いささか我田引水になりますが、先日、三度目の尿管結石を患いました。
尿管結石は、医者の言う「三大激痛疾患」のひとつで、まさに激痛に襲われました。
その日、希望の日本再生チャンネルで夜8時からライブがありました。
ライブは、通常通り行わせていただきました。
ご覧になられた方々は、激痛の最中とはおそらくまったく感じなかったことと思います。

「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉がありますが、そこまではいかないにしても、どんなときでも、使命感があると克服できることを示した言葉であると言われます。

先の大戦のときに、生き残られた方のお話を伺ったことがあります。
機銃の担当で、銃撃戦の最中、弾が切れたので、後ろに控えている仲間に
「おいっ!弾っ!」
と声をかけました。
ところが、いつもなら寸発を置かずに弾が補充されるのに、補充弾が来ない。
「何をもたもたしてるか!」
と後ろを振り返ると、補充の助手が死んでいる。
周囲を見渡すと、周りの仲間達が、皆死んでいたそうです。
「もはやこれまで」と思ったとき、目に浮かんだのは故郷の父母兄弟のこと。
その瞬間「死にたくない!帰りたい!」と、涙がポロポロと落ちてきたそうです。
ところがその直後、
「俺は祖国を護るために戦っているんだ」という使命感がこみあげてきたのだそうです。
そして「戦い抜くんだ!」という強い気持ちが湧き上がり、隣の戦友の歩兵銃を手に取り、敵めがけて狙撃を始めました。
そのとき轟音が響いて気を失い、気がついたら捕虜になっていた、とのことでした。

その方おっしゃっていました。
「あの状況で、
 親を思えば、
 帰りたくなるし、
 死にたくないと思う。
 それは本能と呼べるものかもしれない。
 けれど人は、
 本能だけで生きているのではない。
 人には使命がある。
 その使命感こそが
 本能を越えるはたらきを
 することができるのではないか。
 そのように思った」
とのことでした。

学生時代に部活で体育会系なら、帰宅する頃にはくたくたです。
食事を済ませたら、もう眠くなり、予習復習どころではない。
けれど、俺が落第したら、仲間たちに迷惑をかけるとか、
親の苦労を思ったりしたとき、
眠気を押さえて勉強したり、
あるいは、日課の素振り百回を行ったりと
人は、自分の休みたいという本能を越えて動くことができます。

日本はいま、どうしようもない戦後体制の終末を迎えています。
30年の不況の結果、誰もが不遇を感じています。
だから、誰か犯人を見つけて、その人を徹底的にディスれば、その動画は大ヒットとなります。

けれど、どんなときでもそうですが、人の悪口を百年言い続けても、世の中が良い方向に変わることは絶対にありません。
会社なら、上司の悪口を百年千年言い続けても、会社の業績が上向くことはありません。
むしろ、現状がよろしくないのなら、原点に還って退勢を取り返す。
これを日本の古い言葉で「元々本々(もともとをもととす)」と言います。
そのためにあるのが国史です。

これを語り続ける。
それがきっと使命だと思っています。

それをすれば、徹底的に悪口を言われます。
悪口を言われたら、誰だって悔しいです。
ならば、悔しい自分を捨ててしまう。
自分を捨ててしまったならば、自分はただのゴミです。
ゴミのことを色々言われても、それはゴミなのだから、どうでもよいことです。
そんなことより、やるべきことをやっていこうと思います。

伝えたいことはただひとつ。
日本は天皇の知らす国。

ブログも
お見逃しなく

登録メールアドレス宛に
ブログ更新の
お知らせをお送りさせて
いただきます

スパムはしません!詳細については、プライバシーポリシーをご覧ください。