すこし昔の話の、筆者もまだ若くて現職の若手サラリーマンだった時代のことです。
まだ、モーレツ・サラリーマンという言葉が、生きていた頃です。
バブル前の時代、といったほうがわかりやすいかもしれない。

あるとき関西圏である事件が起きました。
役員さんからの命令で、急遽、課長と2人で関西に出張になりました。
当時の私は主任です。
課長は、雲の上の人です。

新幹線で午後には大阪の支店に到着すると、そこにはすでに、関西一円の大物支店長さんが、ずらりと勢揃いしていました。
そして当該問題に関する資料を、全員が持ち寄っていました。

早速、会議が始まりました。
始まるとすぐに、課長から、
「おい、この資料を全部コピーしてこい」
と命令されました。

この時代、まだオートカットシーダなどなかった時代です。
コピーは、1枚1枚、手差しで行います。
各支店の資料は合計で千枚以上もありました。
コピーにはとても時間がかかりました。

コピー機は会議室の外にあります。
資料を持って会議室から出て、支店のコピー機を借りてひとりでコピーを取っていると、支店の女子社員がやってきて、にこやかに、「コピー、代わりましょうか?」と声をかけてくれました。
とってもうれしかったけれど、機密資料です。人任せにできません。
だから「ありがとうございます。大丈夫です。自分でできますから」と答えて、ひたすらコピーを取り続けました。

ようやく全部のコピーをとり終わって資料を会議室に持っていきました。
すると、すでに会議は終わっていました。
もう席からも離れて、みなさんでゴルフがどうのと雑談されていました。

「課長、コピー、済みました。」
「ご苦労。じゃあ今日の会議内容を、
 明日の朝までに
 報告書にまとめておいてくれ」
「自分は会議中コピーをしていて
 会議の内容をまったく把握していませんが。」
「やかましい。俺がやれと言ったら、やれ。
 以上だ!」

出席もしていない会議の会議録を作れというのです。
誰がどのような話をしていたかなどまったく知らないし、わからない。
なのに報告書をまとめろ!というのです。
ある意味、理不尽きわまりない(笑)

でも上司の命令です。
できませんとは言えないから、「わかりました」と答えて、どう書こうか考えていたら、
「みんなで飯を食いに行くから、お前も来い!」

関西圏の大物支店長さんたちと一緒に、これから晩飯に行くというわけです。
食事が終わって、さあ、ホテルに帰ってレポートを・・・と思っていたら、そのままみなさんで二次会へ。
結局、三次会まで付合わされて、ようやくホテルに帰ったのが、午前2時過ぎでした。

もともとお酒に弱いのに、無理に飲まされたから、もう目の前がグルグルまわっています。
ところがホテルのロビーに着くと、課長いわく、
「明日は大阪支店で8時から会議だから
 7時半にロビーで待ち合わせにしよう。
 それまでに今日指示した会議報告をまとめておけ!」

目の前がぐるぐる回っている状態でやっとの思いで部屋にたどり着いて、さて、机の上に書類を広げて報告書をまとめようとしても、酔っ払っていて、文字になりません。
(当時は、報告書は、まだ手書きの時代です。)

仕方がないから、少しだけ横になることにしたのですが、ベットで寝てしまったら熟睡してしまいます。
ですから、椅子に腰掛けたまま、すこしだけ仮眠を取ることにしました。
それが、午前2時半頃。
1時間半ほど仮眠をとって、4時に起き出し、シャワーを浴びて、すこし酔いが抜けたところで、その日、コピーした資料に目を通し、各支店ごとの概況を報告書に書き、また今後の対策として5項目の決議事項を書きました。

書き終わったのが、朝の7時です。
支度をして、7時半少し前にフロントに降りていくと、そこにはもう課長が待っていました。
テーブルの上には、タバコの吸殻が2本ばかり。
(この当時は、ホテルのフロントで喫煙が普通でした)

てことは、7時には課長はフロントに降りてきていたということになります。
レポートができてるのか、心配だったのでしょう。

「おはようございます」
「おはよう。報告書はできたか。」
「はい。こちらに。」
「見せてみろ」
「はい。」
「うん。これでいい。
 じゃ、行くぞ」

というわけで、支店に行き、朝8時の会議で関西全域の支店長さんたちに、報告書のコピーを配って、今後の対策の5項目の実施が命じられ、9時には新大阪の駅で新幹線に飛び乗って、11時半には東京の本社の役員会議室で、報告会議となりました。

今思えば、とても貴重な、良い経験をさせていただいたと思います。
このとき会議に出てもいない私が書いた報告書は、今後の対策までもが述べられていたものでしたが、要は、そこが問題ではなかったのです。
今後の対策といったって、状況次第では、対策も変わるのです。
現状の状況分析や問題点の抽出、そして今後の展開の構築は、あくまで「その時点における方法論」にすぎません。

事態は刻々と動きます。
その瞬間の現状把握と、最善と思われた方法は、次の瞬間には、即座に変更を余儀なくされることもある。
今後の対策と言ったところで、そんなものは情況が変化すれば、たちまち役に立たなくなるのです。
現時点における問題点の抽出にしても、問題を深堀りすれば、まだまだ、奥からいくらでも問題は出てきます。
そういうものなのです。

大切なことは、問題意識の共有と、何が何でも解決するのだという姿勢の共有化、そしてそのための本支店間の完全な連携と、そのための意識の共有化です。

目的は問題の解決にあります。
解決のための方法論は、そのための手段のひとつにすぎないものであり、状況に合わせて変化するものです。
筆者の報告書の作成は、そういう意味では、あくまでその時点のものでしかありません。

一方、課長が行ったのは、
1 「事態を解決する」という本社の明確な意思の現場への徹底
2 そのための本支店間、および支店間の境界の撤去
であったのです。

繰り返しますが方法、つまりハウツーは、情況が変化すれば変更しなければならないものですし、個別の事件によって細かな調整が必要なものです。
つまり事態の解決のための方法に、あらかじめ定まったものなど、ないのです。

いま把握している事態は、現時点から見た、過去の状況です。
問題解決するためには、現時点から先の対応が必要です。
しかし問題がまだ流動的な段階では、事態を抑えるための緊急措置は必要ですが、方法論としての抜本的な解決策など「ない」のです。
あるのは、その瞬間に集められた情報に基づいて、その時点で最善と思われる手段を講じること。
その手段は、次の瞬間には、変更を余儀なくされることも想定されます。

つまり計画が立てられない状況にあるのですから、事態が動いている間には、ときに朝令暮改のようなことも起こり得るわけです。
そして朝令暮改は、本支店間の結合(むすび)を断つことにもなりかねません。
つまりそれは、全社一丸となっての事態の解決の障害となることになります。
本支店が一丸となって「問題を解決する」という鉄の意志の徹底こそが大事なのです。

そしてこのときの役員さんの命令、そして課長の命題は、まさにその鉄の意志を明確に現場に伝えることにあったわけです。
事態は数字でわかります。
今後の対策、つまりハウツーは、報告書の形式として書かれていても、そのようなものは、流動的なものでしかない。
たいせつなことは、絶対に解決するという意思を、本支店間で完全に一致させること。
そこにあります。

こうしたことを、若い頃に経験させていただいたことは、本当に幸せなことであったと思います。

近年は、いわゆるハウツーものが大流行で、誰でもその通りに実践すれば幸せになれる、事業に成功する、人生に勝利できるなどといった標語が並んでいます。
しかし、人生にしろ仕事にしろ、人によってその影響力は様々だし、市場は常に変化します。
「成功の法則」は誰もが欲しがりますが、現実にはその人にとっての「成功の法則」など、存在しないのです。

成功者が語る成功の法則も、たまたまその人が、それで成功しただけであって、それは、その人がたまたまコイン1枚の表裏の占いで宝くじを買ったら1等が当たったからと、コイン占いの方法を語るようなものでしかないのです。
では何が必要なのかといえば、それは、その瞬間瞬間に、最善を積み上げていくしかないのです。

この「解決のため」というのが目的であり目標です。
そして「最善と思われる事柄の積み上げ」のことを、ブリコラージュ(Bricolage)といいます。
日本語的な言い方をするなら「積小為大」です。

ブリコラージュは、フランス語で「繕(つくろ)う」ことを意味する言葉です。
理論や設計図に基づいて物を作る「設計(コンセプション(Conception)」とは対照的に、その瞬間瞬間の最良を積み重ねることで目的を達成しようとするものです。

建築物のようなひとつのハードを建造するようなときには、設計(コンセプション(Conception)と、これを形に表した設計図(プラン)が必要です。
しかしそれができるのは、物事が流動的でない場合だけです。
つまり、どこにどのような建物を建てるのかといったことがあらかじめ定まっている場合なら、コンセプションとプランは有効です。
要するに、用地があり、完成予想図が確定しており、それに応じた予算もちゃんと手当できていれば、それらはきわめて有効です。

しかし、多くの場合、曖昧に、家や会社社屋を建てたい、というぼんやりとした目的があるだけで、完成予想図もなければ、予算もない。
事件を解決したいという目的があるだけで、誰が犯人か、どのようにして逮捕したら良いかもわからない。
わからなくても、捜査は開始しなければならない、というのが、普通にあることです。
そしてそれが、大勢の人が参加するプロジェクトなら、まずはみんなの気持ちを、ひとつの目的に絞ること・・・つまり的(まと)を絞って、それを的にすることに、全員の合意を形成することです。

そこにバスケットボール部という部会があり、そこに学校で鼻つまみの不良が揃っている。
練習もろくにしないから、試合に勝てるはずもない。
勝とうという気持ちもない。
ただ、どこかの部に所属していなければならないから、そこに集まっている。
これでは、戦いに勝つことは、まずできません。

だからまず、全国大会に出る、あるいは優勝するという目標を掲げる。
そして全員の合意を形成する。
これができて、はじめて、練習プランが生きてきます。
合意の形成もないのに、先に詳細な練習プランなど作っても、誰もそれを実行しないなら、プランに何の意味もないのです。

つまり、ハウツーよりもまえに、まずは、ひとつの目標に向かう心を一致させること。
そのために、最善と思われる事柄を積み上げる、つまりブリコラージュ(Bricolage)する。
そうしてはじめて、設計(コンセプション(Conception)と、これを形に表した設計図(プラン)が生まれるのです。

ハウツーというのは、その設計図の書き方とか、設計の仕方のテクニックのことをいいます。
しかしそのようなテクニックをいくら知っていても、それはスマホやパソコンの中に、使えもしないアプリをたくさんダウンロードしているようなもので、ただ持っているというだけで、何の足しにもならない。

その意味で、ハウツーよりも前に、実はもっと大切なことがあるのだということを、私達は知っておく必要があると思います。

日本を取り戻したい。
それは多くの日本人が思うことです。
けれど、ハウツーがない。
しかし、問題の本質は、ハウツーにあるのではなくて、取り戻すべき日本の形を持っていないというところにあるように思います。
ただ現状を否定したいがために、昔は良かったというだけなら、それはただの年寄の繰り言です。
それでは日本が変わることも、日本を取り戻す日も、永遠にやってくることはない。

必要なことは、日本をどうしたいのか。
そのために必要なことは、青写真よりも、もっとずっと手前の私達にとっての理想です。
それはむしろ、新日本建国のための新しい理念といえるものかもしれない。

7世紀と19世紀に、日本は大きな変化を遂げました。
そしていまは、明治維新以来の、日本の大改革の、後半戦に突入していると見る人がいます。
そのとおりと思います。
つまり、明治維新は、過去の出来事ではなくて、いまなお現在進行系の出来事です。

個人的には、日本が目指す道は、米国やChinaが求める世界最高の権力を持つ国ではなく、世界最高の権威を抱いた国であろうと思っています。
権威というのは、何が正しいかの価値観を明確にするものです。
日本は、古来、すべての人々を「おほみたから」とする、大切な宝とするという国柄を持つ国です。
ウイグルへの弾圧や、インデアンの虐殺や、アフリカの飢餓のようなことを、我々日本人は好まないし、望みません。
我々日本人は、そうしたものを邪悪とみなします。
そうであれば、日本が目指すべきは、価値を示すことです。
そして価値というのは、古いことに意味があります。
より古くからあるものが、正しいものとしての権威を持つのです。

権力の要素は、「カネ、情報、武力」です。
権威の要素は、「歴史、伝統、文化」です。

いたずらにハウツーに走るのではなく、合意の形成の大切さを考えることで、日本の目指す道も見えてきました。
いまの日本に必要なこと、あるいは人生において必要なことは、まさにそういうところにあるのではないかと思います。

※この記事は2021年2月のねずブロ記事のリニューアルです。

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