戦いのさなかに、立ったまま絶命した中佐がいます。
それが「軍神・杉本五郎中佐」です。

杉本中佐は、広島の三篠(みささ)町で生まれ、天満小学校に通いました。
広島修道中学を経て、陸軍士官学校(33期)、陸軍戸山学校を卒業し、昭和12(1937)年8月、第二次上海事変の勃発のときに、長野部隊第二中隊長として広島の宇品港から上海に向かいました。

中佐の部隊は、長城山岳戦料子台の戦闘を始めとし、北支の各地で敵中深く肉弾突入を果たしてたいへんな軍功をあげました。
このときについたアダ名が「死之中隊」です。
いかにすさまじい奮迅の戦いをしていたかがわかります。

山西省の要衝である蔚閣山高地の攻略戦では、杉本中佐は岩壁をよじ登り、敵兵約600がいる陣地に肉弾突入しています。
このとき敵が投げた手榴弾が、杉本中佐のすぐ脇で爆発し、隊長は、爆風で吹き飛ばされました。

ところが杉本中佐は、軍刀を杖にして立ち上がると、皆に号令をかけました。
そして東方の皇居の方角に正対し、挙手敬礼をし、そのまま動かない。
周りにいた部下たちが、動かない中佐を見ると、なんと立って敬礼したままの姿勢で絶命していたのです。
享年38歳でした。

杉本中佐には4人の息子さんがいました。
中佐は亡くなる直前まで、その息子さんたちに、20通の手紙を送りました。
戦友たちは、遺書ともいえるその手紙を『大義』という名の本にして出版するよう、家族に奨めました。
『大義』は昭和13(1938)年5月に出版となりました。

この本は、終戦までのわずかな期間の間に29版を重ね、130万部を超える大ベストセラーになりました。

この本の緒言(はじめ)に「父・五郎」の名で、次の文章があります。
現代文に訳してみます。
冒頭のところだけです。
全文は原文で末尾に示します。

 ****

【緒言】
私の子、孫たちに、
根本とすべき大道を
直接指導する。

名利など、なにするものぞ。
地位が、なんだ。
断じて名聞名利のやからとなるな。

武士道は
我が身を犠牲にする心(義)である。
義の、もっとも大事なものは、
君臣の道である。
出処進退のすべては、
もっとも大きな
大義(君臣の道)を根本とせよ。

大義を胸に抱かないなら、
我が子、我が孫と名乗ることは許さない。
たとえ貧乏のどん底暮らしとなったとしても、
ただひたすらに大義を根幹とする心こそ、
私の子孫の根底である。

(原文)
吾児孫の以て依るべき大道を直指す。
名利何するものぞ
地位何物ぞ
断じて名聞利慾の奴となる勿(なか)れ。

士道、義より大なるはなく
義は君臣を以て最大となす。
出処進退総べて大義を本とせよ。
大義を以て胸間に掛在せずんば、
児孫と称することを許さず。

一把茅底折脚鐺内に野菜根を煮て
喫して日を過すとも、
専一に大義を究明する底は、
吾と相見報恩底の児孫なり。
孝たらんとせば、大義に透徹せよ。
 *****

杉本五郎中佐は、勇猛果敢に部隊を指揮し、常に戦いの先頭に立ち、そして手榴弾を浴びて、これが我が命の最後と悟った時、皇居に向かって挙手敬礼による皇居遥拝を行い、立ったまま絶命されました。
彼も軍人ですから、決して豊かな生活をしていたわけではありません。

杉本五郎中佐は、我が子への遺言に、
「断じて名聞名利のやからとなるな」
と書きました。
そして死の瞬間には、壮絶な姿で高い精神性を見事に発揮してみせました。

なぜ、杉本中佐は、それだけの精神性を保ち得たのか。
その答えが、中佐の遺した『大義』の第二章に記されています。
現代語訳してみます。

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第二章 道

天皇の大御心に然(そ)うように、
「自分」を捨て去って行動することが、
日本人の道徳である。

天皇の御意志・大御心とはいかなるものか。
その答えは御歴代皇祖皇宗の御詔勅にある。
その詔勅のすべてが大御心の発露である。

わけても明治天皇の教育勅語は、
最も明白に示された大御心の代表的なるものである。
天皇の御意志は教育勅語に直接明確に示されているのである。

おまえたちは教育勅語の御精神に合うように
「自分」を捨てて行動せよ。
それが日本人の道徳である。

教育勅語の根本にある精神は、
個人の道徳観の完成ではない。
天壌無窮の皇運扶翼にある。

天皇の御守護のために、
老若男女貴賤貧富にかかわらず、
ひとしく馳せ参じ
死ぬことさえもいとわない。
これが日本人の道徳の完成した姿である。
つまり天皇の御為めに死ぬことである。

天皇の御前には、
「自分」とか「自己」とか「私」とかは無いことを自覚せよ。
「無い」ということは、
億兆と、その心が一体であるということである。

我々は、天皇と同心一体であることによって
日々のすべての生活行為が、
ことごとく皇作、皇業となる。
これが日本人の道徳生活である。

ゆえに日本人の道徳生活必須先決の条件は、
「自分というものを捨て去ること」にある。
すなわち「無」なりの自覚に到達することである。

(原文)
天皇の大御心に合ふ如く、
「私」を去りて行為する、
是れ日本人の道徳なり。

天皇の御意志・大御心とは如何なるものなりや。
御歴代皇祖皇宗の御詔勅、
皆これ大御心の発露に外ならず。

別けて明治天皇の教育勅語は、
最も明白に示されたる大御心の
代表的なるものと拝察し奉る。

換言すれば天皇の御意志は
教育勅語に直截簡明に示されある故に、
教育勅語の御精神に合う如く
「私」を去りて行為すること、
即ち日本人の道徳なり。

而してこの御勅語の大精神は
「天壌無窮ノ皇運扶翼」にして、
個人道徳の完成に非ず。

天皇の御守護には、
老若男女を問はず、
貴賤貧富に拘らず、
斉しく馳せ参じ、
以て死を鴻毛の軽きに比すること、
是れ即ち日本人道徳完成の道なり。

天皇の御為めに死すること、
是れ即ち道徳完成なり。

此の理を換言すれば、
天皇の御前には
自己は「無」なりとの自覚なり。

「無」なるが故に億兆は一体なり。
天皇と同心一体なるが故に、
吾々の日々の生活行為は
悉く皇作皇業となる。
是れ日本人の道徳生活なり。
而して日本人の道徳生活必須先決の条件は、

「無」なりの自覚に到達することなり。

ひとつ間違えてはいけないのは、ここでいう我が国の天皇というのは、戦後の解釈としての象徴人でも、西欧的解釈による現人神でも、あるいは昭和天皇、今上陛下といった特定個人を指しているのはないことです。
「私」がないということは、天皇を個人としてみるのではなく、どこまでも「天皇という存在そのもののありがたさ」を肝に銘じることです。

戦後蔓延した「俺が俺が」という生き方は、本質的に日本人の体質とは異なるものです。
なぜなら日本人は、私心を捨て、無になることによって、億兆心を一にする民族だからです。

私有民というのは、権力者の私有物のことです。
要するに奴隷です。
日本には誰一人奴隷はいません。
なぜなら権力者よりも上位に天皇という存在があり、その天皇が、民衆を天皇の「おほみたから」としているからです。

つまり日本人は、はるか上古の昔から、私有民ではなく、ひとりひとりに人としての尊厳が与えられてきたのです。
ですからわざわざ「俺が俺が」と自己主張する必要がなかったのです。

このことを詰めて言うと、
======
天皇の御前に、 「自分」とか 「自己」とか 「私」とかを 一切存在させてはならない
======
ということです。

そして「何も無い」ことを自覚することによって、億兆とその心が一体になります。
理由は「ゼロ」だからです。
「ゼロ」は何万個足しても「ゼロ」です。

つまり、日本人の日本人的生き方の先決条件は、
「自分を捨て去ること」
すなわち「無」であることを自覚することにあると、杉本中佐は説いているのです。

杉本五郎中佐は、軍神となり、御霊は靖国に祀られています。
墓所は、広島県三原市高坂町にある佛通寺です。

戦後の日本人は、あまりにも「個人主義」に汚染されすぎたように思います。
これからの日本人が、もともとの日本人としての精神性を取り戻すなら、我々は「ゼロ」であることを再自覚していかなけれなりません。

保守の活動家を中傷する人たちがいます。
それは保守と呼ばれている人たちの中にもいます。
「俺が、俺が」という自己中心の姿勢なら、中傷を受ける人にとって耐え難い苦痛になることでしょう。
しかしもとより自分を捨ててかからなければ、大きな仕事などできるものではありません。
そして自分を捨てたなら、人から何を言われようが、まったく痛痒はありません。
なぜなら「0」は、どんな数で割り算しようとしても、答えは「ゼロ」のままだからです。

すでに過ぎ去った過去にいつまでも引きずられたり、未来の夢ばかりを見ていて現在をみようとしないのも、「ゼロ」ではないからです。
過去現在未来を、直線上の一本の時間軸と仮定するなら、いま(現在)はプラスマイナス0ポイントです。
その「いまこの瞬間を心を無にして生きる」ことを、古い用語で「中今(なかいま)に生きる」と言います。

0(ゼロ)は、掛け算しても答えはゼロです。
何も変わらない。
0は、+(たす)か、−(ひく)かする以外、次のステップに進むことはできません。
つまり、±どちらに転ぶにしても、一歩ずつしか進めない。

マイナス方向に進もうとすれば、行き着く先はどこまでもマイナスです。
プラス方向に進もうとするなら、確実に進歩していくことができます。

会社でもそうですが、上司の愚痴や文句ばかりを言って仕事をしない社員は、会社にとって害毒でしかありません。
自ら努力を怠らず、会社を支えようと必死になって働く社員こそが、会社の発展の役に立ちます。
国もおなじです。
国や政府の悪口ばかりを言っていても、国が発展することは一切ありません。
そういう文句屋さんに政権を委ねたらどうなるかは、民主党政権の悪夢がこれを証明しています。
愚痴や文句ばかりを言い続けた平成の30年間がどうなったかは、結果が明らかです。

杉本中佐は幸せな男であったと思います。
私心を捨て、信念に生き、そのまま息絶えたからです。
人は神様になるためにこの世に生きています。
彼は、神となりました。
素晴らしいことだと思います。

君臣の道を常に根本に置く。
古典の解釈も、結局はそこを根本としなければ解釈を誤ります。
古事記も万葉集も、残念な解釈しかできなくなります。
心の置き場所が間違っているからです。

肉体は魂の乗り物です。
我々臣民にとって、魂を清く保つ方法はただひとつ。
心を無にして君臣の道に連なることです。
杉本中佐はそのように生きました。
自分もまた、杉本中佐をお手本に生きたいと思っています。

※この記事は2013年10月の記事のリニューアルです。

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