所有する立場ではありませんでした。
この時代、家の財産は旦那のものでも奥さんのものでもなく、「家」の共有財産として扱われていたのです。
支配者ではなく「家」という法人の代表者
大化の改新で誕生した「戸主」制度では、家の財産を統括管理する責任者として戸主が存在しましたが、それはあくまで代表者という役割でした。
財産の管理は多くの場合、奥さんが担っており、旦那は家という法人の内部で発生する責任を負う立場にありました。
そのため、奥さんは「かみ(神)さん」や「よ(良)め(女)さん」と呼ばれ、財産管理の主役だったのです。
旦那はあくまで家を代表する人物として「主人」と呼ばれていましたが、 そこに支配や所有の意味はありませんでした。
こうした歴史を知ると、「旦那がお金を管理させてくれない」という現代の現象は、かつての日本の伝統的な価値観から大きく変化した結果であることが見えてきます。
日本の財産管理の歴史
大化の改新と「戸主」制度の誕生
時代は大化の改新にまでさかのぼります。
第 36 代孝徳天皇の時代に導入された「戸主(こしゅ)」制度では、家を一つの法人と見なし、その代表者を「戸主」としました。
この制度のもとでは、家の財産はあくまで「家」という法人のものとされ、戸主個人の所有物ではありませんでした。
戸主は財産を守り、適切に管理する統括責任者という立場だった のです。
1200 年以上続いた「家の財産」という考え方
この「家」の財産という考え方は、1200 年以上も続きました。
土地や家屋、その他の資産 は、家に属する全員の共有財産であり、個人の勝手な所有や売買はできませんでした。
例えば 300 坪の土地があれば、それは家族全員の財産として受け継がれ、みんなで守る対 象だったのです。
奥さんが財産管理を担っていた時代
興味深いのは、財産の具体的な管理を多くの場合、奥さんが行っていたことです。
旦那は「家」という法人の代表者であり、外との交渉や責任を負う立場にいましたが、日々の出納や資産のやりくりは奥さんの役割でした。
そのため、奥さんは「家の神様」=「かみさん」と呼ばれ、家計の中心的存在として尊重されていたのです。
明治民法と家長制度の登場
家の財産が「家長=年長男性」の個人財産に
明治に入り、急速に西洋化が進む中で、法律の仕組みも大きく変化しました。
明治 31 年(1898 年)に制定された明治民法では、それまで「家の財産」とされていたものが「家長の財産」として扱われるようになったのです。
そして家長とは、家族の中で一番年長の男性とされ、家の資産はすべてその人物の個人財産 とみなされました。
これにより、1200 年以上続いてきた「共有財産としての家」という形は大きく崩れました。
「家長」の役割と財産の私有化
この制度の下では、300 坪の土地があれば、それは家族全員のものではなく、家長の所有物 となります。
家長はその財産を自由に処分でき、他の家族は口出しできない立場になりました。
つまり、家族の誰であっても家長の意向に従わざるを得ない構造ができあがり、「旦那がお金を管理させてくれない」という状況の原型が、この時代に形成されたのです。
戦後民法での大きな転換
「家の財産」から「個人の財産」へ
第二次世界大戦後、日本の民法は大きく改正され、家制度そのものが廃止されました。
この結果、「家の財産」という概念は消え、すべてが「個人の財産」という考え方に変わりました。
夫婦であっても、親子であっても、法的にはそれぞれの財産は個別に所有されることになります。
夫婦・親子でも別々の所有権
戦後の制度では、同じ家に住んでいても、登記や契約の名義人が誰かによって、その財産の所有権が決まります。
例えば 300 坪の土地があれば、登記上の所有者である配偶者か世帯主のどちらか個人のものとされ、共有という形は特別な契約を結ばない限り認められません。
これにより、かつてのように奥さんが家全体の財産を管理する仕組みは薄れ、逆に旦那が単独でお金や財産を管理するケースが増えていきました。
こうした制度の変化が、「旦那がお金を管理させてくれない」という現代の悩みにもつながっているのです。
財産管理の形が暮らしに与える影響
共有財産の時代:みんなで守る安心感
大化の改新から明治以前までの日本では、家の財産は「家」に属する全員のものでした。
土地や建物、収穫物などは、家族や同居人全員で共有し、みんながその維持や活用に関わっていました。
この仕組みでは、一人の利益よりも家全体の繁栄が優先され、安心感と安定した暮らしが生まれていました。
例えば 300 坪の土地が共有財産であれば、誰もが大切に扱い、長期的な目で守ろうとします。
個人所有の時代:格差と依存の拡大
一方、明治以降の個人所有制度では、財産は名義人一人のものとなります。
このため、財産の使い方や管理方法はすべて所有者の意思に左右され、他の家族は関与できません。
結果として、一部の人が莫大な財産を持ち、それに依存して生きる人が増え、経済的な格差や家族間の力関係の偏りが生まれました。
「旦那がお金を管理させてくれない」という状況は、この個人所有の文化の中で強まりやす くなったと言えます。
現代社会とこれからの方向性
グローバル資本主義と新しいコミュニティ
現代は、一部の大資産家や企業が莫大な財産を保有し、その影響力が世界規模に及ぶ「グロ ーバル資本主義」の時代です。
この構造の中では、資産が限られた人々の手に集中し、多くの人がその恩恵やおこぼれを求めて依存するという関係が生まれています。
しかし、そのような体制は非常に脆く、例えば太陽フレアなどの自然現象で電子機器が機能 停止すれば、一気に崩壊してしまう可能性があります。
一方で、このような世界情勢の中でも、日本型の価値観に近い「財産を共有し、みんなで守る」新しいコミュニティが各地で生まれ始めています。
これはかつての「家」のあり方を現代的にアレンジしたもので、個人よりも共同体の安定や 持続性を重視する動きです。
日本型の「共有と安心」を取り戻す可能性
古来の日本では、家の財産は個人ではなく共同体のものであり、それを管理する役割を担う人が尊敬されていました。
現代の夫婦関係や財産管理のあり方においても、この考え方を応用すれば、「旦那がお金を管理させてくれない」という対立構造を和らげられる可能性があります。
夫婦のどちらが管理するかではなく、「家族全員でどう使い、どう守るか」という発想を持つことで、安心感と信頼関係が生まれるのです。
おわりに|「旦那がお金を管理させてくれない」問題の本質
「旦那がお金を管理させてくれない」という現代の悩みは、単なる夫婦間の性格や信頼の問 題にとどまりません。
そこには、日本社会が長い歴史の中で培ってきた「家」という共同体の概念が、明治以降の 個人所有制度によって大きく変化してきた背景があります。
かつての日本では、家の財産は夫婦や家族全員の共有財産であり、その管理は多くの場合、 奥さんが担っていました。
しかし明治民法による家長制度の導入、そして戦後民法の改正により、財産は完全に個人所有のものとされるようになりました。
この制度的変化が、夫が単独で財産を管理する構造を作り出し、「管理させてもらえない」 という現象を生み出しています。
本来の「家」という考え方に立ち返れば、お金や財産は誰か一人のものではなく、家族全員で守り育てるべきものです。
夫婦間での財産管理のあり方を見直し、共同体としての家族の価値を再び意識することこそ、この問題の根本的な解決への第一歩となるでしょう。
お知らせ
この記事は2024/05/16投稿『家族制度の変遷に見る世界の形、日本の形』のリニューアル版です。
