沖縄の琉球民族だとか、アイヌが先住民族だとか、やたらに「民族」という言葉を口にする人たちがいます。
「民族」を辞書で引くと、
「人種的・地域的起源が同一または同一であると信じ、
 言語・宗教などの文化的伝統と、
 歴史的な運命を共有する人間の集団」と書かれています。

実はこの「民族」という思想こそが、きわめて危険な思想です。
なぜなら「民族」には「線引をすることができない」という特徴があるからです。

血族なら、誰が親なのか証明が可能です。
昔はこれを「姓(かばね)」と言いましたが、この字は女性から生まれたという形になっています。
同じ女性から生まれた血縁集団が「姓」です。

ちなみに昨今、このような感じの由来の話をすると、「このオヤジがまたいい加減な漢字の由来の話をしている」などとディスるコメントが付いたりします。
けれど漢字は、よく見れば部品の集まりです。その部品の意味を組み合わせているから、多くの漢字のことを「会意形声文字」と言います。
「姓」という漢字など、誰の目にも見たら明らかです。

またあるいは「証拠のないことを言っている。そんな解釈がどの本に書いてあるのだ」とディスる人もいます。
そうした人たちは、どこぞの大学の教授が書いた本を参照文献にすれば、それが証拠だというように思っておいでのようですが、それは理系の場合です。
文系の場合は、どんな偉い先生が書かれた本であったとしても、その本の中には「事実」と「論」があります。
「論」はあくまで歴史の解釈であって、事実ではありません。
そのような「論」に自説を重ねても、それは「屋上に屋を架す」ことにしかなりません。
加えてそうして先生方のこれまでの解釈に矛盾があると思うから、あらためて「事実」に基づいて「論」を組み立てているのです。

もっと言うなら、「論」に対して「論」で抗するのは、学問の世界では必要なことです。
すべての論説は、袋叩きにさえみえるほどの反対尋問にさらされて、その反対尋問をことごとく退けて来たときに、はじめて、ひとつの「説」として定着します。
けれどそうして展開された「説」さえも、歴史学の世界では5年も経つとゆらぎはじめ、20年もするとまったく否定されることになります。
学問の世界は、その意味で日進月歩なのです。
それを、昔書かれた本に違う説が書かれていたから、あんたの言うことは違う!などというのは、およそ思考停止というものです。

ちなみに、論に対して論を返すことは、学問の世界では必要なことです。
ただし、その際に相手に対する人格攻撃はしてはいけない。
これが万国共通のルールです。
このルールを破って、平気で人の人格攻撃をしているのは、現在のところ日中韓だけだと言われているのだそうです。
日本が国際社会で中韓なみに見られてしまうのは、福沢諭吉の『脱亜論』を持ち出すまでもなく、残念なことです。

さて、大幅に脱線してしまいました。
民族の話に戻します。

氏族も、同じ素性を持った人たちですから、これまた証明が可能です。
甲斐の武田家の家臣団であれば、誰と誰と特定ができます。

ところが民族になると、沖縄知事みたいな人が、わざわざ国連にまで出向いて「琉球民族は日本民族とは異なる」などと発言したりしましたが、では、その琉球民族とは誰のことなのか、というと、その特定ができません。

沖縄県出身者という意味で言っているなら、東京にも大阪にも札幌にも福岡にも、沖縄県出身者はいます。
いま沖縄に住んでいる人という意味なら、本土から移り住んだ人や、選挙工作やデモのためにアルバイトで入り込んでいる左翼の工作員たちも、みな琉球民族です。
先祖代々の沖縄に住む人が琉球民族であると言っても、ではそういう方が本土の人と結婚したら、生まれた子供は琉球民族なのでしょうか、それとも大和民族になるのでしょうか。

ちなみに、この「琉球」という用語を用いることに抵抗を示される方もおいでになりますが、古くは「琉球」は「流求」と書かれていました。
「流求」の初出は、7世紀に書かれた『隋書巻81列伝第46東夷伝』です。

ところが十四世紀後半の明の時代に、琉球三山時代に沖縄にあった3つの王朝(流求國山北王、流求國中山王、流求國山南王)の冊封を明が認めます。
このときに、明が冊封国の証として「流求」に「王偏」を付けて「琉球」とする表記を認めました。
つまり「琉球」は、明国の属国であることを意味する表記となります。

ちなみに沖縄のある諸島のことを「琉球諸島」と呼びますが、この言い方に一部の方々が抵抗を示されるのは、その呼び方が、チャイナの属国であることを認めるような表記になっているからです。
ただし、「琉球」と王編を付けたのは「明」であって、現代チャイナの「中華人民共和国」とは何の関係もない国です。

話を戻します。
隋書は、「流求」と書いたのですが、チャイナの歴代王朝は、周辺国を蛮夷とみなして、ろくでもない字を当てるのが常でした。
「流求」の音は「りゅうぐう」です。
我々日本人が「りゅうぐう」と聞けば、それはどう考えても「竜宮」です。
日本人にとって「竜宮」は、海大神(わたつみのおほかみ)が暮らす竜宮城のある場所のことです。

竜宮城と日本人は、古代以前の神話の時代から深いつながりがあります。
そもそも海幸彦の妻であった豊玉姫も、子を生んだ玉依姫も、竜宮の出身です。
つまり竜宮は、古代や神代から、我が国ご皇室と深いつながりがあった場所なのです。
竜宮、すなわち琉球は、まさに上古の昔から倭国の文化圏にあった倭国の一部そのものなのです。

少し付言しますが、我が国は「まばたき三千年」と言われるほど、歴史の古い国です。
万年の単位で続く我が国では、地形も海面の高さも、大昔にはいまと全然違っていたし、年間の平均気温も、氷河期の時代もあれば、高温期の時代も経験してきています。

なにしろ日本列島全体で、人口が8万人程度であった時代のことです。
しかも魚を獲って暮らしていれば、寒冷期になって魚たちが南へと移動すれば、集落もまた南へと移動します。
逆に高温期になれば、北へと移動します。
ヒートテックなんて衣料がまだなかった時代なのです。
しかも魚たちは、水温の変化にとても敏感です。
いまでも、たとえば伊勢海老は伊勢の名物でしたが、最近では伊勢海老は千葉県から茨城県のあたりに移動しています。
人も魚も動く生き物です。
海の大神の神殿も、長い歳月の間に、南北に移動していたと考えるのが適切です。

沖縄が竜宮と申し上げましたが、記紀には海の大神の神殿には高い塔があったと書かれています。
たとえば日本書紀には「其宮也、雉堞整頓、臺宇玲瓏」と書かれています。
ここに使われている「臺」というのは、高い塔を意味する漢字ですが、縄文時代の遺跡で、高い塔を持つことが確認されている遺跡のひとつが、青森県の三内丸山遺跡です。
つまり、気温変化とともに、海の大神の神殿は、北は青森から、南は沖縄まで移動していたとも考えられるのです。

現代の沖縄では、琉球と呼ぶことに反対する人たちが「沖縄と呼べ」とおっしゃいます。
では「沖縄」という表記が歴史上、いつ書かれたものかというと、1719年に新井白石が、『南島誌』の中で『平家物語』に登場する「おきなわ」を「沖縄」と記したのがはじまりです。

では「おきなわ」という呼称そのものがいつのものかというと、これが8世紀です。
淡海三船(おうみのみふね)が記した鑑真の伝記の『唐大和上東征伝』(779年)にあります。
鑑真らが、島民に
「ここは何処か」
との問うたところ、島民が
「阿児奈波(あこなは)」
と答えたというのです。
つまり、「あこなは」というのは、方言で「吾子の名は」、つまり「私の名前は○○」と答えたわけで、○○のところには、太郎とか花子という名が入っていたのかも知れないものを、はじめの「私の名は」のところが、名前なのだと鑑真の通訳が勘違いしたことにはじまる名称ということになります。

というわけで、歴史的にみれば、そこは琉球でも沖縄でもなく、竜宮です。
沖縄の歴史はとんでもなく古いのです。
そもそも沖縄には、天照大御神が沖縄におわしたという神話があります。
天の岩戸もあります。
このことは現代の沖縄県民の方も誇りに思って良いことだと思います。

いずれにしましても、民族(エスニック)という概念は、血は交じるものですから、どこからどこまでがその民族にあたるのかという特定が、きわめて困難です。
つまり、特定できないものを、あたかも「民族(エスニック)」という特定できるものであるかのようにことさらに主張するのは、実は、自己の利益や欲得のために人心を惑わす、とんでもなく悪質な行為ということになります。

さらにやっかいなことには、日本語の「民族」と、西欧における「エスニック(Ethnic)」がまた、意味が全然異なります。
「エスニック」の語源は、ギリシャ語の単語「エトノス(ethnos)」で、この単語が後に「異教徒」を意味する古代ギリシア語の「エスニコス(ethnikos)」になりました。
つまり「エスニック」というのは、異民族であり異教徒が語源になっているわけです。
西欧の人は、アフリカや東南アジアの人々のことを「エスニック」と呼びますが、これは「異教徒」であり、「異教徒」は、神との契約がない人々ですから、人間ではない、ということになります。
ここから18世紀から20世紀にかけての西欧では、人類というのは白人種のことをいい、黄色人種や黒色人種は、その白人種が人間であることを否定して退化してできた変種であると考えられていた歴史があります。

一方、日本語の民族は、「民(たみ)=田んぼで働くみんな」の一族という意味ですから、基本的に血縁関係者を意味します。
そもそも言葉の成り立ちも概念も、両者は全然違うものなのです。

日本語の「民族」は、言葉の意味からすると英語の「ネイション(Nation)」の方が意味が近いかもしれません。
「ネイション」の語源は、ラテン語の「natio」で、「出生」や「起源」のことです。
ここから中世ラテン語では「民族」や「国家」を意味するようになり、英語においても同様の意味を持つようになりました。

たとえばフランスの場合、もともとフランスのエリアには77種類もの異なる言語を話すネイションがありました。
これらを政治的に統合してフランスが誕生するのですが、こうしてできた国のことを「ステイト(State)」と言います。ステイトとは、政治体制のことを言います。

その意味では、日本もまた、かつては血縁社会で、地方ごとに方言がありました。
それらを統合して古代大和朝廷が生まれ、日本は統一国家になるのですが、その意味では、全国の諸藩がネイション。統一国家としての幕府や朝廷がステイトであったという見方も、あながち間違いではありません。
ただし、日本の場合は四方を海に囲まれているため、それぞれに血が混じり、現在の日本人は全国民が、血の繋がった、いわば親戚となっています。
このように考えると、日本は縄文以来の、ネイションであり、江戸時代には徳川ステイト、明治以降は薩長ステイト、戦後は米国隷属ステイトといった政治体制にある、という見方が正解ということになります。

先年、沖縄知事が、わざわざ国連にまで出かけて行って、
「沖縄民族(沖縄エスニック)は、大和民族(大和エスニック)によって、意思に反して無理やり併呑されたのだ」などと述べてきたことがありましたが、世界の常識からすると、これは物笑いなことであったといえます。
なぜなら「エスニック」という用語は、先に述べましたように「人でない者」を意味する用語です。
ということは、沖縄県知事は「自分たち沖縄の人でなしは、大和の人でなしに無理やり併呑されたのだ」と述べたことになります。
つまり西欧圏の言葉の常識からすれば、これは人でなし同士の見にくい争い、もっというなら動物の世界の縄張り争いのようなものということになり、そうであれば、自然界の動物たちの営みに「人間は関与すべきではない」ということになるのです。
つまり、沖縄県知事は、国連に何をしに行ったのか、まるでわからない(笑)。

もし仮に、沖縄知事が言うように、エスニックの単位で独立しなければならないというのなら、フランスなどは、それこそ77カ国に分割しなければならなくなります。
アメリカ合州国のように、そもそも多民族共同体としてスタートした国家も、存在すらできなくなり、英国もまた、複数の種族が混ざり合う国です。

21世紀となる現代に於いて、純粋にひとつのエスニックで国家(ネイション)が形成されている国など、そもそも存在しません。
いま世界に国連非加盟国を含めておよそ220の国がありますけれど、言語は、およそ7千種の言語があります。
ネパールのような小さな国でも、120以上の言語が存在しています。

要するに、「エスニックは独立する必要がある」という沖縄知事の議論は、世界の常識からしてみれば、世界を破壊するテロリストの主張にほかならないのです。
逆に日本政府は、なぜ彼らのようなテロリストを自由にしているのだ?とむしろ疑問を持たれる行動であったわけです。

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