
修身と道徳――「よい日本人」とは何か
1.はじめに
まず一つの短文をご紹介します。これは、尋常小学校三年生の修身教科書の末尾に記された「よい日本人」という一文です。仮名遣いや漢字は現代向けに少し改めていますが、内容はそのままです。
よい日本人となるには、
いつも天皇陛下・皇后陛下の御徳を仰ぎ、皇大神宮を敬い、忠君愛国の心を養わなければなりません。
父母に孝行をつくし、先生を敬い、学校を愛し、友と仲良く助け合い、近所の人には親切にすることが大切です。
心を正直に保ち、家でも外でも行儀よくし、堪忍を忘れず、人と協同して助け合う。倹約を守り、慈善の心を持ち、人の苦しみを救い、生き物をいたわる優しい心がけも必要です。
恩を忘れず、規則を守り、人に迷惑をかけず、世の人々のために公益をはかる。
体を健やかに保ち、学問や仕事に励み、整理整頓をし、心を落ち着け、いざという時には勇気を発揮できるよう普段から備えること。
こうして身を慎み、人とよく交わり、世のため人のために尽くし、天皇陛下にお仕えすることが、よい日本人となる心得です。そして、それらはすべて真心から行わなければなりません。
2.修身教育の背景
この文章が教えられていたのは、小学三年生です。尋常小学校の修身教科書は「巻一・巻二・巻三」と巻数で分けられ、学年ごとではありません。なぜなら当時は「飛び級」があり、優秀な子はどんどん先へ進むことができたからです。
また、当時の学校は一つの教室で複数学年が共に学ぶことも多く、上級生が下級生の面倒を見ることは当然の務めでした。薩摩の郷中教育や会津の什教育も、その延長線上にある仕組みです。社会に出れば年齢で区切られることはなく、異なる世代が一つの場で責任を担います。その予行演習としての教育が、修身の場にあったのです。
3.「平均」を狙う教育の限界
学力は正規分布を描くため、平均に合わせた授業はトップ層にとっては退屈で、下位層には難しすぎて理解できません。だからこそ、上位の子には先の学習を、下位の子には基礎から丁寧に学ばせる「飛び級」や「複合教育」が大切でした。
算数や数学のような積み上げ科目にとって、この方法はとりわけ有効です。こうした教育は本来、日本が戦前まで世界をリードしていたものであり、戦後にGHQによって破壊されてしまったのです。
4.修身と道徳の違い
「道徳」とは「徳の道」を意味します。「徳」という漢字の旧字は「彳+悳」であり、行人偏は「行く」という意味、「悳」は「まっすぐな心」を表します。つまり「徳」とは「真っすぐな心で進むこと」を意味するのです。したがって「道徳」とは「真っすぐな心で進む道」となります。
そうであれば、道徳教育の本来の眼目は「真っすぐな心とは何か」「どうすれば真っすぐに生きられるのか」を子どもたちに示すことにあります。つまり道徳教育とは「これが真っすぐな道なんだよ」と価値を示すものです。
一方、修身教育は違います。修身とは「我が身を修める」こと。具体的な事例や考え方を手がかりに、自分で自らの身を律する方法を見つけ出すことを目的とします。
- 道徳 … 「真っすぐな道」を示す教育。
- 修身 … 「身を修めるヒント」を与える教育。
つまり、道徳は価値を示し、修身は自己修養の実践を促す。目的そのものが異なるのです。
戦後、GHQは修身教育を廃止させ、日本政府もその復活を拒みました。代わりに導入されたのが道徳教育です。ではなぜ道徳教育は許され、修身は排除されたのでしょうか。それは両者が似て非なるものであったからです。
修身教育は「自ら考え、行動できる人間」を育てますが、道徳教育は「これが正しい道です」と一方向に示すだけです。ところが、誰もが共通に歩める「一つの正しい道」など存在しません。道徳教育が抱えるこの矛盾こそ、戦後教育の限界であり、いま改めて考え直すべき課題なのです。
5.「価値観の押しつけ」か?
「修身教育は価値観の押しつけだ」という批判もあります。しかし、実際に書かれている内容は「親を敬い、先生を尊び、友人と仲良く、社会に尽くす」といった、人として当たり前のことばかりです。
修身は道徳と少し違います。道徳が「正しい道を示す」なら、修身は「どう身を修めるか」を教える学びです。つまり、自分の個性をどう生かすかを方向づける教育でした。
6.「よい日本人」の意味
冒頭に「天皇皇后両陛下を敬え」とあります。日本は二千年以上の歴史を持つ世界最古の君主国であり、天皇は権力を持たず民を「おほみたから」とされる存在です。このことが「民衆の権力からの自由」を守ってきました。
また、「祝日の由来を知れ」「国旗を大切にせよ」といった教えも、日本人としての基本です。親を敬い、先生を尊び、隣人に親切にすることも社会を健全にする礎です。その逆を良しとする社会が成り立つでしょうか。
おわりに
「よい日本人」とは決して特別なことではなく、人としての当たり前を真心から実践することです。あたりまえのことを日々積み重ねることは容易ではありません。しかし、それこそが修身教育の目的であり、日本社会を支えてきた根幹でもあります。教育の目的であり、日本社会を支えてきた根幹でもあります。
所感
現代の教育現場では、学級崩壊やいじめ、不登校、学力格差といった問題が繰り返し報じられています。これは単に制度や方法論の問題ではなく、「どう生きるか」という根本を子どもたちに示す教育が欠けていることと無関係ではありません。
かつての修身教育は、押しつけではなく、子どもたちに「自ら身を修める」視点を与え、社会の中で人として生きる力を育んでいました。いま改めて、こうした視点を取り戻さなければ、教育の土台そのものが揺らぎ続けるのではないでしょうか。
お知らせ
この記事は2024/09/11投稿『修身教科書に学ぶよい日本人』のリニューアル版です。
