伊藤左千夫の小説『野菊の墓』に、主人公の政夫と民子の次の会話があります。
このとき民子17歳、政夫15歳です。
兄弟同然に育てられた二人は、互いに慕情を抱いています。
二人は畑仕事に行く途中、道端に咲いている野菊を見つけます。

**********

「まア綺麗な野菊、
 政夫さん、私に半分おくれッたら。
 私ほんとうに野菊が好き」

「僕はもとから野菊がだい好き。
 民さんも野菊が好き?」

「私なんでも野菊の生れ返りよ。
 野菊の花を見ると
 身振いの出るほど好もしいの。
 どうしてこんなかと、自分でも思う位」

「民さんはそんなに野菊が好き。
 道理でどうやら民さんは野菊のような人だ」

民子は分けてやった半分の野菊を顔に押しあてて嬉しがった。
二人は歩きだす。

「政夫さん、私野菊の様だってどうしてですか」

「さアどうしてということはないけど、
 民さんは何がなし野菊の様な風だからさ」

「それで政夫さんは野菊が好きだって?」

「僕大好きさ」

*********

と、こういう会話です。
この小説は、小学校のときに読んで、また映画化もされています。
下にYoutubeを貼りました。
映画でも、この通りに描写されています。
とても有名なシーンです。

この会話の意味がおわかりいただけますでしょうか。
女性の方なら説明するまでもないことと思います。
ところが男性にはわからない。

政夫は野菊が好きだと言った。
自分のことを野菊のような人だと言った。
ということは、政夫さんは自分のことを好きだと言ってくれている。

そう思ったから、民子は頬を赤らめて、うつむいて黙ってしまっています。
大好きな政夫さんが、間接的にせよ「自分のことを好きだと言ってくれた」と感じたわけです。

ところがこの会話、政夫の頭のなかでは、「野菊が好き」ということと、「民子は野菊のようだ」ということは、それぞれが独立しています。
つまりこの二つが結びついていません。

もちろん政夫は民子のことが好きなのですけれど、だからといってここで「民子さんが好き」と告白しているわけではないのです。
政夫の頭の中では、民子のこと好きと思う気持ちと、野菊が可愛い花で好きだということ、民子のイメージが野菊のようであるということは、それぞれ独立していて、まったく別なものとして認識されているのです。

だからこのあと、しばらく黙ってしまった民子に、政夫は次のように言います。

******

「民さんは
 さっき何を考えて
 あんなに脇見もしないで歩いていたの」

「わたし何も考えていやしません」

「民さんはそりゃ嘘だよ。
 何か考えごとでもしなくてあんな風をする訣(わけ)はないさ。
 どんなことを考えていたのか知らないけれど、
 隠さないだってよいじゃないか」

「政夫さん、済まない。
 私さっきほんとに考事(かんがえごと)していました。
 私つくづく考えて情なくなったの。
 わたしはどうして政夫さんよか年が多いんでしょう。
 私は十七だと言うんだもの、
 ほんとに情なくなるわ……」

「民さんは何のこと言うんだろう。
 先に生れたから年が多い、
 十七年育ったから十七になったのじゃないか。
 十七だから何で情ないのですか。
 僕だって、さ来年になれば十七歳さ。
 民さんはほんとに妙なことを云う人だ」

*******

民子の頭の中では、自分は政夫さんが好き。
政夫さんも自分のことが好き。
私も政夫さんが好きだから、二人は結ばれたい。
けれど私のほうが歳が多い。どうしよう・・・・、とこのようになっているわけです。

一方、政夫の方はというと、民子のことが好きではあるけれど、野菊が好きと言っただけで、民子に好きだと告げたわけではない。
だから政夫は、先回りして思考が進んでしまった民子の思考についていけず、
「民さんはほんとに妙なことを云う人だ」と述べています。

映画で民子を演じた有田紀子さん

このような男女の思考の微妙な違いは、古来、日本文学で様々な切り口で語られてきたものです。
古くは古事記においても、
 イザナキ、イザナミの思いのすれ違い。
 トヨタマヒメとヤマヒコの、お互いの心のすれ違い
などが描かれていますし、世界最古の女流文学である『源氏物語』も、こうした男と女の微妙な意識差が、ひとつのテーマとなっています。
そしてそんなすれ違いに、多くの読者が共感し、その共感が千年以上にわたって作品が受け継がれているひとつの理由となっています。

ところがこうした「心のヒダのすれ違い」のようなものは、西洋の文学では、ほとんど対象になりません。
イプセンの人形の家のノラも、アンナ・カレーニナも、ハーベイのテスも、あるいはシンデレラのような童話であっても、女性の気持ちと、男性の脳の働きからくる互いのすれ違いは、テーマになりません。
シェイクスピアの『ロメオとジュリエット』にしても、二人が愛し合っていたのはわかるけれど、愛し合いながらも、互いの心のスレ違いに葛藤する男女というのは、そこにはありません。

題材は「物理的に結ばれるか結ばれないか」であり、思慕は描かれても、心のすれ違いは、テーマとして扱われないし、ノラもアンナもテスも、ただただ得体のしれない意味不明の行動をする理解不能な女性としてしか描かれていません。
要するに「手に入れたはずの女性が家を飛び出してしまった。なんでだろう」みたいなものが世界最高峰の西洋古典文学になっているわけです。

これが東洋文学に至ると、女性の気持ちが描かれるということ自体が皆無になります。
楊貴妃にしても、虞美人にしても、そこに本人の意思や思いの描写はありません。
ただ「美しいから武将に愛されている」だけです。

要するに西洋においても、東洋においても、女性は男性にとって、単に略奪の対象でしかないわけです。
それがたまたま女性の側に、その男性を思慕する気持ちがあれば、シンデレラのストーリーになってロマンスになる。
シンデレラは、たまたま男女とも独身で、互いに相手を思う気持ちがあったから、ロマンスです。
けれど王子様は、シンデレラを得るために国中の女あさりをしています。
これがもし、探しているのが妻子ある王であったり、シンデレラは、お城でダンスパーティーがあるというから、美しい衣装を着て踊ってみたかっただけで、他に好きな彼氏がいたとしたのなら、あのガラスの靴による女探しは、とんでもない迷惑ストーカー行為です。

歴史を振り返れば、西洋でもチャイナでも、もともとは、そうした迷惑行為となる女漁りが現実だったわけで、このとき、シンデレラが、王子を拒めば、シンデレラも彼氏も、西洋なら皆殺しにされるし、チャイナなら食べられてしまう。それが現実だったわけです。

そういう社会構造にあって、男女の微妙な心のすれ違いが文学作品のテーマになることは、まずあり得ません。
逆にいえば、冒頭にご紹介したような、微妙な心のすれ違いが、
「ああ、そうだよなあ。たしかにそんなことあるよね」
といった人々の共感を生むということは、日本が築いてきた社会が、とても平和であったということと、男女ともに互いの気持ちを「察する」ことが大事とされる社会環境があったからといえます。

日本は、この「察する」ということを、とても大切にしてきた国です。
それが大切にされなければならないということが、国の上から下まで浸透していたからこそ、冒頭にあるような微妙な会話が人々の共感を生みます。
先回りして思考が働く女性と、誠実だけど不器用な男性。
それが互いに相手の心を察しあう。
その葛藤に共感がある。

日本文学が、妙にねちっこくて嫌だという人もいますが、社会環境を考えた時、この違いは大きいです。
つまり、
気持ちなど関係なく蹂躙されることがあたりまえの社会と、
気持ちこそが大事とされた社会。
そこから生まれる文学は、前者は「ロマンスへの共感」となるし、後者は「すれ違いへの共感」となって現れることになります。

では、なぜ日本では、心こそ大事という文化が育まれたのでしょうか、
その最大の理由が、天皇の存在のありがたさにあります。

日本では、太古の昔に最高位の存在である天皇が、すべての民衆を「おおみたから」としました。
民衆こそが最高の、至上の「たからもの」なのです。
高位高官や文武百官は、すべてその「たからもの」を護り育むためにこそ存在する。
つまり、政府は高官から末端の職員全てに至るまで、そのすべてが天皇の「おおみたから」の番人という理解がなされてきました。

国の形が、人々を大切にするというところから出発しているのです。
そういう国に育った民衆が、相互に人を大切にするようになるのは当然の帰結です。
そしてそれは、国や郷里や友を大切にするというだけでなく、男であれば女を大切にし、女であれば男をたいせつにするというカタチに発展しています。

ところが、そもそも男と女は、冒頭の民子と政夫の会話みたいなもので、頭の構造が違うわけです。
そこに葛藤が生まれる。
その葛藤の中で持って生まれた魂を鍛え、訓練し、自分の魂をより高度なものに成長させていく。
それこそが、魂がこの世に生まれ、生かされていることの理由であるとしてきたのが、日本という国家ですし、そこに日本文化の根幹があるのだと思います。

先日の「女性が輝く時代という欺瞞」という当ブログの記事に、FacebookでEさんとおっしゃる女性が、次のコメントを書いてくださいました。
まったくもって共感できますので、ここに転載したいと思います。

******

「この母にしてこの子あり。」と言われますが
母の苦労が子供で結実し、
その栄光が夫に帰結する。
昔の日本の女性は
そういう家庭の調和を大切にして参りました。
 
この様な黒子に徹した生き方は素晴らしいと思います。
黒子は舞台の進展の要でありながら、
あたかも存在しないかの如く振る舞っています。
 
根は木の根本的な存在でありながら、
地下に身を隠して姿を見せません。
 
経済至上主義社会に於いて
「輝く女性」とは一賃金労働者となる事を意味します。
子供を人に預け(子育ては二の次)、
社会でお金儲けを優先することが
果たして「輝く」と言えるのかな?
と少々疑問です。
 
本来は、お金より
人間の誕生と教育にこそ、国家と世界の運命がかかっております。
お金、生命、愛でどれが大切かなと思うのですが…
 
愛の為に生命があり、生命の為に物があるのですから、
優先順位は愛が一番であり、生命が二番であり、物が三番となります。
その最も尊いものに、
日本の女性は昔から人生を懸けて参りました。
その素晴らしい伝統を守ってきた女性が
最も輝いてきたと思います。

******

人類社会は、物理的に支配し支配される世界を、この数千年間築いてきたといえます。
それは、上に立つ者であれば、下の者をすべて蹂躙して構わないとされる社会です。
戦争も、究極を尋ねれば、ごく一握りの人たちのための支配のための奪い合いでしかない。
それによって多くの若者達が動員され生命を失ってきました。

最近、講演などでよくお話させていただいている「多数決型民主主義」もまた同じです。
以前にも書いたので繰り返しは避けますが、多数決により勝者と敗者が生まれることが繰り返されることは、結局はゼロサムゲームであり、最後には決議に参加する全員が力を失うことになります。
つまり、多数決型民主主義は、これを後ろで操る、ごく一握りの人たちが、支配を確実にするための方便でしかないことがわかります。

だからこそ、ここで踏みとどまって考えてみたいのです。
現代世界で「正しい」とされているこうした理屈は、さかのぼってもせいぜい300年の歴史しかないものです。
そしてその300年を振り返れば、世界の歴史は、そのまま戦争の歴史です。
さらに時間軸を伸ばして、3000年というタームで世界を眺めれば、これまた世界は戦争の歴史です。

ところが日本は、縄文と呼ばれる時代、万年の単位で戦争や殺し合いのない社会を築いてきた歴史と実績を持ちます。
その時代がどのくらい続いたかといえば、
ついこの間までは、縄文時代の始まりはおよそ1万6500年前とされていましたけれど、近年では、3万8000年前から、すでに人が人を殺すことのない、思いやりこそをたいせつにする社会が営まれていたことが判明しています。
つまり、縄文時代の始期は、いまから3万8000年前であり、およそ3000年前の弥生時代の始まりまで、およそ3万5千年という途方もなく長い期間、我が国は、人が人を殺すという文化を持っていなかったのです。

ここでいう「我が国」というのは、いまの日本列島に制限された日本ではありません。
まだ国境というもの自体がなかった時代のことです。
その時代に、我々の祖先は、海洋民族として、世界の海を駆けていたのです。

そしてその根幹にあったのが、神とつながり、スメラミコトと呼ばれた天子さまであり、生活習慣としての惟神の道であったのです。
神道は、宗教ではありません。

宗教とは、幕末の英語の「religion」の翻訳語で、めぐりめぐって、神とふたたび結びつけるという意味の言葉です。
そのもともとの、つまり再び結びつけるおおもとにあるものが、惟神の道です。
現代風に言うなら、これは信仰ではなく、生活習慣です。
その本質は相手に寄り添い、相手の立場に立つことにあります。
ところがこれがなかなかむつかしいことだから、古来、それが日本文学のテーマとされてきたのです。

野菊の如き君なりき (1955年) - 木下惠介

https://www.youtube.com/embed/qa1UHXch1VU?si=RktPu5HBZGle7ESv

※この記事は2015年11月のねずブロ記事を大幅にリニューアルしたものです。

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