
小倉山と藤原忠平の歌
京都・嵐山の北側、大堰川(桂川)のほとりに「小倉山」という、まるでおまんじゅうのように丸い山があります。古来、紅葉の名所として知られ、『小倉百人一首』の名は、藤原定家がこの山荘で歌を選んだことに由来します。
その百人一首の中に、藤原忠平(880–949)の歌があります。
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
いまひとたびの みゆき待たなむ
この歌を詠んだ忠平は、のちに関白太政大臣にまで昇りつめ、藤原氏繁栄の基礎を築いた人物で、没後「貞信公(ていしんこう)」の諡を贈られました。
詞書にはこうあります。
「宇多上皇が大堰川に遊ばれたとき、小倉山の紅葉を見て『わが子の醍醐天皇にも見せたい』と仰せられ、その思いを忠平が歌に託して奏上した。」
紅葉を待たせる歌の意味
解説書の中には「紅葉を擬人化している点が趣深い」とするものもあります。けれど擬人法は古代から日本文学に息づく表現であり、特別新しいものではありません。大切なのは「なぜ天皇に紅葉を見せたいと思ったのか」という点です。
宇多上皇は、かつて自ら天皇として政務にあたった経験を持ちます。その忙しさを知るからこそ、子である醍醐天皇に「せめて小倉山の紅葉を」と願ったのです。そして忠平は、大臣として天皇の公務を調整する立場から「紅葉よ、どうか散らずに待っていてくれ」と歌に込めました。
天皇のご公務の重さ
実際、天皇には休日がありません。一年365日、平均して一日に5〜6件の御公務があり、年間の総数は2000件を超えます。国の行事から祭祀、外交、研究まで、その内容は国運を左右する重大な務めです。
風邪をひいても休めず、プライバシーもなく、常に国民のために心身を尽くすのが天皇の役割です。それは醍醐天皇の時代も、昭和天皇の時代も、そして今上陛下の時代も変わりません。
それだけ厳しい務めを担いながらも、日本の天皇は「立法・行政・司法」いわゆる三権を持たず、政治権力からは切り離されています。だからこそ、紅葉を愛でる余裕すら持てないのです。
歌がもたらした変化
忠平の一首のあと、実際に小倉山での紅葉狩りが天皇の行幸として恒例となりました。つまり「公務に紅葉を伴わせる」仕組みを作ったのです。
この形は現代にも続いています。昭和天皇が戦後の焼け野原を全国行幸されたこと、今上陛下が被災地に足を運ばれること――いずれも現地に書類を持ち込み、公務と慰問を両立させる工夫がなされてきました。
歌に込められた真心
忠平の歌は単なる擬人法の技巧ではありません。
それは「多忙な御公務にある天皇に、せめて紅葉の美を味わっていただきたい」という上皇の親心と、その思いを支える忠平の真心が込められた歌でした。
だからこそ、この歌は千年の時を越えて今も人々に愛されているのです。
美しい紅葉とともに、日本という国の在り方――「権力を持たずとも国民に寄り添い続ける天皇」という姿を、私たちに示し続けています。
お知らせ
この記事は2021/09/27投稿『天皇のご公務と藤原忠平』のリニューアル版です。
