英国のマコーリー男爵といえば、初代トーマス・マコーリー(Thomas Babington Macaulay)のことを言います。
政治家であり、歴史家であり、詩人でもある人でした。
この人が書いた有名な詩に、『橋の上のホラティウス』という詩があります。
ご紹介します。

『橋の上のホラティウス』
Thomas Babington Macaulay作

 門の守り手であった勇敢なホラティウスは言った。
 「地上のあらゆる人間に遅かれ早かれ死は訪れる。
  ならば、先祖の遺灰のため、神々の殿堂のため、
  強敵に立ち向かう以上の死に方があるだろうか。

  かつて私をあやしてくれた優しい母親のため、
  我が子を抱き乳をやる妻のため、
  永遠の炎を燃やす清き乙女たちのため、
  恥ずべき悪党セクストゥスから
  皆を守るため以上の死に方があるだろうか。

  執政官どの、
  なるべく早く橋を落としてくれ
  私は、二人の仲間とともにここで敵を食い止める。

  路にひしめく一千の敵は
  この三人によって食い止められるであろう。
  さあ、私の横に立ち橋を守るのは誰だ?」

ホラティウスは、いってみれば「ただの門番の兵士」です。
とるに足らない存在かもしれない。
しかしその「ただの門番の兵士」が、悪党から皆を守るために死ぬことを名誉だと言っています。
なぜならそれは、先祖ためであり、神々のためであり、母のためであり、妻のためであり、清き乙女たちのために戦って死ぬ名誉だからと述べています。

誰しも戦いは嫌です。
平和に安心して安全に暮らしていたい。
けれど、その平和が、安心が、安全がおびやかされたときには、勇気を持って戦うことの大切さを、英国人のマコーリーは書いています。

暴力には反対です。
しかし理不尽な暴力に対して武力を用いて戦うことは、暴力ではありません。

ある学校のクラスで、一部の生徒による他の生徒へのイジメが問題になりました。
父兄が集められました。
一部の親から、非行に走る子供に対して、
「先生から厳しく体罰を与えてもらいたい」
との要求が出されました。
多くの父兄がそれに賛同しました。

ところが、
「体罰はいけない。
 ウチでは子供に体罰を与えたことなど一度もない。」
と強硬に主張する一部の親がいました。

このとき出席したあるお父さんは、帰宅後、奥さんにその話をしました。
すると奥さんいわく、
「その反対した親って、
 ◯◯君と◯◯君のお母さんたちでしょ?」
「うん。どうしてわかるの?」
「その子達がイジメの犯人なのよ」

私たち日本人にとっては、しっかりした良い子に育てることが大事です。
どの子も平等に厳しくしつけるのは、あたりまえのことです。
我々日本人がしっかりしなければならないのです。

ケネディ大統領の甥に、マックスウェル・T・ケネディという人がいます。
彼は『特攻-空母バンカーヒルと二人のカミカゼ--米軍兵士が見た沖縄特攻戦の真実』という本を出し、その著書の中で次のように書いています。

「彼らの最後の望みは、
 未来の日本人が特攻隊の精神を受け継いで、
 強い心を持ち、苦難に耐えてくれることだった。
 わたしたちは神風特攻隊という存在を、
 ただ理解できないと拒絶するのではなく、
 人々の心を強く引きつけ、
 尊ばれるような側面もあったのだということを、
 今こそ理解すべきではないだろうか。」

「未来の日本人」とは誰のことでしょうか。
私たちのことではないでしょうか。
そして特攻隊として散華された二十歳前後の若者たちは、いまを生きている私たちに、

「強い心を持て。
 苦難に耐え、
 尊ばれる生き方をせよ」

と呼びかけてくださっているのではないでしょうか。

※この記事は2011年1月のねずブロ記事のリニューアルです。

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