よく「昔は良かった。でも今の日本はダメだ」と仰られる方がいらっしゃいます。
あるいは「最近の日本はダメだ。もうおしまいだ」と仰られる方もおいでになります。

「じょうだんじゃないぜ」と思います。
未来は「これからやってくるもの」です。
どういう未来に来てもらうかは、今を生きている我々の生き方次第です。
「まだ来てもいないのに、もうあきらめてどうする!」と思うのです。

戦後生まれの私たちは、素晴らしく平和で豊かな日本を生きさせていただきました。
食べるものにも事欠く戦後の焼け野原から出発し、徴兵されることもなく、戦争で腕や足を失うこともなく、身内に戦死者を出すこともなく、お腹いっぱいご飯を食べることができるどころか世界中の美味しいものをいただくことができる、そんな時代を生きさせて頂きました。
おそらく日本の永い歴史の中で、戦後の日本ほど豊かで安全で安心で便利な時代というのは、そうそうはなかったものと思います。

寿命に関してなら、魏志倭人伝に日本人の寿命は80〜90歳、もしくは100歳と書かれています。幼児の死亡率を除けば、日本人は世界の中でも極端と言って良いほど長生きな民族と言えます
戦前戦中の時代まで、これは日本に限らず世界中同じでしたが、特に男子は15歳で成人するまでに、およそ半数が亡くなりました。我が子を失う悲しみに、時代も民族もありません。それが今ではほぼ100%の子が成人することができます。戦後の医療が飛躍的に進んだおかげです。こんな時代は我々日本人にとっても歴史上初のことです。

雨が降ると泥だらけになった道路は舗装され、足を取られた道路脇の側溝にも蓋がされるようになり、余程の大金持ちでなければ乗ることのできなかった自動車に、今では普通の主婦が乗るようになりました。
通信手段も、手紙や電報しかなかったものが、いつしか黒電話が入り、プッシュホンの時代になり、ランドセルくらいの大きさのあった移動電話は、いつの間にか携帯性抜群のスマホになりました。
世の中は本当に便利で快適になったと思います。

けどその快適さや便利さは、戦争の時代を生き、空襲や艦砲射撃によって何もかも失い、戦地で戦友の死を目の当たりにし、戦後の焼け野原の中を経験した私たちの父祖が、
「子どもたちのために、絶対に戦争のない国を築きたい」
「子どもたちにお腹いっぱい、満足するまでご飯を食べさせてやりたい」
「すこしでも美味しいものを子どもたちに食べさせたい」
「子どもたちのために、少しでも快適に過ごせるマイホームを作りたい」
「誰もが自由に過ごせる日本にしたい」
そう思って日々努力を重ね、一生懸命になって働いてきてくれたおかげです。
つまり日本人みんなの共通意思によって実現されてきたものです。

では私たちは、私たちの子や孫に、どういう未来を呼ぶのでしょうか。
それは「もうおしまいだ、もうだめだ」という未来なのでしょうか。
違うと思います。

もちろん、現状の日本には問題が山積みです。
けれど、問題というのは、いつの時代にも、どんな時代にもあるものです。
そして問題があると認識されているということは、すでにどこが問題なのかが見えている、ということです。
見えているなら、あとは解決していくだけのことです。

「政治が間違っている。
 政治がろくでも無い方向に向かっている。
 だからダメなんだ」
とよく言われます。
最近は流行りませんが、高度成長経済からバブル経済の時代にかけて、テレビで流行っていたのが、政治討論会です。
今にして思えば、ものすごく良い時代であったわけだけれども、当時の番組を今振り返ってみれば、あの激論さえも、ただのパフォーマンスでしかなかったと分かります。
それに、明治以降、政治がろくでもない方向に向かっていなかった時代ってあったのでしょうか。

そもそも明治以降、政府が関与を強めた業界は、全部ダメになっています。
明治初期には、江戸時代からの種々の産業が潰れ、その後の富国強兵の時代に盛んであった繊維産業、炭鉱業、製鉄業は、ことごとく衰退し、戦後に日本経済の牽引役を担った造船業、鉄鋼業、家電業、半導体産業は、全て海外にシェアも利益も奪われ、そしていま日本の基幹産業である自動車産業が潰されようとしています。
歴史を振り返れば、日本政府が関与した産業は、ことごとく外国に売られ、結果として全て外国にシェアを奪われてきています。
今に始まったことではないのです。

政治が右派と左派、ハト派とタカ派に分かれて、激しい対立と闘争を繰り返していた間、民間は、政治など信用せずに、子どもたちの未来のためにと、必死にみんなが働いていました。
それが経済の高度成長を招きました。
その経済成長に政治が関与した途端、日本経済が崩壊し、今なお日本経済は伸び悩みの時代のまま置かれています。
と言うことは、政治のどこかが狂っている、歪んでいるということです。

歴史的民族的な結合体としての国のことを、英語で「ネイション」と言います。
同じ「国」でも、政治体制のことは「ステイト」と言います。
ですから縄文以来の日本、神武創業以来の日本は「ネイション」です。
時代ごとの政治体制、例えば鎌倉幕府や室町幕府、徳川幕府、明治政府、戦後政府等は、それぞれ日本というネイションの中における、鎌倉ステイト、室町ステイト、徳川ステイト、明治ステイト、戦後ステイトです。

そしてステイトというのは、時代が変化すると、交替が必要になるものです。
その交替を、一滴の血も流さずに実現する。
そのためには、どうしたら良いのか。

けれどその前に大切なことがあります。
それは、「どのような未来を我々が望んでいるのか」ということをはっきりとさせることです。

黒電話が携帯電話になり、私たちは電話番号を暗記する必要がなくなりました。
自動車にカーナビがつくことによって私たちは道を覚えなくなりました。
そしてこれからAIの時代になると、もっと多くの判断が、AIにとって代わられるようになります。

何も考えなくても、AIが全部判断してくれる。
今夜のご飯は何にしようかってAIに聞いたら、AIが栄養状態から予算まで全部検討して答えを出してくれる。
それはもうあと数年で実現できる時代になります。
さらに数十年後には、その食事の支度から洗い物まで、全部AIロボットが代行してくれる時代になります。
私たちのライフスタイルは、これから音を立てて大きく変わろうとしているのです。

そのような大きな変化の中にあって、人間がただのAIの奴隷になる道を選ぶのか、日常の判断業務やルーチンワークから解放された分を、人間がより有効に活用していくようになるのかは、これからより重要なものとなっていきます。

答えのひとつは、AIは、所詮は人間が考えた知識情報の集大成の加工しかできないということです。
けれど人間は、神々と繋がることができます。
そしてそのような未来において必要になるのが、日本にかつてあって縄文型のコミュニティだと言われています。

私たちは今、歴史的大転換点に立っているのです。
そんな大事な時に、ただ悲観しているばかりで、どうする!!と思うのです。

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。