
はじめに|「グアムはアメリカですか」という問いから
「グアムはアメリカですか?」
そんな問いかけは、旅行や観光の情報として耳にすることが多いかもしれません。けれど、この島をめぐる答えは、単なる地図や国境線の話にとどまらないのです。
グアムという島には、戦いの記憶が深く刻まれています。かつて、幾万もの命が散り、また必死に生き抜いた人々がいました。
そしてその背景には、島の人々が受け継いできた文化や伝承、外からの侵略によって失われてしまったもの、そしてなお残された誇りがあります。
この物語をたどることは、「グアムはアメリカなのか」という問い以上に、「グアムとは何なのか」「そこに生きた人々は何を感じ、何を残したのか」を知る旅となります。
これから一緒に、その歴史と記憶に触れてみませんか。
古代のグアムとラッテ・ストーンの謎
グアムの森の奥深くや海辺には、今も不思議な石柱が並んでいます。
それが「ラッテ・ストーン」と呼ばれるもの。古代チャモロの人々が9世紀から17世紀にかけて築いたといわれていますが、実際に何のために作られたのかは、いまだにはっきりと分かっていません。
石柱に宿るのは、ただの石の重みではなく、島に生きた人々の思いや祈り。そう思うと、目に見えない声が、風に揺れて聞こえてくるような気がします。
祖先の霊「タオタオモナ」が宿る石柱
現地の人々は、このラッテ・ストーンに「タオタオモナ」と呼ばれる祖先の霊が宿ると語り継いできました。
「タオタオモナ」という響きは、まるで「尊いもの」や「絶えないもの」を意味する言葉のように聞こえます。
失われてしまった文化や記憶があっても、霊の存在を感じることで「決して絶えてはいけないものがここにある」と、島の人々は代々心に刻んできたのでしょう。
日本の縄文文化との不思議なつながり
ラッテ・ストーンの謎は、日本の縄文文化とも結びつけて語られることがあります。
縄文の人々は南米にまで渡ったと言われ、古代から海を越えて交流していたと考えられています。
倭国が九州から朝鮮半島、さらに太平洋の広い範囲に影響を及ぼしていたという説もあります。
もしそれが本当なら、グアムの石柱にも、日本の古代人の足跡が刻まれているのかもしれません。
海を渡る風のように、言葉や文化は混じり合い、形を変えながら広がっていきました。
ラッテ・ストーンの静かな佇まいは、その交流の証のひとつなのかもしれませんね。
グアムに訪れた外の世界
古代から人々が暮らしていたグアムにも、やがて外の世界が押し寄せてきました。
波のように静かにやってきたのではなく、嵐のように荒々しく、島の文化を大きく変えてしまったのです。
スペインの到来と文化の破壊
16世紀、海を越えてやってきたスペイン人たちは、グアムの文化を徹底的に壊しました。
ラッテ・ストーンが何のために使われたのか、古代の人々がどんな生活をしていたのか──その記憶はほとんど奪われてしまったのです。
南米のインカ帝国と同じように、遺跡だけが残り、そこに込められた意味は失われてしまいました。
かつてそこにあったはずの祈りや歌声は、今となっては風の中の囁きにしか聞こえません。
失われたチェモロ文明とその痕跡
長く続いたスペイン統治の中で、先住民であるチェモロ人の純血は絶えてしまいました。
残されたのは、混血の人々と、かすかな文化の名残だけ。
石でできたラッテ・ストーン、ミクロネシアの舞踊、恋人岬の伝説、スペインなまりのチェモロ語──それらが、チェモロ文明の面影として今に伝わっています。
けれど、その文明がどのような歴史を持ち、どれほど豊かな文化だったのか。
それを完全に知ることは、もうできません。
それはまるで、鮮やかな絵巻物が破られ、ほんの断片だけが手元に残ったようなもの。
私たちはその欠片を見つめながら、かつての人々の声を想像するしかないのです。
日本とグアムの出会い
長い歴史の中で、グアムの人々は何度も外の世界と出会ってきました。
そのなかでも、日本との出会いは、島の人々にとって忘れがたい記憶となっています。
日本統治下での教育と誇り
第二次世界大戦中、日本はグアムを「大宮島」と名づけ、学校や医療、道路といった社会の基盤を整えていきました。
特に大きな変化は、教育でした。
当時のグアムでは、アメリカの統治下でも英語を教える仕組みが十分になく、人々は不自由を強いられていました。
けれど日本は、国民皆教育を掲げ、島の子どもたちに算数や理科、社会、そして日本語を教えました。
本来なら母語であるチャモロ語で学べれば一番よかったのかもしれません。
しかし、社会制度や科学技術を身につけるためには、日本語での教育が必要だったのです。
子どもたちは新しい知識に目を輝かせ、学ぶことを楽しみにしていました。
遠くから歩いて通学した子どもたちにとって、学校は苦労ではなく「希望の場所」だったのです。
島の人々が語る学びの喜び
今でもグアムの年配の人々の中には、日本統治時代の学校を懐かしく語る方がいます。
「日本語を学べたことが人生の宝物だった」──そう言う声が残っています。
教育は単なる知識の伝達ではありません。
そこには未来への希望があり、志があり、学ぶことそのものの楽しさがありました。
だからこそ、いまも日本人の名前を自分たちの家族名として残している人が多くいます。
それは、日本から受けた学びや誇りを忘れないための、静かな感謝の証なのです。
戦火の中のグアム
やがて、グアムの空を覆ったのは、青い海を渡ってきた米軍の艦砲射撃と爆撃の嵐でした。
大自然に抱かれた美しい島は、戦場へと姿を変えていったのです。
米軍の上陸と壮絶な戦い
1944年、米軍は圧倒的な戦力をもってグアムに上陸しました。
日本の守備隊は必死に抵抗し、時には手榴弾を抱えて戦車に飛び込むような、命をかけた戦いも繰り広げられました。
銃弾が尽きても、彼らは最後まで諦めませんでした。
指を失った者も、足を失った者も、ただ「祖国を守り抜く」という思いだけで立ち上がったのです。
しかし、数の力と武器の差は残酷でした。
多くの将兵が戦場に散り、戦いは終わりを迎えます。
横井庄一伍長の「恥ずかしながら…」
けれど、戦いはそこで完全に終わったわけではありません。
一部の兵士たちはジャングルに身を潜め、ゲリラ戦を続けました。
その中のひとりが、横井庄一伍長です。
彼は味方が戻る日を信じ、食料もほとんどない状況で1972年まで潜伏し続けました。
28年ぶりに日本へ帰国したとき、横井さんはこう言いました。
「帰って参りました…恥ずかしながら、生き永らえて帰って参りました」
その言葉には、仲間を失った悲しみと、自分だけが生き残った苦しみ、そして日本への深い忠誠が込められていたのかもしれません。
「なぜ日本は敗けたのか」と問われたとき、横井さんは答えました。
「武器がなかったからです。精神は勝っていた」
その言葉は、今もなお、戦争の悲劇と人の強さを私たちに語りかけてきます。
現代のグアムとアメリカの姿
いま、グアムといえば多くの人が「アメリカの島」と思うでしょう。
けれど、その立場を少し深く見てみると、島の人々が抱えている現実が浮かび上がってきます。
「未編入領土」という名の植民地
グアムはアメリカの領土であることは間違いありません。
しかしその位置づけは「未編入領土(Unincorporated Territory)」と呼ばれるものです。
つまり、住民は合衆国政府に従い、税を納めなければならないのに、大統領選挙に参加する権利は与えられていません。
名前だけを変えた「植民地」と言ってもよいのかもしれません。
さらに島の土地の3分の2は米軍基地が占めています。
戦争の時代から続くその構図は、いまもなおグアムの人々の暮らしを大きく支配しているのです。
住民の思いと日本への憧れ
観光地として賑わうグアムですが、島の人々の心の奥には「本当は日本に戻りたい」という声が残っているといわれます。
かつて日本統治下で築かれた学校や教育の記憶、そこで得た誇りや学びの喜びは、彼らにとって忘れられないものだからです。
その解決の道はひとつ──「日本が米軍基地を買い取り、日本の基地にすること」。
それが実現できれば、島の人々の願いはかなうのかもしれません。
しかし現実は簡単ではありません。
それでも、彼らが心に抱き続ける想いは、過去の歴史を知る私たちにとって大切な問いかけとなります。
おわりに|グアムはアメリカですか、それとも…
「グアムはアメリカですか?」
その問いに、地図上の答えは「はい、アメリカです」となるでしょう。
けれど、島の歴史を振り返ると、単純にそう言い切ることはできない複雑さが見えてきます。
島が問いかける歴史の意味
グアムは、スペインの植民地となり、アメリカに割譲され、日本に統治され、そして再びアメリカの手に戻りました。
そのたびに人々の文化は揺さぶられ、失われ、また新しく形を変えてきました。
「未編入領土」という名のもとで、いまも島はアメリカの一部でありながら、完全に対等な存在ではありません。
その姿は、歴史に翻弄されてきた小さな島の現実そのものといえます。
私たちが受け継ぐべきもの
それでもなお、この島には確かに残っているものがあります。
ラッテ・ストーンに宿るといわれる祖先の霊、かつての学校での学びを誇りとして語る人々、そして激しい戦いのなかで命を落とした数多くの魂。
「グアムはアメリカですか?」という問いの答えは、ひとつではありません。
むしろその問いを通して、私たち自身が歴史の重さと、文化や誇りを守り抜こうとした人々の想いを感じることが大切なのです。
グアムは、地図の上の領土以上の存在。
そこには「記憶」と「誇り」が生き続けています。
そしてその物語は、私たちにも静かに問いかけているのです。
お知らせ
この記事は2024/02/26投稿『グアム島物語』のリニューアル版です。
