
「乃木希典(のぎまれすけ)は無能だった」といった言説が戦後日本にはびこっています。しかし、それは歴史の本質を見誤った、あまりに皮相な見方です。乃木希典という人物の真価、そして彼が総指揮を執った旅順要塞戦での決断と覚悟は、日本の独立と文化を守るための、文字通り「命をかけた」偉業でした。
この記事では、旅順要塞戦を軸に、乃木希典のすごさとは何かを明らかにしていきます。
なぜ「旅順要塞戦」が重要なのか?
明治37年(1904年)8月1日、日本陸軍は満州の旅順港に築かれたロシアの大要塞に対する総攻撃を開始しました。4か月半にわたるこの戦いで、日本は1万5千人以上の戦死者を出すこととなり、「消耗戦」「無謀な攻撃」と評されることもあります。
しかし、戦略的に見ればこの戦いの意義は極めて大きく、仮に旅順を落とせなければ、日露戦争そのものが日本の敗北に終わっていた可能性すらありました。
そしてこの戦いの指揮官こそ、乃木希典大将だったのです。
「無能」と呼ばれた指揮官の実像
乃木希典は当時の陸軍の将軍であり、武士道を体現するような人物でした。彼の指揮については賛否ありますが、後世の評論では「乃木は犠牲を多く出した無能な軍人」とする意見が目立ちます。
しかし、果たしてそれは正しい見解なのでしょうか?
現代の我々は、歴史を「結果」だけで判断しがちです。しかし、乃木が直面した戦況は、セヴァストポリ要塞を6倍に強化したと言われるほど堅固な旅順要塞。当時の世界の戦史を見ても、このような要塞を短期間で攻略できた例はありません。
それを乃木は4か月半で落としました。しかも損耗率は10分の1以下。これは軍事史上において極めて高く評価される成果であり、世界の陸戦史でも「奇跡」と称されているのです。
セヴァストポリ要塞と旅順要塞の比較
戦いの過酷さを理解するには、クリミア戦争でのセヴァストポリ要塞の事例が参考になります。ここでは1年間の戦いで、攻撃側に12万人以上の死者が出ました。
その後、第二次大戦時のドイツ軍による攻撃でも、セヴァストポリを落とすのに10万人の命が失われました。
旅順要塞はそれ以上の防御力を誇り、ロシアが「絶対に陥落しない」と自負していた場所でした。その旅順を、乃木希典は数か月で落としたのです。
「乃木希典のすごさ」は、この一点を見ても十分に証明されるのではないでしょうか。
白襷隊を生んだ覚悟と戦術的計算
旅順攻略で特に有名なのが、いわゆる「白襷(しろだすき)隊」です。これは、乃木が命じた特攻戦術として語られがちですが、実際には極めて冷静な戦術的計算がなされていました。
白襷隊とは、敵の銃撃を意図的に胸に集中させ、心臓を撃ち抜かれても15秒間生きる生理現象を最大限に活かした部隊です。その15秒で、前線を数十メートル進めることができれば、後続部隊がさらに有利に進軍できるのです。
そして、彼らは胸に「×」の印の白襷をかけ、あえて敵の狙いを定めさせました。
これが乃木希典の戦術の一端です。彼の指揮は精神論ではなく、合理性を伴っていたことがここからもわかります。
ロシア側が恐れた日本兵の精神
ロシア軍の記録には、白襷隊の突撃を見た将兵たちの証言が残されています。
「我々はまず精神で負けた」と。
ただの突撃ではなく、「死を受け入れてもなお前進する」という気迫が、敵軍の士気を大きく崩しました。これはまさに、乃木希典が育てた兵士たちの姿であり、彼の人間教育の賜物といえるでしょう。
旅順が落ちなければ日本は滅んでいた?
もし旅順要塞が陥落していなければ、ロシアの旅順艦隊は温存されたまま。やがてバルチック艦隊と合流すれば、日本海軍は壊滅していたことでしょう。
海上の制海権を失えば、大陸にいる日本陸軍は補給を断たれ孤立無援。全滅の危機に晒され、日本の敗戦は確実となっていたはずです。
それは、日本という国家の終焉を意味しました。ロシアの占領と共産化により、我々が今享受している文化、生活、言語さえ失われていた可能性があるのです。
乃木希典の判断がなければ、今の日本は存在しなかったかもしれない――そのことを私たちはもっと真剣に考える必要があります。
武士道精神と乃木の「自己犠牲」
乃木は、戦いの終結後、自らの責任を重く受け止め、明治天皇の崩御に際して殉死しました。
この行為に対しても賛否はあります。しかし、そこには彼の一貫した「自己責任」の思想と、「武士としての終わり方」を全うしようとした哲学があったのです。
部下の命を預かる者として、上に立つ者として、彼は常に「自分が先に死ぬ」覚悟を持っていた。そして、その精神性が、あの壮絶な戦いの中で兵士たちに伝わっていたからこそ、白襷隊のような決死の突撃が可能だったのです。
乃木希典のすごさは「結果」と「人格」にある
乃木のすごさは、単に戦術的な能力だけではありません。彼の人格、責任感、精神力、そして国の未来に対する覚悟こそが、真に「すごい」点なのです。
戦争という極限状態の中で、これだけの倫理観と精神的指導力を持ち続けた指揮官は、世界史を見ても稀有な存在でしょう。
なぜ今こそ、乃木希典を語るべきか
旅順要塞戦から120年近い年月が流れた今、我々日本人が失いつつあるのが「国を守る」という意識かもしれません。乃木のような人物が持っていた「未来の世代に何を残すか」という志を、現代の我々が受け継ぐことこそ、最大の恩返しではないでしょうか。
歴史を知ることは、過去の失敗を学ぶだけでなく、偉大な人物たちの覚悟を引き継ぐことでもあります。
まとめ|乃木希典のすごさは「命をかけた教育者」としての姿にある
- 旅順要塞という「不落の要塞」を短期間で陥落させた指揮力
- 白襷隊に象徴される合理的で勇敢な戦術判断
- 敵の精神をも屈服させた兵士の育成力
- 責任を自ら背負い切った殉死という決断
- 国家と後世を思う精神の深さ
こうした一つ一つの要素を通じて、私たちは「乃木希典のすごさとは何か」を知ることができます。
戦場に散った多くの命と、それを指揮した将の精神は、単なる過去の話ではありません。それは、未来の我々がどう生きるかを照らす、大切な灯なのです。
お知らせ
この記事は2023/08/01に投稿された『15秒を生きる!今日は旅順要塞戦が始まった日』のリニューアル版です。
