「8月革命説」なるものがあります。
日本国は、昭和20年8月の終戦により革命が起こり、大日本帝国が滅んで新たに日本国が誕生したとする説で、戦後、元立教大学法学部教授で、後に東京大学名誉教授となった憲法学者の宮澤俊義教授らによって提唱された説です。
この説では、日本は、昭和22年に憲法を制定し、昭和27年の主権回復の日をもって、独立国となった・・・とします。
この説によれば、韓国が成立したのが昭和23年、中華人民共和国が昭和24年ですから、日本のほうが後に出来た新興国、ということになります。

一方、日本は神武創業以来、2683年の歴史を持つ世界最古の国だという説があります。
多くの保守系の先生方は、この立場を取り、8月革命説を否定します。
あるいは近年に至り、日本は1万7千年前の縄文時代から続く世界最古の国だという説があります。
あるいはもっと古く、3万8千年前から存続する世界最古の国だという説もあります。

けれども8月革命説を信奉する人たちは、そうした考えを一笑します。
あくまで戦後日本は、新興国にすぎないという立場をとるからです。

では、本当のところ、日本は世界最古の国なのでしょうか。
それとも新興国なのでしょうか。

実は、「どちらも正しい」というのが正解です。

国という概念は、日本語では日本国全体を意味する場合もあれば、出雲の国とか尾張国といったように、旧行政区分の県を意味する場合にも使われます。
旧行政区分を国と表現する場合、ここでいう国とは、行政単位を含む政治的組織を意味します。
たとえば江戸時代、全国は諸藩に別れ、それぞれの国に大名がいて、自治を行っていました。
そして日本全体のことは「天下」と呼んでいました。
「天下」というのは、「アメの下」という意味で、天朝様、つまり天皇の知らす国全体を表す言葉です。
天皇の知らす国以外の外国を含めた地球全体の諸国を含む場合は、それを「世界」と呼んでいます。

つまりもともとの日本語では、
「国」・・幕府の直轄地と諸藩。都道府県の旧行政単位。
「天下」・天皇の知らす国全部。
「世界」・地球上の諸国。
というように区別して考えられていたわけです。

そしてこのことは、実は英語も同じです。
英語では、
ワールド(World)=世界全体
ネイション(Nation)=文化的、言語的、民族的な結びつきを持つ人々の集団(天下)
ステイト(State)=国家、政府、行政組織などの政治的組織(幕府及び諸藩)
と区別されます。

従って、8月革命説が説いているのは、あくまで我が国の政治的組織としての「国」、すなわちステイトのことですから、それはそれで正しい理解と呼ぶことができます。
一方、日本が縄文以来、あるいは神武創業以来の古い国という見方は、これは我が国をネイションとして見ている見方であるといえます。そしてこれもまた正しい見方です。

つまり、8月革命説も、縄文以来・神武創業以来という見方も、物事の別の面を説いているのであって、考え方としては両方正しいのです。

そしてここからが大事なことですが、なるほど日本は戦後に占領を受け、憲法を新設し、独立国であることを世界から承認されるようになりましたが、その戦後の政治的組織は、果たして国民のためになっているのだろうかという疑問があります。

かつての地球上では、諸国は王国であり、王国は王ひとりのために存在し、王の意思次第で国民は戦争に駆り出されたり、あるいは戦いに破れて王国の民、とりわけ女性たちが強姦等の被害に遭い、これによって双方の国の血が混じりあって新たな大きな王国が形成されるといったことが行われてきました。

けれどそれではいけないということになって、国は「国民の国民による国民のための政治」が行われるようにと、様々な工夫や改善が行われ、ときに国家そのものが転覆されたりしてきたというのが、世界の歴史です。

そしてこうした理解の上にたって日本を見ると、日本は歴史を通じて国民を「おほみたから」とし、政治権力は、どこまでも天皇の「おほみたから」である国民が豊かに安全に安心して暮らせるようにしてきたという国柄を持ちます。
その日本が、明治以降、とりわけ戦後においては、西欧諸国に倣って国の政治制度を導入してきたわけですが、その結果、現在、世界においても、また日本においても、一部の富裕層が利益を得るために、国民がただ働きアリとして使役され、その富がひたすら吸い上げられ続けるという、怪しげな政治的組織になってしまっている現状が生まれています。

とりわけこの30年間の日本は、経済成長そのものが停滞する中で、諸税を含む国民の負担ばかりが増えている状況に加え、ついにはLGBT法のような意味不明の法律まで制定される有様です。
その一方で、日本人そのものや、日本の文化性に関しては、いまなお世界から絶賛を浴びているという現実があります。

ということは、現下の日本は、古くからの文化(つまりネイション)としては、世界最高峰の素晴らしいものを持ちながら、政治的組織(つまりステイト)は、最低の機構になっているという、大きな矛盾を国内に内包しているということになります。

では、この問題を解決するにはどのようにしたら良いのでしょうか。

答えは明確です。
日本のステイトの形を修正する他ない。

それはある意味、革命のような意味合いを持ちますが、ただし、現状においてそのための流血革命など、国民の誰一人望んでなどいません。
国民が望んでいるのは、流血革命のような悲惨を伴う改革ではなく、企業などに見られるような「改善」によって、少しでも日本が良い国になっていくところにあるものと思います。

けれども、それを特定の政治家や宗教家などが言い出せば、それは国民への価値観の押し付けになるといって叩かれるのは目に見えた話です。
そうではなくて、国民の側が目覚めていく。
そのためには国民教育が必要です。

では、目覚めた国民がどのくらい必要かといえば、これは有権者数から導くことができます。
日本の有権者数は、およそ1億人です。
このうち、実際に選挙に行く人は、およそ6千万人です。

世の中は、何かをしようとするとき、必ず賛成派、反対派、どっち着かず派の三者に別れます。
ということは、日本を変えようと真面目に考える人の数は、三分の一の2千万人できればよい。
そしてこのなかのリーダーとなる人達は、5人に1人の割合で良いのですから、要するに400万人の明確な意思を持った人たちが生まれれば、日本のステイト(政治的組織)は生まれ変わることができるのです。

実はこのことは、チョウチョの変態とよく似ています。

チョウチョは、イモムシの時代からサナギとなり、そして蝶となって自由に羽ばたきます。
その蝶がイモムシの時代には、なんと体重の2万7000倍もの葉っぱを食べるのだそうです。
それはまるで現代の唯物的な物質文明のようです。

ところがそうしているさなかに、イモムシの体の中に風変わりな細胞が生まれてきます。
それをイマジナル・セルと言います。
イマジナル・セルは、DNAに刻まれた記憶として、生まれたときからイモムシではなく、チョウになることを知っている細胞たちです。

彼らは単細胞として生まれるのですが、しばらくはイモムシの免疫システムによって異物として扱われ、次々と殺されていきます。
それでもめげずに増えていくイマジナル・セルは、独自の周波数で会話し、他のイマジナル・セルとコミュニケーションを取るようになります。
そしてクラスターが形成されていくのですが、するとある時点で、ティッピング・ポイント(転換点)が起こり、いままでさんざん攻撃してきたイモムシの免疫システムが、イマジナル・セルの側に寝返り、天敵がいなくなります。

こうしてイマジナル・セルたちは、それぞれの行きたいところへと集まり、目になりたいもの、羽になりたいもの・・・として集まり、本格的にチョウになる準備を始めます。
そしてこのとき、イモムシの細胞は、溶けて(死んで)ドロドロのスープとなって、チョウになるためのイマジナル・セルたちの栄養になります。

こうしてチョウが生まれてくるわけですが、チョウになると、イモムシ時代には左右6つしかなかった眼が、チョウになったとたん、アゲハなら1万8千以上ある複眼の世界が広がり、空も野原も見渡すことができるようになります。
そして食べるものも、苦い葉っぱから、甘い蜜へと変化するのです。

おそらくこれからの日本に起こる変化も、これと同じプロセスであろうと思います。

ほんの10年前までなら、ネイション日本を取り戻したいと思う日本のイマジナル・セルたちは、ひたすら戦後生まれの日本国の免疫システムによって攻撃され、場合によっては破壊までされてきました。
ところが昨年の参院選以来、急速にイマジナル・セルたちの目覚めが始まり、いまそのイマジナル・セルたちが、新しい日本の希望を求めて、急速に対話を始めるようになっています。

つまり戦後日本というステイトは本来の日本を取り戻す、つまり、イモムシからチョウになるプロセスが始まったのです。

戦後生まれの私達は、一度も戦場に行くこともなく、徴兵に取られることもなく、同級生を戦災で失うこともなく、空襲に怯えることもない、素晴らしい時代を過ごさせていただきました。
そうであれば、いま私達がすべきことは、子どもたちや孫たちのために、これまで以上にもっと良い日本を残すこと。
愛と平和の世界で一番やさしさのある国としての日本を築くことではないかと思います。

日本は一部の特権政治家のためにある国でもなければ、いわゆる敗戦利得者のためにある国でもありません。
日本は、日本人の日本人による日本人のための国です。
そして、そんな日本は、世界の希望です。

※以上のイマジナル・セルのお話は、保江邦夫さん、 はせくらみゆきさん共著『愛と歓喜の数式「量子モナド理論」は完全調和への道』から引用させていただきました。
※この記事は2023年6月のねずブロ記事の再掲です。

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