批判と悪口は違います(笑)
批判は客観的な視点から意見を述べることであり、建設的で、多くの場合健康的です。
一方、悪口は攻撃的であり、相手を傷つけたり侮辱したりする意図が含まれます。

悪口が起こる理由には4つの要因があるといわれています。
感情のコントロール不足、コミュニケーションの欠如、低い自己肯定感、社会的影響です。

1 感情のコントロール不足
怒りや嫉妬などの感情でついつい高ぶってしまい、自分の感情を抑えることができずに口に出てしまうようなケースです。つい、カチンときてしまうなんてことは、誰でもありますよね?

2 コミュニケーションの欠如
考えや感情などは、言葉などを通じて人に伝えますが、これには伝えられる側にも、一定の「察する」というスキルが必要になります。
日本文化は、もともと「察する」ことを大切にした文化ですが、戦後の教育ではこうした「察する」力がまったく訓練されないため、相互のコミュニケーションに支障がでることがあります。
結果、自分の思いが適切に伝わらず、つい攻撃的に悪口を言ってしまうことがあります。

3 低い自己肯定感
ありのままの自分を受け入れるのではなく、自分の価値を必要以上に低く感じてしまうと、逆に他人を貶めることで自分の価値を見出そうとしてしまう。そして他人への悪口に走る。これまた現代病のひとつです。

4 社会的影響
周りの人の悪口に釣られて、自分も同調しておもわず悪口を言ってしまうケースです。

ネット言論において、多く見られるのが、このうちの2〜4ですが、冒頭に述べた通り悪口は、基本、攻撃的ですから、そうした人たちの発言は、いきおい相手を傷つけること、侮辱する傾向となり、言葉遣いも感情的で乱暴になります。
そうした感情的な言葉は、傍で見ていて決して気持ちの良いものではないのですが、ネットの場合、匿名性があることに加え、悪口を言っている自分を正当化するために、発言がより過激化し、過激化することによって、その悪口という言説に固執が生まれ、事態をより深刻にしていきます。

いささかカルトじみた発言に思われるかもしれませんが、おもしろいもので、魂の次元には「主語がない」のだそうです。
集合意識という言葉があるように、魂の次元ではみんなが繋がっていますから、他人の悪口を言えば、それはそのまま自分の悪口を言っていることになります。
同様に自分で自分を拒否すれば、周囲からも拒否されることになる。

ですから「あいつはとんでもない奴だ」と言えば、魂次元では「あいつ」という主語がありませんから、自分自身のことをとんでもない奴だと述べていることになるし、その言葉が汚ければ汚いほど、他人を傷つけているつもりでいて、自分を傷つけることになってしまうのです。

そしてもうひとつは、影響の輪です。
いくら関心があっても、自分で影響できない事柄に集中しても、何の影響も効果もありません。
自分で影響できること。
その影響できることで、日本を少しでもよくするために顔晴る。
それこそが、いまの日本に求められていることだと思います。

なにしろ日本は、30年間、所得も上がらず、むしろ下がりっぱなしなのです。
そこから日本を再起三起させていくために、自分できること。それが影響の輪です。

いつの時代も建設は死闘です。
破壊は一瞬だといいますが、その破壊がすでに30年も続いているわけです。
このまま崩壊していくのか。
それともひとりひとりがイマジナル・セルとなって目覚めていくのか。
選択は、他人ではない。
自分自身にあるのだと思います。

そもそも、何が良くて、何が悪いのかなんて、神でもなければわからないことです。
人にできることは、チャレンジしていくこと。
健康な批判を受けて改善していくこともチャレンジです。
悪口に扮動(ふんどう)されずに、力いっぱい前進していくことも、またチャレンジです。

常に前向きでありたいと思います。

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