9月9日に立ち上げた倭塾サロン(https://salon.hjrc.jp/)は、今日からZOOMでの勉強会開始です。

夜20時から、Youtube倭塾(https://www.youtube.com/@nippon-kibou)でライブを行い、その後21時30分から倭塾サロンのZoom勉強会です。

Youtube倭塾は、どなたでもご覧いただくことができます。
倭塾サロンは、メンバー登録が必要です。

Youtube倭塾の今夜は、「昔の教育、今の教育」というテーマでお話します。
ライブですので、チャット欄で皆様のご意見をリアルタイムでお伺いしながらのお話になります。

教育問題は、いろいろと言われていますが、この件は、どれだけ偉大な人物を排出することができたかによって、教育の結果を知ることができます。
世界中の国の、あるいは歴史上登場したすべての国において、どこの国のどこの民族のいつの時代においても、人は人であり、程度の高い人もあれば、低い人もいます。
現代チャイナにも、本当に心あたたかで優秀な人はいるし、現代日本にも生粋の日本人でありながら、ろくでもない人はいるものです。

つまりもっといえば、社会のすべての人を教化し、心優しく優秀な人にすることは不可能ということです。
だから戦前戦中までの日本では、師範学校を置いて、社会や地域のリーダーとなる人材を育てていましたし、江戸時代には武士が社会における道徳的規範を示しました。
こうして社会に、完璧ではないにせよ、それなりに立派な人が育つことにより、社会全体が正常化して、厳しくも温かな社会が形成されたわけです。

つまり、いつの時代においても「全員を立派な存在にすることはできない」という前提を理解すれば、どれだけ優秀な社会のリーダーを育てることができたのか、そしてそれ以外の人たちもその優秀さを理解できるように育成することができたのかが、教育の成果といえるものになるわけです。

繰り返しますが、「全員はむつかしい」のです。

さらにいえば、全体が優秀な方向にシフトすると、その中からさらに優秀な人物が現れます。
このことはとても重要です。
たとえば、優秀なリーダー、優秀で温かな事業家、あるいはノーベル賞を受賞するような優秀な科学者などといった存在は、ひとりでは生まれない、周囲の理解と協力があって、はじめて生まれるものであるということだからです。

今般お札になった渋沢栄一にせよ、津田 梅子にせよ、北里柴三郎博士にせよ、たったひとりで実績を残すことができたわけではありません。
その周囲に、彼ら彼女らの行動を理解し、支えてくれた多くの人がいたからこそ、歴史に名を残す人物となれたのです。

このことは、歴史上の人物、たとえば信長、秀吉、家康も同じです。
彼らは決してひとりで偉業をなし得たわけではありません。
本当に多くの人たちの支えがあって、はじめて偉業をなしえたのです。

お神輿だけあっても、お祭りにならないのです。
そのお神輿を担ぐたくさんの名もなき人々がいて、はじめてお祭りになるのです。
そして、神輿の担ぎ手がたくさん集まるためには、祭りは楽しいと考える人や、豊年満作を願い、かつ祝う心が社会にあり、食べ物に感謝する心や神様に感謝する心が、多くの人々に共有されていて、はじめて無償の担ぎ手が集まるのです。

それはつまり、社会全体に祭りを大切にしようという心が育成されていてはじめて可能なことであり、それは同時に神様に感謝する心が社会全体に共有されて、はじめて可能になることです。
そしてこのことが、結果として盛大なお神輿になります。
つまり、そのお神輿が、時代によっては、信長や家康であったのです。

そしてそのためにどのような教育がかつての日本で行われていたのか、そしてその結果がどのようなものであったのか。
そんな事柄を皆様と共有するのが、今夜20時からのライブです。

そしてそのあと、21時半から、倭塾サロン初のZoom勉強会を開催します。
ここでは『ねずさんと語る古事記』 (https://amzn.to/47k4nvD)を題材に、本を読みながら、みなさんとあらためて古事記を読んでいきます。

この本をご出版いただいたのが2017年で、いまから7年も前のことです。
この7年で、自分なりに古事記の研究がだいぶ深まったように思うし、ですから本に書いてないこと、当時と異なる今の思いなどを含め、昔の人が古事記をどのように読み、そこから何を得ていたのかを皆様と同じ時間を共有しながら考えていきます。

たとえば、古事記の一番初めに登場される神様は「天之御中主神」です。
古事記の原文には、そうとしか書いてありません。
けれど、ではどうして古事記を書いた人は、最初の神様の名前を「天之御中主神」と書きしるしたのでしょうか。
「天之皆香主神」でも、「天之美那珂沼師神」と書いても良かったかもしれません。
けれど古事記は「天之御中主神」と書いたのです。
ということは、そこに意味があるということです。

天之御中主神は、いちばん最初の神様として登場します。
ということは、もしかすると、何につけても一番最初に必要なことは、まずは中心核を建てること、という意思を持っていたのかもしれません。

同じものを読んでも、読み方ひとつで、捉え方や意味は全然異なったものになります。
模範解答なんてものはありません。
古事記に答えの書いてある「教科書ガイド」なんてないのです。

だからみんなで読む。
みんなの読み方を聞く。
そして自分なりの読み方を探る。
ご参加いただいたみなさんと、毎回、Zoomでリアルタイムにそんなことができたら良いなと思っています。

もちろん、このZoomミーティングは、アーカイブを倭塾サロンメンバーなら、いつでもどこでも何度でもご視聴いただけます。

そして今週は今夜の古事記の第一回だけですが、来週からは火曜日が古事記、水曜日には万葉集を学びます。
皆様とともに、自分の中に眠っている日本人としての心を、さらに学び、鍛えて行きましょう。

日月神示の警告は、日本人が日本人としての心を失っていることへの警告です。
ということは、大峠を乗り越えることができるかできないかは、私達自身が日本人としての大切な心を、どこまで取り戻すことができるかに、すべてがかかっているのかもしれません。

子どもたちのために、孫たちのために、できることは全部やっていきたい。
皆様のご参加を心からお待ちしています。

小名木善行 拝

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