戦後のGHQが仕掛け、朝日が普及したた悪しき日本語の代表的な言葉に、
「この国」
という呼称があります。
これは、私達現代人と、わが国を築いてきてくださったご祖先との絆(きずな)を断ち切る、たいへんに悪しき言葉だと思います。

GHQに多くいた、そして戦後の日本で、なかば天下をとったような気でいた左翼主義者にとっては「この国」です。
なぜなら彼らの思想の基礎をなす共産主義史観は、いわば文明進化論ともいうべきものであり、過去は現在よりも常に「遅れている」というものだからです。

どうしてそのような思想になるかは、きわめて単純明快です。
マルクスの書いた共産主義史観が、マルクスの生前当時にあっては、「もっとも新しい思想」であったからです。
ですから古代ギリシャ・ローマ以来の伝統的権威や、ルネッサンス運動、近代市民革命における自由博愛平等思想などは、マルクス以前の遅れた思想であり、すべて、カビが生えた過去の遺物であって、新しく生まれた共産主義思想のみが正しいとされたのです。

けれども、常に「新しい思想」が「正しい」というのなら、オウム真理教の麻原思想は、すくなくともマルクスよりも新しいのですから、マルクス思想を越えた「正しい」思想ということになります。
これはまったくもっておかしな思想です。

こうしたおかしな思想背景の上に立つ左翼主義者が戦後の日本で説いた思想が、「八月革命論」です。
これは日本が先の大戦で破れたあと、まったく別な国に生まれ変わった・・・つまり大戦前の日本と、大戦後の日本は、まったく別な国である、とする思想です。

そしてこの思想のもとで、当時よく使われた言葉が、
「古い衣(ころも)を脱ぎ捨てよう」
というものでした。
大戦前、あるいは大戦中にわが国に存在した思想や宗教の全ては古い衣であって、これからは「新しい思想」でなければならない。
そしてその新しい思想というのは、共産主義思想に基づき、あらゆるものごとを対立させ、対立しているものどうしが闘争し、闘争に勝利した者だけが(なぜか両班(やんばん)となって)日本中の利益を独占するのだ、という、特定の人たちにだけ都合の良い馬鹿げた思想でした。

そしてその思想のもとに提唱されたのが、日本人自身が自分の祖国を「この国」と呼ぶことでした。
「この国」という言葉に、祖国への愛はありません。
国で起きる様々な出来事は、すべて所詮は他人事。
ですから『女工哀史』や、『野麦峠』のような、現実には存在しない悲惨が戦前戦中の日本にあったとし、また戦時中の悲惨ばかりが強調されました。

日本人が日本国への愛を失えば、日本で起きるすべてのできごとは、我が事ではなく、他人事になります。
そしてすべての日本人の紐帯が切れ、ひとりひとりが個人としてバラバラになれば、日本を解体することはきわめて容易になるとされたのです。
つまり、「八月革命論」を成就し、日本に住むごく一部の左翼主義者たちだけが、働き者の日本人を使役することで、自分たちだけの贅沢な暮らしを手に入れる。

その贅沢というのは、豪邸に高価な外車、そしてどこに行くにもゾロゾロと大勢の人がついて回る。
そして常に、そのなかのひとりだけが、贅沢を独占する。
まるで、昔の半島貴族の両班のような暮らしこそが、「八月革命」によって達成された新しい日本という形にされたわけです。

きわめて馬鹿げた話ですが、そうした思想の延長線上に「この国」という用語がある、ということを、私達は、あらためて知る必要があるのではないかと思っています。

日本人は、縄文以来1万7千年の間、武器を用いて人が人を殺すという文化を否定してきた歴史を持ちます。
そして亡くなったご祖先は、すべてイエの、ムラの、クニの守り神となって、私達を見守ってくれている。
そしてそのご祖先たちが、道路を造ってくださったり、橋をかけてくれたり、上下水道を、いまよりもずっと(それこそオクレた)道具しかないなかで、生活を少しでも良いものにしていこう、そうすることで子や孫たちが、いまよりすこしでも安全で安心で豊かな暮らしができるようにと、苦労と努力を重ねてきてくださった結果、いまの私達の暮らしがあると考えてきました。

歴史に登場する多くの外国の国では、王侯貴族だけが贅沢三昧な暮らしをし、庶民は常に食うや食わずの生活で、なかには自分の妻や子を食べてようやく露命をつないできたという歴史を持ちます。
自国の歴史に、正面から向き合うのが、あまりにもおそろしく、あまりにも理不尽で、あまりにも無様で、あまりにも哀しすぎる。
だから、歴史をお花畑のファンタジーにしなければならないという国や民族も、世界にはあります。

けれどわが国は、調べれば調べるほど、知れば知るほど、なんと祖先たちは、先輩たちは愛情深く、しっかりと、責任をもって、どこに出しても恥ずかしくない、立派な生涯を送ってきたという歴史を持ちます。
だからこそ、我々にとって、わが国の歴史も、今日のわが国も、すべて「この国」ではなく、「わが国」なのです。

さらにいえば「この国」という言葉は、自国の政治に対しても、「所詮は政治家が行う他人事」にしてしまいます。
冷静になって考えれば、それはとんでもないことです。
なぜなら国というのは、国民の共同体だからです。

たとえば自分の会社の経営陣が、馬鹿ばかりで、内紛ばかりしていて、現実の経営を顧みず、自己の利益ばかりを求めていたら、そのような会社は潰れてしまいます。
みんなのために、みんなでがんばる。自分もがんばるからこそ、全体がうまくいくのだし、その全体が、「最低の努力で最大の成果を得ることができるようにしていく」のが、経営の役割です。

国における政治の役割も、これと同じです。
国民が、最低の努力で、最高の幸せと、平和と、豊かさと、繁栄と、安全と、安心を得られるようにしていくのが、政治の役割であり、それを実現するのが政治家の責任です。
それが他所の国ではなく、「わが国」のことであれば、国民にとって、それは重大事です。

しかし「この国」という用語に込められた、他人事なら、政治家が、あるいは行政が、国民生活をまったくかえりみなかったとしても、それは所詮は他人事です。

それで良いのでしょうか。

「この国」という用語は、司馬遼太郎が連載した「この国のかたち」によって、多くの日本人にとっての現代の常識語になっています。
司馬遼太郎は好きな作家ですし、作品は、ほとんどすべて読んでいますが、「この国」という言葉だけは、いただけません。

「この国」ではなく、「わが国」。

これは、ただの言い方の問題ではなく、もっとはるかに深い問題をはらんだことであると思います。

日本列島は龍の形をしています。
私達日本人が日本のことを「この国」と呼べば、龍は他人事になります。
私達日本人が日本のことを「わが国」と呼べば、龍は我が命(いのち)の一部となります。
これはとても大事なことです。

※この記事は2021年7月のねずブロ記事のリニューアルです。

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「この国」ではなく「わが国」” に対して2件のコメントがあります。

  1. 福永 久 より:

    毎回、素晴らしい記事を読ませていただき、誠にありがとうございます。
    私も約15年前からですが、「我が国」と呼ぶようにしており、SNS等に投稿する際は、未だに慣れない方々にもわかるように「我が国日本」と呼称してます。
    この国呼ばわりだと、他所の国のような感覚に陥りますし、自宅を我が家と言うように、我が国と呼ぶだけで愛着が湧きますね。
    因みに、私に
    「何で日本人は自分の国の事を呼ぶ時に「我が国」と呼ばないの?普通、世界では自国の事を「我が国」と呼ぶよ。」
    と、教えてくれたのは韓国人でした。
    また、その言葉から私自身、愛国の精神がまた足りてないと自覚し、反省しました。

    1. 長島先生 より:

      我が国。素晴らしい!あの大小説家でさえ、気遣い出来なかった『我が国』目からウロコです。又亜米利加により日本が骨を蝕まれてるのも恐ろしさを感じる。

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