
はじめに│文字が教える「銭(錢)」の正体
日本で金銭を意味する古い語に「銭(旧字:錢)」があります。
錢は「金+戈+戈」で成り立つ字で、本来は“金属の戈”を指します。
戈が重なる構成は、
「金(かなもの)であれ何であれ、切り裂き、ズタズタにしてしまう力」
を暗示します。
つまり古人は、金銭が「便利」であると同時に、「たいせつなものを切り裂く刃」にもなり得ることを、文字そのもので私たちに警めているのです。
この視点は、私のいう共震共鳴の経済観と響き合います。
具は道具として使えば良い。
しかし、道具に心を明け渡した途端、道具は人を切り裂く“戈”へと姿を変える。
だからこそ、心の中心に置くべきはお金ではなく、人と人の響き合いであり、暮らしの基礎となる“食と労(はたらき)と奉仕”なのだ、と。
富本銭と和同開珎──名づけに込められた倫理
日本最初の流通銭は長く「和同開珎(708)」とされましたが、後に「富本銭(天武12・687)」の実物が出土し、教科書の定説を揺さぶりました。
ここで大切なのは、名前に込められた思想です。
- 和同開珎は、和銅(良質な銅鉱の発見)を祝して発行された記念銭。
- 富本銭の語源は『芸文類聚』の「民を富ませる本は食(食糧)と貨(通貨)」にあります。
注目したいのは、日本が「富本貨」ではなく、あえて「富本銭」と名づけた点です。
通貨の便利さと富を認めつつも、「銭」が持つ“切り裂く刃”の相を忘れまいとする倫理的まなざしが、名づけそのものに宿っているのです。
ここには、「便利さを受け入れながらも、人の心と共同体を壊さない距離感を保つ」という、日本的バランス感覚がはっきりと表れています。
戦国の“両”と“判”、そして明治の“円”・・・交換の知恵から円卓の思想へ
戦国期、お米の生産拡大と利水権争いの増加にともない、各地を移動する武芸者や商人にとって、重い米よりも軽便な交換媒体が求められました。
ここで生まれたのが、天秤で量ることを意味する「両(兩)」と、半分に分かつ「判」の世界です。
米と銭とを等価に取り扱う“仕組み”が工夫され、「両替屋」という中継点(プロトコル)も登場します。
根底には、米=命の糧という価値を軸に置きながら、移動・交換の合理性を同時に実現する工夫がありました。
これは、響き合うための調整の知恵であったといえます。
明治に入り、「円(圓)」が導入されます。圓は、人びとが円卓(鼎)を囲む象形で、「世界はひとつ」「共に食む」という合意のイメージを帯びる文字です。
米本位の倫理と、世界とつながる交換の合理・・・ここでも日本は、対立を単純に二項化せず、共鳴的な折り合いをつける道を試みてきました。
戦後の極限が教えてくれた“価値”の正体
終戦直後、深刻な食糧難のもとで起きた現実は象徴的でした。高価な反物や刀剣が、たった数十キロの米に交換されていく。つまり、命をつなぐ“食”の前では、お金や財は無力になり得るということです。
この極限の経験を、日本人は世代をまたいで共有してきました。
「備蓄はモノの所有ではなく、いのちの責任」
という感覚は、まさに“響き合い”の文化資本でした。
ここで思い出したいのが、お伊勢さまに見える「元々本々(もともとをもととす)」の教えです。
もともと人は食べなければ生きていけない。
だからこそ日々の労(はたらき)と奉仕を通じて、互いの命を支える食を確保し、分かち合う。
“もともと”の大切さを“もと”に据えること・・・これが、日本の強さの根であり、共震共鳴の核心です。
なぜ「米で税を取る」は合理的だったのか
通貨は「税を納められるもの」を指します。紙幣は納税に使えますが、ポイント券は使えません。ここで米の税が持つ特性に目を向けると、興味深い事実が見えてきます。
米は傷むため、溜め込みができない。つまり、集めた税は必ず循環させねばならない。
このため、災害の多い日本において、米で税を徴収することは、国家レベルの相互扶助(セーフティネット)として合理的だったのです。
お金ならいくらでも留め置ける。米は留め置けない。
ゆえに、米税は「必ず誰かの命を支える使途」を前提とする。ここに制度としての“響き合い”が内在します。
人口と食糧の未来・・・恐怖でなく“響き合い”で備える
2100年に向けて人口増が見込まれる一方、地球の食糧生産には上限がある、としばしば語られます。
私たちがいま選ぶべきは、「不足」の恐怖で互いを責め立てることではありません。
長期持続の文化モデルを持つ日本・・・とりわけ縄文以来の“共に生きる”感覚・・・を現代に翻訳し、備蓄と分かち合い、地域循環と相互扶助を具体的な運用に落とすことです。
“共震共鳴響き合い”の思想は、ここで単なる精神論ではなく、制度設計と暮らしの作法にまで降ろして初めて力を持ちます。
“響き合う経済”の4つの指針(試案)
ここからは、実務へ降ろすための私案です。
恐怖でも命令でもなく、プロトコル(作法)として社会に敷く・・・それが“響き合う経済”の要です。
1. 飯一杯指標(Bowl Index)
どの所得・価格・社会投資も、「標準的一杯のご飯(栄養基準)」で換算し可視化します。
政策や企業活動が、どれだけ“命の一杯”を増やすかで評価する発想です。
2. 備蓄は徳(公共ストック)
個人・地域・自治体・国家の各レベルで、循環型の食料備蓄を運用。
期限前消費→再補充の“回し”を仕組み化し、浪費ゼロと飢餓ゼロを同時に目指します。
3. 贈与と互酬の会計
ボランティアや相互扶助を見える化する台帳を導入。
税や補助と連動させ、支え合いに実利を接続します。
(ポイントではなく、納税・公共料金等に充当可能な“互酬クレジット”の設計)。
4. 米本位の非常時プロトコル
緊急時は、一定割合で食料券・米換算を標準通貨に準ずる扱いへ移行可能に。
(法・物流・ITの三位一体で事前設計)
お金→食への切替えを“国家の反射神経”にします。
これらは、あくまで試案です。
ですが、ノスタルジーではありません。
現代の技術(在庫管理・ブロックチェーン・AI予測)と日本の“もともと”を接続し、恐怖や強制ではなく“作法”として人びとをつなぐことを考えてみようという提案です。
いま、なぜ日本が先例となれるのか
世界では、極端な富の集中が語られます。しかし、食糧の供給と分配が“響き合い”を失えば、どれほどの富も命を養う力を失う・・・戦後直後の日本を思えば、それは観念ではありません。
日本は、長期持続の記憶、米を軸とする倫理、文字に刻まれた戒め、そして災害と共に生きてきた技(わざ)を持っています。
日本は、「恐怖と分断のモデル」ではなく、新たな「共震共鳴のモデル」を世界に示す役を担うことができる可能性を持っています。
結び──“もともとをもととす”
お金は便利な道具です。
けれど、心の中心に据えるべきではありません。
中心に置くべきは、愛し・働き・奉仕する生き方であり、命を支える食であり、互いを支える作法です。
「元々本々(もともとをもととす)」
“飯一杯”を分かち合える社会を基準に据え直すとき、マネー教の呪縛は解け、経済はふたたび“響き合い”の器となります。
日本が目覚めれば、世界が変わります。
恐怖でなく、プロトコルで。命令でなく、共震共鳴響き合いで。
その一歩を、私たちの暮らしの中から、静かに、しかし確かに始めてまいりましょう。
お知らせ
この記事は2021/06/30投稿『マネー教信仰と日本の形』のリニューアル版です。
