「徳川家康公遺訓」は、たいへん有名なものですので、ご存知の方も多いかと思います。 慶長8年1月15日のものです。
「人の一生は
重荷を負うて、
遠き道を行くがごとし
急ぐべからず
不自由を常と思えば不足なし
心に望みおこらば
困窮したる時を思い出すべし
堪忍は無事のいしずえ
怒りは敵と思え
勝つことばかりを知って
負くることを知らざれば、
害、其の身に到る
己を責めて人を責めるな
及ばざるは過ぎたるに優れり」
徳川家康は、当時の世界にあって、世界一の大金持ちであり、世界一の軍事力を持った人物であると、この時代に来日にした西洋人宣教師が報告しています。
それだけの人物が、遺訓としてのこした言葉が、
「急ぐべからず。不自由を常と思えば不足なし」
であり、
「堪忍は無事のいしずえ、怒りは敵と思え」です。
そして、
「己を責めて人を責めるな。及ばざるは過ぎたるに優れり」です。
数々の戦いを経由し、また世界一の大金持ちとなった家康は、その日常において、たいへん謙虚な人生訓です。
ところが家康の人生を振り返れば、今川義元が桶狭間に斃れるやすぐに信長方に付き、あるいは武田信玄の大軍を前にこれを三方原で迎え撃つという無謀を行い、あるいは関ヶ原ではまるで丁半博打のような天下分け目の戦いを行い、あるいは豊臣方を大阪城に攻め滅ぼしています。
遺訓に見られる慎重さとは、まったく裏腹な果敢な戦いを挑でいるのです。
また家康の戦のあとの賞罰は、極めて厳正であったこともよく知られています。
もっというなら、そもそも拠点とした江戸は、当時は水郷地帯で、人が住める場所でさえなかったのです。
そんな土地を、イチから改良して城や町を築いたのです。
見方によっては、きわめて横暴ともいえる町づくり、城づくりです。
こうしたところから、
「日頃は謙虚に地味に生きながら、 やるときには断固としてやり抜き、 やり遂げるまで決して手を抜かない」
という家康の生き様が見えてきます。
まったく逆な人たちもいます。
人と話すときは必ずマウントを取ろうとし、大言壮語で態度も大きく、どちらが上かしか興味がない。
ところがいざというときになると逃げてしまう。
戦時中、どうしても軍で働きたいというから、軍属として仕事を与えたけれど、敵がやってきたら一目散に逃げ出す。
それどころか、そくさくと米軍の側について、日本の軍の拠点のある塹壕の場所や兵力を米軍に教え、なまりのある日本語で、
「にほんのみなさ〜ん、投降しなさ〜い」
とスピーカーで大声をはりあげる。
戦傷のために身動きが取れずに実際に捕虜にでもなろうものなら、自分たちの裏切りをなじられるのが怖くて、米軍に危険行為があったと嘘を垂れ込み、傷ついた日本人の兵隊さんを殺す手伝いをする。
戦争が終わると手のひらを返したように、「自分たちは戦勝国民だ、進駐軍だ」と言い張って、日本人の民間人に対して、好き放題の乱暴狼藉を働いた。
世の中には、現実にそのような人たちがいます。
まったく人間のクズ、というより果たして本当に人なのか、と疑いたくなるような人たちですが、もともと歴史をたどれば、Chinaにおける巨大な軍事政権の盛衰の端にあって、「二度とあいつらとは付き合いたくない」と周辺国から嫌われることで国家としてようやく生き残りを果たしてきた人々です。
さもありなんといえるかもしれません。
人間も哺乳類のうちです。
哺乳類には様々な動物たちがいますが、それらはすべて環境に適合するために、さまざまな形に進化したものです。
このことは人類の「民族」にも言うことができます。
人類は、民族ごとに、それぞれ環境適合して生きてきたのです。
たとえば動物に、ハリネズミという種があります。
ハリネズミは全身が針で覆われています。
ネズミの天敵はヘビですが、ハリネズミは、ヘビが丸呑みすると、ヘビの口内や食道、胃袋などに針が刺さってしまい、ヘビは死に至ります。
つまりハリネズミは、他の捕食動物から嫌われることで、独自の進化と生存を遂げ、いまやヨーロッパ、アフリカ、中近東、東アジア、ロシア、インドなど、世界中で繁殖をしています。
生き物の種の中には、このように嫌われることで生存を図る種もあれば、わずか50年で人口を3倍の15億にまで増やすという、まるでネズミなみの繁殖力で生存を図る種もあります。
そうかと思えば、助け合うこと、愛情をもって接すること、自分が努力することで生存を図ってきた種もあります。
ところがそのような、助け合ったり、愛情を持って接したり、自分がまず努力することで生存を図ってきた種の中に、上か下かしか興味関心を持たないハリネズミ種や、争ったり共食いしてでも繁殖を図る種が大量に紛れ込んだら、どうなるのでしょうか。
はじめのうちは、彼らは傍若無人に、まさに自分たちの天下を謳歌することでしょう。
セイタカアワダチソウと同じです。
ところが、日本という、天然災害の多い国では、彼ら流のやり方では生存できません。
結局彼らは自滅の道をたどることになります。
いま、季節はちょうど春です。
かつてセイタカアワダチソウが我世の春を謳歌していた野原や河川敷には、いま、菜の花が黄色い花を咲かせています。
日本人は、いっけんおとなしくて従順です。
日頃から謙虚に地味に人としての成長を目指す日本人は、そのように見えますし、実際、おとなしいです。
しかし、やるときには断固としてやり抜くのです。
そしてやり遂げるまで決して手を抜かない。
この精神は、根底において、家康と同じです。
そしてその精神は、実は戦前の日本も戦後の日本もまったく変わりありません。
戦前の日本は、人種の平等を高らかに掲げた国是とし、植民地支配をする西欧諸国と戦い、世界の被植民地を開放し、世界の諸国を独立に導きました。
戦後の日本は、そうして発展途上国となった諸国にODAを通じて技術援助や学校建設、あるいは砂漠の大地となっている土地に灌漑を行ってこれを農地へと転換するなどの援助を惜しみなく行い続けています。
そしてこうした行動は、官だけでなく、民間部門においても国際協力団や、個人による学校建設、井戸の掘削、橋梁の建設など、様々なかたちで取り組みが行われています。
西欧諸国の種が、一部の大金持ちに利をもたらすために、他から収奪をするという形態であるのに対し、日本は、過去も現在もずっと、民衆こそがたからであり、民衆こそが豊かに安心して安全に暮らせる社会の構築を希求し目指し続けてきた民族です。
そうでないのは、西洋かぶれ、Chinaかぶれ、朝鮮かぶれとなった、一部の議員や政党やメディアくらいなものです。
このことは個人においても同様です。
日本人の目的は、どこまでも、誰もが豊かに安心して安全に暮らせる社会の構築にあります。
そのためには、日頃は地味に謙虚に暮らしていても、やるときには断固としてやり抜くし、やり遂げるまで決して手を抜かないし、勝つまで続けます。
それは日本の神々の御神意でもあります。
日本人の心は、千年前も、現代も、千年後も変わりません。
つまり!
「陽はまた昇る」のです。
※この記事は2017年3月のねずブロ記事のリニューアルです。
GHQが公職者25万人を追放し2、3流の共産党系を公職に就けました。今の日本国民は共産党系教育がなされてきた結果です。日本国憲法を一字一句変えれない国に国民になりました。日本人の心が赤い幕に覆われてしまいました。この赤い幕を取り除くことから始めなければなりません。小名木さんのご活躍が光っています。