AIが知識や情報を瞬時に提供する時代になりつつあります。では、人間の価値はどこに残るのでしょうか。
私は最近、その答えは「関係性」にあるのではないかと考えるようになりました。人と人との信頼。誰かを励まし、支え、育てること。そしてその中から生まれる「うれし」。
日本にはかつて、御講という共同体の仕組みがありました。それは単なる金融制度ではなく、人と人との信頼を信用へと変換する知恵でした。
本稿では、AI時代における人間の価値、関係性が持つ増幅性、そして御講の思想が未来社会のヒントになり得るのかについて考えてみたいと思います。

うれし経済。関係性が価値になる時代へ

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はじめに ある経営者の言葉

数年前のことです。
私がまだ、自分の志向する方向性を明確につかめずにいたころ、一人の経営者から思いがけない申し出をいただきました。
「毎月の顧問料と、住まいを提供したい」

驚いた私は聞きました。何をすれば良いのですか、と。
返ってきた答えは、こうでした。
「何かをしてもらおうとは思っていません。
 ただ、共に響き合いたい。共に感じ合いたい。それだけです。」

成果物を求めない。貢献を求めない。ただ、共にあることを求める。
その言葉は、私の中に長く残りました。
そしてそれは、古い日本語で言えば「お引き立てをいただいた」というものでした。

経営者の方も「先生に来てもらってうれし」
私も生活の安定をいただいて「うれし」
そしてともに成長するという関係性でした。

これが、本稿を書くことになった原点です。

私は特別な人間ではありません。
あのとき私には、資本も実績も肩書きもありませんでした。
あったのは、ただ志向する方向性への真剣さと、経営者との間に生まれた小さな共鳴だけでした。
だとすれば、これは私だけに起きた例外ではないはずです。

その後、私は出口設計という理論を軸に活動するようになりました。
歴史と現代をつなぎ、日本社会の在り方を問い直す仕事です。
その過程で、私はある確信を深めていきました。

AIが広く普及しつつある今、人間の価値の重心が、大きく移ろうとしている。
そしてその先にあるものは、あの経営者が体現していた何かと、深くつながっているのではないか。

本稿は、その確信を言葉にしようとする試みです。

第一章 社会の重心はどこへ移るのか

人類の歴史を振り返ると、社会の重心は時代ごとに大きく移り変わってきました。

農業社会では土地が価値でした。
良い土地を持つ者が豊かになり、力を持ちました。

商業が発達すると、重心は流通へ移りました。
どれだけ遠くとつながれるか、どれだけ信用を築けるか。

産業革命が起こると、工場と機械が力を持ちました。
大量生産ができる者が市場を支配しました。

現代は情報社会です。
知識を持つこと、情報を発信すること、それ自体が価値になりました。

ところがいま、再び大きな転換点が来ています。

AIの登場によって、知識や情報そのものの価値が変わり始めているからです。

人間は長い間、「知っている人」が強い社会に生きてきました。
しかしAIは、人間をはるかに超える知識を持ち、瞬時に取り出すことができます。
文章を書き、絵を描き、翻訳し、分析し、プログラムを書く。
これまで人間にしかできないと思われていた仕事を、次々とこなします。

すると、人間の価値はどこに残るのでしょうか。
私は今、この問いが21世紀最大の問いになると確信しています。

そして私の答えは、「関係性」です。

人は誰かと出会い、誰かと学び、誰かと支え合い、誰かと喜びを分かち合いながら生きています。
AIが奪うのは「人間の機能」であって、「人間そのもの」ではありません。
計算し、調べ、記録し、分析するという機能は、AIの方が圧倒的に優れています。
しかし、誰かと響き合い、誰かを育て、誰かを励ます。
その関係性は、AIには持てないものです。

ここに、次の時代の価値の芽があると私は思っています。

第二章 「うれし」という価値

関係性が価値になるとはどういうことか。
それを考えるとき、私はいつも古語の「うれし」という言葉を思います。

現代語の「嬉しい」は、得をしたから、勝ったから、所有できたから、という意味合いが強いものです。
しかし古語の「うれし」は違います。

誰かと分かり合えたとき。
誰かの役に立てたとき。
知らなかったことが見えたとき。
離れていたものがつながったとき。
そんなときに生まれる、不思議な喜びのことを「うれし」と呼びました。

現代社会は「所有の価値観」で動いてきました。
大きな家を持つ、資産を持つ、地位を持つ。
そしてそれらを追い求めることが、豊かさとされてきました。

しかし考えてみると、私たちの人生を振り返ったとき、本当に心に残っている出来事は何でしょうか。

念願の車を買った日よりも、
仲間と力を合わせて困難を乗り越えた日の方が、鮮明に残っていることが多いのではないでしょうか。
昇進した日よりも、自分が育てた人間が巣立っていく日の方が、深く心を動かしたのではないでしょうか。

所有の喜びは、やがて薄れます。
しかし「うれし」は、時間が経っても色あせません。
それどころか、関係性の中で自然と周囲に広がり、増えていきます。

ここに、関係性が持つ不思議な力があります。
知識も、善意も、喜びも、分け与えても減らない。
むしろ広がることで増え続けます。
私はこの「増幅する価値」こそが、これからの時代において本質的な価値になると思っています。

歴史を見ても、「所有と権力」には限界があることがわかります。
「平家にあらずんば人に非ず」とまで権勢を誇った平清盛も、最高位にあったのはたった三年です。
江戸時代には「千両役者」と呼ばれ、武士の何十倍もの収入を得た芸能者がいましたが、彼らは士農工商の最下位に置かれていました。
お金の多寡とはまったく別な価値基準が、社会に現実に存在していたのです。

このことが示すことは、「豊かさ」の定義は、決して不変ではない、ということです。
社会の重心が移れば、豊かさの定義もまた変わる。
そして次の時代において重要になるのは、
「何を持っているか」ではなく、
「どれだけ豊かな関係性を育んでいるか」ではないかと思うのです。

第三章 御講という先人の知恵

関係性が価値を生むという発想は、実は日本人が昔から持っていたものです。
その代表的な仕組みが「御講」です。

御講とは、人と人との信頼関係を基盤とした共同体の仕組みです。
伊勢講、富士講、念仏講、頼母子講、無尽講など、その形はさまざまでしたが、
本質はひとつ。
誰が担保を持っているかではなく、誰が共同体のために動いているかを見る仕組みでした。

「この人なら大丈夫だ」「この人なら逃げない」「この人なら皆のために働く」。
そうした長年の付き合いの中から生まれた信頼が、信用となりました。

銀行が担保を見るのに対して、御講は関係性を見ました。
銀行が返済能力を見るのに対して、御講は人格と信頼を見ました。

地域を支えている人。人を育てている人。困った人を助けている人。人と人とをつなぐ人。
そうした人の価値は、銀行の帳簿には現れません。
しかし共同体全体から見れば、極めて重要です。
御講はその価値を、信用へと変換する仕組みだったのです。

では、なぜ御講は姿を消したのでしょうか。

それは御講が劣っていたからではありません。
時代の要請が変わったからです。

近代化が進み、鉄道ができ、都市が発達すると、知らない人同士が取引する社会になりました。
そこでは関係性だけでは社会を回せません。
銀行は、顔を知らなくても融資できる仕組みとして登場しました。
銀行は御講に勝ったのではなく、御講では対応できない規模の社会を実現したのです。

しかし、その過程で失われたものもありました。
数字では測れない信用です。
そして私たちは少しずつ「関係性を見る目」を失っていきました。

第四章 御講は世界で今も生きている

御講は過去の遺物でしょうか。
私はそう思いません。
日本で忘れられつつあるだけで、その本質は世界のさまざまな場所で生き続けています。

ユダヤ人社会がその典型です。
世界中に散らばって暮らしながらも、彼らは強い共同体意識を維持してきました。
事業を始めるとき、困ったとき、血縁や宗教的つながりを基盤とした相互扶助の仕組みがあります。
「あの人なら信用できる」という共同体内部の評価が、大きな力を持っています。
銀行の信用よりも先に、人間関係の信用が動くのです。

たとえば、ユダヤ人社会では、高齢で一人暮らしのお婆ちゃんに、彼らの御講が毎年補助金を支給しているケースを見ることができます。
お世話になったお婆ちゃんに、老後の暮らしを充実させてほしいと、お婆ちゃんに世話になったユダヤ人たちが、血縁とは関係なく、みんなでお婆ちゃんの暮らしを支えているのです。
そしてこうした金融以外の、御講のシステムが、ユダヤ人社会の経済的成功を支えています。

華僑社会も同様です。東南アジアを中心に広がる華僑ネットワークは、単なる商業組織ではありません。親族、同郷、同じ言葉を話す仲間という関係性の上に、巨大な経済圏を築いています。
ですから華僑社会では、銀行の信用よりも、まず人間関係の信用が優先されます。
そしてご存知の通り、彼らは強大な資金力を手に入れています。

インドの商人共同体にも似た仕組みがあります。
長い時間をかけて培われた信頼が、金融や商取引の土台になっています。

そしてさらに興味深いのは、こうした仕組みが発展途上国だけに残っているのではないということです。
近年、世界中で注目されているマイクロファイナンスも、その一例と言えます。
これは、通常の銀行では融資を受けられない人々に対して、小さな共同体単位で信用を形成し、資金を貸し出す仕組みです。
そこでは担保よりも、人と人との関係性が重視されます。
もし一人が返済できなくなれば、共同体全体が困る。
だから互いに支え合っています。

ここにも御講と共通する発想を見ることができます。

これらは決して特殊な文化ではありません。
人類は何万年もの間、共同体の中で生きてきました。
現代のような金融制度が登場したのは、わずかこの三百年ほどのことです。
一方で信頼そのものは、人類が誕生した時から存在しています。

つまり御講は、人類社会が本来持っていた仕組みの根源的な表現だったのかもしれません。

第五章 関係性が経済を動かした実例

ここで、私の友人の話をさせてください。

その友人は日本人でありながら、世界規模の事業企画に挑んだ人物です。
彼が武器にしたのは、資本でも技術でもありません。
長年かけて積み上げた、海外のビジネスパートナーとの信頼関係でした。

契約書よりも先に信頼がありました。
担保より先に人格がありました。
彼はその関係性だけを土台として、数百億円にのぼる大規模な資金調達に成功し、事業を世界的な市場へと上場させました。

関係性はきれいごとではありません。
それは現実に、数百億円を動かしたのです。
しかもこれは昔話ではありません。現在進行系の出来事です。

そしてこの話を聞いたとき、私は御講がまだ死んでいないと思いました。

関係性が経済を動かす。
それは理想論でも仮説でもなく、現実に起きていることです。

そして今、AIという新しい技術が、この現実をさらに加速させる可能性を持っています。

AIは膨大な関係性を記録し、可視化することができます。
誰が誰を助けたのか。誰が共同体に貢献したのか。誰が信頼を積み重ねてきたのか。
これまでの社会では見えなかった価値が、AIによって社会が認識できるようになるかもしれません。

担保ではなく信頼。
所有ではなく関係性。
競争ではなく共創。
そうしたものを基盤にした新しい信用が、可視化される時代が来るかもしれません。

それは昔の御講をそのまま復元することではありません。
AIという最先端技術によって、人類が忘れていた共同体の知恵を再発見するという意味を持ちます。

終章 うれし経済の時代へ

冒頭で紹介した経営者の言葉に、戻ります。

共に響き合いたい。
共に感じ合いたい。
それだけです、という言葉の意味が、
ようやくいま、見えてきた気がします。

彼は、成果物ではなく関係性に価値を置いていたのではないでしょうか。
機能ではなく、存在そのものに価値を置いていた。
そしてその関係性の中から、お互いの「うれし」が生まれ、共に成長する力が生まれていたのです。
ここに、次の時代の経済の原型があるように思います。

お金は素晴らしい発明です。
人類社会を大きく発展させてきました。
しかしお金は本来、価値を交換するための道具であって、目的ではない。
次の時代においては、その順番が元に戻るのではないかと思うのです。

まず価値が生まれる。
その価値が関係性の中で育つ。
関係性が信頼を生む。
信頼が信用になる。
そして信用が金融を生む。

そうした社会では、経済の中心に置かれるのは、お金そのものではありません。
人と人との関係性です。
そしてその関係性の中で生まれる「うれし」です。

どれだけ稼いだか、どれだけ所有したかだけでなく、
どれだけ人を励ましたか、どれだけ人を育てたか、どれだけ「うれし」を広げたか。
そうしたことが新しい豊かさとして認識される。

それが「うれし経済」です。

AIによって人間の機能的な価値が相対化される時代、人間社会は必ず別の価値を探し始めます。
そしてその先にあるのは、競争よりも共創であり、所有よりも関係性であり、孤立よりも響き合いだと思います。

私はその未来を、かなり高い確度で実現へ向かうものだと確信しています。
なぜなら、それはすでに始まっているからです。
私自身がその中で生きているからです。
そして世界中の賢明な共同体が、ずっとその原理によって動いてきたからです。

人類の歴史は、常に新しい可能性を信じた人たちによって切り拓かれてきました。

私たちはいま、その新しい入口に立っています。

さて、この「うれし経済」については、
今後、倭塾サロンでさらに具体的な実践や事例研究を進めていきます。
乞うご期待です。

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