3月3日は「ひなまつり」。
そこで質問です。
写真の男雛(おびな)と女雛(めびな)の置き方は、写真のように向かって左が男雛、向かって左が女雛という置き方が正しいのでしょうか。
それとも、その反対(むかって右に男雛、左に女雛)が正しいのでしょうか。
答えは「どちらも正しい」です。
ただ「地域による違い」があります。
写真のように向かって左に男雛を置くのが関東雛、その反対が京雛です。
もともと明治の中頃までは、京雛の置き方(写真と反対の置き方)が正しい置き方だったのです。
それ以外の置き方は存在しません。
時代劇などで、もしお雛様が写真のような置き方でしたら、それは時代考証の間違いということになります。
ではいつから違いが生まれたのかと言うと、大正時代からです。
大正天皇は「洋装で」御即位の礼を執り行わられたのですが、このとき西洋式に(写真のような)向かって左側(天皇の側から見ると新婦の右側)に天皇が立たられました。
そしてここからお雛様の置き方も、全国的に写真のようになりました。
いまでは京雛だけが、古風に従って男雛を向かって右に置いています。
もともとの日本の習慣は京雛に代表されるように、女性の左側に男性が立つというのが習慣です。
男性は女性を護る者です。
その男性は左の腰に刀を差します。
前から悪漢が襲ってきたとき、男性が刀を抜いて女性の前に立ちふさがろうとすると、どうしても男性は女性の左側(男性の右側に女性)に立たないと、抜いた刀で先に大事な女性を傷つけてしまいます。
さらに大昔、まだ刀がなかった時代においても、やはり日本では男性が女性の左に立つものでした。
なぜなら我が国の神話では、古来、霊(ひ)が上、身が下とされてきたからです。
人間の身は霊(ひ)の乗り物です。
だから霊(ひ)を意味する左が上、身を意味する右が下です。
そして私達は身で生きています。
つまりこの世においては、霊(ひ)と身は上下関係ではなく、対等な関係です。
そしてこの両者が揃うとき、「ひ」と「み」が合わさって「こ」がうまれます。
だから「ひみこ」です。
けれど世の中には秩序が必要です。
ですから秩序が必要なところでは、左右を区別します。
左(ひだり)は霊(ひ)、
右(みぎ)は身(み)ですから、左が上手、右が下手になります。
これを数詞にしたのが「ひふみ」です。
「ひふみ」は「霊(ひ)生(ふ)身(み)」です。
霊(ひ)から身が生まれるのです。
つまり、霊(ひ)が本体で、身はその乗り物ということになります。
京都御所の内裏の紫宸殿(南殿ともいう)の前庭には、桜と橘(たちばな)が植えられています。
これを「左近(さこん)の桜、右近(うこん)の橘」といいます。(下の写真)
紫宸殿
御覧頂いてわかるように、向かって右が桜、左が橘です。
天皇の御座所から見たら、左が桜、右が橘です。
下座からみて左右ではなく、上座から見たときの左右で、このように名付けられています。
昔の太政官にいた左大臣、右大臣もまた、天皇から見て左側(つまり向かって右側)に座るのが左大臣です。
そして左大臣のほうが、右大臣より格が上です。
その左大臣、右大臣は、ひな祭りの飾り付けを見ると、たとえば最も盛大な七段飾り(トップの写真)の場合、以下のように飾り付けます。
一段目 男雛・女雛
二段目 三人官女
三段目 五人囃子《童(わらべ)》
四段目 左大臣・右大臣とお供物
五段目 三人上戸(さんにんじょうご)《泣き上戸、笑い上戸、怒り上戸》
六段目 雛道具
七段目 御駕篭(おかご)・御所車(ごしょぐるま)
一段目の男雛と女雛が天皇皇后両陛下を意味することはおわかりいただけると思います。
男雛がかぶる冠は、折れ曲がらずにまっすぐ天を向いて立っていますが、このように冠をかぶることができるのは、天皇陛下ただおひとりです。
そして二段目が女性、三段目が童(子供)です
男性はようやく四段目、童子よりも下です。
しかもそこにいるのは、左大臣と右大臣です。
ちなみに写真では左大臣はヒゲを伸ばした老人です。
つまり若手の右大臣よりも格が高いことを、昔の人はこうして自然に学んだのです。
なぜ男性の政治権力者が四段目という下位に置かれ、その上に女性や子供が置かれているかというと、古来、神と直接対話できるのは、女性だけに与えられた特権とされてきたからです。
このことは神話に由来します。
天宇受売神(あめのうづめのかみ)は、女性神ですが、その字に明らかな通り、天の声を直接受け、あるいは下々の声を神に届けるお役目の神様です。
天岩戸(あめのいわと)の神話において、岩戸にお籠(こも)りになられている天照大御神(あまてらすおほみかみ)が、「岩戸の外が騒がしいが何があったのか」と御下問になられた相手は、天宇受売神です。
そしてまた、その理由(わけ)を天照大御神に奏上(そうじょう)しているのもまた天宇受売神です。
つまり、最高神と直接対話できるのは、女性神にのみ与えられた特権です。
そしてこの世(地上界)においては、神々の国である高天原と同じ統治が行われることになっています。
ですから天皇皇后両陛下と直接お話できる役目は、女性にのみ与えられているのです。
その役割を務めるのが三人官女です。
下々の声は、左大臣、右大臣を通じて天皇に奏上されますが、その言葉は、奏上時に清められなければなりません。
声は音であり、その音を清めるのもまた音です。
ですから童子が音楽で声のお清めを行います。
これが三段目の五人囃子です。
五人囃子は童(わらべ)がつとめます。
なぜなら、穢(けが)れというのは、欲心のことだからです。
ですから欲心のない童子が、音楽を奏(かな)でることで、声のお清めを行うのです。
政治には欲心がつきものです。
ですから政治権力者である左大臣、右大臣であっても、五人囃子の下に位置づけられます。
だから左大臣右大臣は四段目なのです。
ということは、他の男性たちは、それよりもさらにもっと下ということになります。
このように、雛飾りひとつをとってみても、我が国には我が国の伝統文化にのっとった考え方があるのです。
このことは、さらに大きな女性の身分上の地位の問題にもなります。
男性よりも、女性の方が実は地位が高くなれるのです。
というのは、男性は、皇族の男系男子でなければ天皇になることはできません。
ところが女性は、身分に関わりなく天皇の妻になることができました。
ちなみに「皇后」は、基本は男系の女子、つまり御皇族の女子であることが基本とされました。
次いで中宮、妃、女御、更衣と続きます。
このうち女御までは、部屋が与えられ、更衣以下は大部屋暮らしでした。
さて、大正天皇の御即位の礼のときに、それまでの伝統的慣習から左右を逆にしてお立ちになられたのは、当時の時代背景に依拠します。
当時の世界では、西欧の列強のみが人であり、有色人種は人より劣るケダモノとされていました。
そうした中にあって、我が国は世界でただ一国、有色人種の国でありながら、欧米と肩を並べる国となっていました。
だから欧米と対等に付き合うために、欧米の慣習を受け入れる必要がありました。
明治天皇のご治世の時代から、天皇も洋装をお召しになられたし、外国からの賓客のおもてなしのための宮中晩餐会の料理は、(世界中どの国でもその国の伝統料理を出すのに)我が国だけはフランス料理を出しました。
これは当時の世界にあって、フランス料理こそが世界一のおもてなし料理とされていたからです。
これが修正され、ようやく宮中晩餐会で日本料理が出されたのは、ようやく今上陛下の御即位の祝賀の晩餐会から。
2020年のことです。
フランス料理が宮中晩餐会の正式料理と定められたのが明治6年(1873年)ですから、日本が日本料理を正式な宮中のおもてなし料理にできるまでに、なんと147年もかかっているのです
戦後独立したチャイナやサウスコリアでも、あるいは東南アジアの諸国でも、普通に外国からの賓客を自国の料理でもてなします。
そういうことができるようになった背景には、日本が植民地支配からの脱却のために、身を犠牲にして西欧に倣ってきたという歴史があるのです。
すこしはありがたいと思ってもらいたいものです。
ちなみに外国からの賓客の皆様は、近年の日本料理ブームから、宮中ではどんなに素晴らしい日本料理が食べられるのだろうと、皆様とても楽しみにして日本に来られるのだそうです。
ところが出される料理はフランス料理。
バブル以降は、外国からの領事などは、誰もが「???」となっていたのだそうです。
ただ、日本は、もともと庶民文化を大切にしてきた国柄を持ちます。
いちばんたいせつなのは、現場の第一線で働く民とされてきました。
ですから料理も、海の魚であれば、漁師が釣り上げたばかりの魚を、船の上でそのまま捌いていただくのが、いちばんうまい。
料亭の刺し身は、箸で持ち上げると両側が「へ」の字にしなり落ちるけれど、釣ったばかりの魚の刺身は、箸でつまんでも「一」の字のままです。身の元気が良いのです。
養殖物でも、たとえば「牡蠣」なら、海で生育中の牡蠣殻を割って、そのまま海水の塩水でさらさらとすすいで、そのままお口にポンと放り込んで食べるのが、いちばんうまい。
山菜も摘みたて、採りたてにかぶりつくのが、いちばんうまい。
こうした文化は、庶民を大切にしてきたことでのみ生まれる文化です。
もちろん、饗応料理というものもあります。
江戸幕府の場合であれば、饗応料理の包丁人は、都度、吉原の遊郭から呼び寄せていました。
吉原の人たちは、女性は遊女であるし、男性は忘八者です。
つまり世の中の最低の身分です。
けれど最高の料理は、彼ら彼女らのもとで練られたのです。
この饗応料理には、新鮮な海の幸、山の幸がふんだんに使われ、またお出汁にもこだわり、器も最高のものが用いられました。
ただし、貴族も武士も、普段の生活は、ご飯、味噌汁、漬物の「一汁一菜」が基本です。
質素を旨としたのです。
話を戻します。
お雛様において、男雛と女雛は、最上段に飾られます。
この最上段は西洋風に言うなら玉座(ぎょくざ)です。
ところが西洋でもチャイナでも、玉座というのはあくまで王や皇帝ひとりだけが着座し、その王妃の席は必ず脇に寄せて造られるか、あるいは席そのものが造られません。
ところが我が国では、天皇皇后両陛下が並んで着座されるという姿で雛飾りが行われます。
これが意味していることは、我が国では、イザナキ、イザナミの時代から、男女が対等であるということです。
そしてその男女が結ばれて子が生まれます。
だから
「男(1)+女(1)+子(1)=3」
で、3月3日が「ひなまつり」とされています。
つまり3月3日がひなまつりだということは、そのまま男女が対等な存在であることを意味しているのです。
「対等」と「平等」は違います。
区別なしに、ただやみくもに一緒にするのが「平等」です。
「対等」は、男には男の役割、女には女の役割があり、互いに相互補完しあうことをいいます。
余計なことを書くと、5月5日は端午の節句で、こちらは男の子のおまつりです。
端午の節句というのは、China式の呼び方で、5月の最初の午(うま)の日(節句)のことをいいますが、これを我が国では、これを昔から男子の日としてきました。
いまでは男女に限らず「こどもの日」となっていますが、これは女性人権団体等からの圧力で、女の子も入れろという圧力があって、無理やり変形されたものです。
もともとは男子の日です。
なぜ5月5日が男の子の日かといえば、5(五)というのは、五穀(ごこく)を意味するからです。
五穀とは、米、麦、粟、きび(またはひえ)、豆のことで、総じて穀類一般のことです。
その五穀を育み、誰もが安心して安全に暮らせるように働くのが、男子の役目です。
そして男子は、そのために命をかけるものです。
だから農民、町民の区別なく、鎧武者の人形を飾ります。
ちょっとした慣習にも、それぞれ意味があるものです。
そしてその意味というのは、我が国においては、誰もが豊かに安心して安全に暮らすことができ、人生において愛とよろこびと幸せを実現できるように、臣民が一丸となっていこうとしてきた長い歴史と伝統から生まれているものです。
そしてこれこそが、我が国の、古くから続く、ゆるぎない品格です。
その品格を、国民の常識に取り戻すことこそ、日本を取り戻す、最大の鍵となるものです。
※この記事は2020年3月3日のねずブロ記事のリニューアルです。
ありがとうございます。
娘時代になって色々勉強させていただいております。
知らないことだらけで、、、恥ずかしいことですが
これからもこの体が動ける限り
日本の真理を勉強していきたいと思っております。
YouTubeでも勉強させていただいています。