百人一首の25番歌に、三条右大臣の歌があります。

 名にし負はば 逢坂山の さねかづら  人に知られで くるよしもがな

(なにしおははあふさかやまのさねかつら
 ひとにしられてくるよしもかな)

一般には、この歌は「逢坂山に生えているサネカズラよ、カズラの蔓(つる)を手繰るように、人に知られずに、あなたがわたしのところへ来る方法はないものだろうか」といった風に訳されています。
「人に知られで」ですから、「秘密の恋を詠んだ歌」とされています。

けれど、もしこの歌が、そのような私的な恋心を詠んだというのなら、歌人の名前をどうして選者である藤原定家は、「三条右大臣」と職名にしたのか、意味がわからなくなります。
「三条右大臣」とは、藤原定方(ふじわらのさだかた)であるということは、ちゃんと記録でわかっているのです。
にもかかわらず、あえて意図して歌人の名前を職名にしたということは、この歌は、そうした公職に何か関係がある歌であるということになります。

歌をよく読むと、上の句と下の句で、真逆のことが書かれていることがわかります。
上の句は「名にし負はば逢坂山のさねかづら」ですが、「逢坂山」は、単に山の名前というだけでなく、 恋する人と「逢う」という意味が掛けられています。
「さねかづら」はつる性の植物である葛のことですが、「さね」は「小寝(さね)」、つまり男女が「一緒にちょっと寝る」という、同衾を意味する言葉でもあります。
これに「かづら(=葛)」と続くことで、葛のツタがからまるような濃厚な愛もイメージさせます。

さらに葛は、例えば、東京山手線の線路が谷間を通るとき、両側の傾斜地などによく植えられている植物ですが、急な傾斜地というのは水が流れ落ちてしまうために保水力が乏しいものです。
つまり植物にとっては生育の難しい場所です。
ところが葛は、そうした急勾配の傾斜地でも見事に繁殖できるだけの強い生命力を持った植物でもあります。
それくらい繁殖力が強いために、今では国際自然保護連合(IUCN)から「侵略的外来種」に指定されているほどです。

逢坂山は、山ですから、まさに傾斜地そのものですが、そういうところでも葛は平気で繁殖できるわけです。
だからこそ、「名にし負はば」・・・つまり有名な「逢坂山のさねかづら(葛)」と詠まれているわけです。
というこは、この上の句は、「さね(=ちょっとだけよ)」と言いながら、実は濃厚に絡みつくほどの情愛と、男女の繁殖をも意味していることになります。

ところが下の句になると、その様子が一変します。
「人に知られで」は、「ほかの人に知られないように」です。
「くるよしもがな」は、「人に知られ ずに内緒であなたのもとに行くなんて、したいけど、できないのですよ」という意味です。

ここでひとつ注意が必要なのは、「くるよしもがな」の「くる」という言葉です。
「くる」は、「来る」と「繰る」に掛かりますが、当時は通い婚社会です。
女性を屋敷に呼びつけるようなことはありません。
あくまでも男性が女性のもとに通います。

江戸時代初期頃に、この「来る」の意味が分からずに歌の解釈を巡ってだいぶ議論があったようですが、 江戸中期になり、古語の「来る」は相手の立場からみたときの「来る」、つまり「行く」という意味であ ることが判明しました。
つまり、実際には、男性が女性のもとに行くことを「来る、繰る」と詠んでいるわけです。

さらに「くる」を「繰る」と読めば、それは、葛のツタがぐんぐんと伸びて、木に絡みつくようにというニュアンスが含まれます。
つまり、ここでいう「人に知られでくるよしもがな」は、相手の女性が、右大臣の藤原定方を、蔦が絡まるように手繰り寄せたくても、「人に知られないようにそれをすることはできませんね」という意味合いになります。

葛のツタがぐんぐん伸びていくように、あなたのもとに行って、あなたを絡め取りたい、というのです。
つまり、
「逢いに行きたいけど、できないよね」と言いながら、同時に
「あなたを絡め取りたい」とも詠んでいるわけです。
ここに藤原定方の相手の女性に対するものすごい熱情、情愛を見てとることができます。

ということは、藤原定方は相手の女性のことが、よっぽど好き、たまらなく好きであるということがわかります。
ところが藤原定方は、そのときすでに右大臣です。
社会的な責任のある立場にあります。
つまり公人であり、責任ある、社会の範となるべき人です。

結婚し、一定の社会的地位を得ても、ある時、まるで前世の因縁でもあるかのように惹かれる異性と出会うということは、実際にあることです。
そういう男女をツインソウルというのだそうです。
ツインソウルの二人が出会うと、またたく間に禁断の恋に落ちてしまい、家も身分も何もかも捨てていいとまで 思いつめてしまうのだそうです。

けれどそのとき、藤原定方は、右大臣という要職にあるわけです。
右大臣は、国の最高機関である「太政官」の中にあって、太政大臣、左大臣に次ぐ三番目の高い位です。
公人であり、責任ある仕事を山のように抱える人であり、常にお付きの人が周りにたくさんいます。

そのような状況にあって、たとえ恋しい女性ができたとしても、右大臣である藤原定方には、自由になる時間も、ひそかに一人になって好きな女性のもとに通う自由もないのです。
なぜなら人の上に立つということは、道徳的な面でも「長」になることだからです。

ここでひとつ注釈が必要です。
諸外国において政治権力者は、人を支配し牛耳る存在です。
権力者は支配者であり、民衆は被支配者です。
そこにあるのは「支配と隷属」の関係です。
権力者というのは、簡単に言ったら所有者です。
ですから権力者の下にあるものは、人間であれ、土地や物であれ、すべては権力者の所有物です。
ですから自分の旗下に、欲しいものがあれば、それを奪うことに何の躊躇もありません。
逆らえば死を与えるのみです。
それが諸外国における権力者(所有者)の持つ意味であり、立場です。

よく引き合いに出すことですが、西洋でもChinaやKoreaでも、夫にとって、美しい妻は自分の所有物です。
けれどその夫は、王や貴族の所有物です。
ですから王や貴族が、配下にいる男性の妻を、勝手に奪って自分のものにしても、どこからも苦情は来ません。
その配下にいる男性(夫)が、妻を奪われることに抵抗すれば、西洋ならそれは死を与えるのみですし、Chinaなら、その夫は食べられてしまいます。
それが長い間の彼らの常識です。

ところが日本の政治権力者というのは、支配者でもなければ、所有者でもありません。
どこまでも天皇の「おおみたから」である民(たみ)を預かる立場です。
「おおみたから」ということは、「天皇の大切なたからもの」という意味です。
所有者はどこまでも天皇です。
けれどその天皇は、権力の行使はしません。
つまり、支配権の行使も、所有権の行使もしません。
支配権も所有権も、行使をするのは、天皇に親任された政治権力者です。
ところがその政治権力者にとって、その政治権力を行使する相手は、天皇の「おおみたから」なのです。

この歌を詠んだ三条右大臣、藤原定方は、そういう立場にいます。
人を私的に支配している権力者なら、彼は思う女性を、勝手に自分の女にすれば良いのです。
けれど彼にとって、その意中の女性は、天皇の「おおみたから」なのです。
彼が私欲に負けて、身勝手な行動に出れば、それは天皇の「おおみたから」を預かる者としての失格を意味するし、なにより「おおみたから」を預かる者として、民に示しがつかなくなります。
これが「ウ シハク国」と「シラス国」の違いです。

もちろん人間ですから、右大臣といえども、ふとしたきっかけでツインソウルのような女性と出会い、 強い恋心を寄せてしまうこともあります。
ほんの一瞬の出会い、あるいはちょっとした出来事 がきっかけとなって、心が燃える。
今すぐにでも逢いたいし、二人だけの時間を過ごしたいとも思うのです。
そういうことに、身分や男女の貴賎は関係ありません。
人としての本能です。

けれど藤原定方は公人なのです。
仕事があり、責任があり、常に仕事の関係者たちが周囲にいます。
だからこそ彼は、逢いたい気持ちがあっても、
「人に知られでくるよしもがな」と思うわけです。

しかし彼は、恋心を胸に秘めたまま、彼女のもとへ通うことはありません。
なぜなら歌に「もがな」とあるからです。
「もがな」は願望を表す言葉です。

個人の欲望や恋心は、私事であり私心です。
現役の閣僚である彼は「公人」です。
そして日本における「公人」は、天皇の「おおみたから」を預かり、その「おおみたから」が、豊かに安心して安全に暮らせる世の中を担うために、右大臣の要職にあります。
それが「天皇の民をお預かりする」ということの持つ意味です。
だからこそ、どんなに逢いたい気持ちがあっても、相手が名の知れた美しい女性であっても、両思いであったとしても、それが「人に知られず」にできることであっても、彼には逢いに行くことができません。

だからこそ彼は、
 名にし負はば 逢坂山の さねかづら
人に知られで くるよしもがな
と詠み、名を「三条右大臣」としたのです。

実は、下の者(民)を「たから」として大切にするというのは日本独自の思想です。
「いやいやそんなことはない」と思われるかもしれませんが、例えばChinaの儒教には、下の者を大事にするという思想はありません。
儒教は常に、自分よりも地位の高い者を優先します。

良い例が「諱(き)」の概念です。
これは、上の者が間違ったことをしたとしても、下の者はそれを庇って嘘をつくことが正しいとする概念です。ですから儒教国では、たとえ上の者が非道の限りを繰り返したとしても、下の者は嘘をついてでも、その上司を庇(かば)わなければなりません。
それがChinaにおける正義です。

日本は儒教から、「温故知新」とか「仁義礼智信」などの思想を取り入れました。
しかし「諱」の概念は取り入れていません。
これが何を意味するかというと、日本は、「儒教思想によって日本的思想を築き上げたのではなく、あくまで日本古来の思想と合致する教えだけを、儒教から取り入れた」ということです。
だからこそ儒教国では当たり前の「諱」の概念も行動も、日本は受け入れなかったのです。

このことは、逆に言えば、基になる思想がなければ百パーセント儒教思想に染まるということを意味します。
なぜなら基準となる価値観がないからです。
おとなりの朝鮮半島が、その良い例です。

さて、藤原定方は、この歌を「女につかはし」たとあります。
歌を見れば、彼がその女性を心から好きでいることは明らかです。
何もかも捨てて、葛のツタがからまるように、その女性と添い遂げたいとまで思う女性です。
「逢う」と「逢坂山」、「さねかづら」と「小寝」、「来る」と「繰る」と、短い歌の中で掛詞を三つも重ね ることで、その情熱を詠み入れています。その燃える思いは、重なり合った葛の葉やツルによって視覚的 にも強調されています。

しかし彼は、歌に明らかなように、右大臣として自分個人の私心である慕情を抑え、冷たいようだけれど決然と、「君に逢いたいけど、逢えないよ」と詠んでいます。
要するにこの歌は、「公」のために「私」を捨てて生きた誠実な男の生き様を詠んだ歌です。
それが日本の男の美学です。

欧米型の個人主義の社会では、こうはなりません。
なぜなら、一番大事なのは個人(私)とするからです。
官僚であれ、幕僚であれ、閣僚であれ、あるいは民間の企業戦士であれ、彼らにとって仕事は、あくまで生活のための手段でしかありません。
常に自分が主だし、自分の欲望を満たすことが最優先ですし、私心が優先です。

ですからツインソウルのような異性に出会ったら、仕事や地位や名誉など捨てて、自己の欲望を遂げることを優先します。
女性の側も同じです。
「私を愛しているのなら、仕事などに行かないで」と、平気で言ってのけます。
これが個人主義です。

けれど我が国では、逆です。
なぜなら男は「公に尽くす」ことが最大の美徳ですし、女性はそういう男性を支え家庭を守り、次代を担う子を産み育てることが賢女の美徳とされているからです。

そして日本人にとって、「公」というのは、目上の人や組織のことではありません。
我が国の最上位にいるのは、天皇ですが、民こそが天皇の「たから」なのです。
ですから、「公につくす」ということは、そのまま民衆のために尽くすこととして理解されます。

しかも日本には、「諱」という概念はありませんから、官職にある者が自分勝手な振る舞いをしても、 それを下の者が隠してくれたり正当化したりしません。
そもそも誰も見ていなくてもお天道様が見ていると、厳しく自己を律して責任を果たしていくことが、人の上に立つ者に必要なことというのが、日本社会です。

誰も見ていなくてもお天道様が見ていると、厳しく自己を律して責任を果たしていくことが、人の上に立つ者に必要なことというのが、日本社会です。
そんな姿は、現代日本人の中にもいくらでも見出すことができます。
千年経っても、日本人は日本人です。

出典:『ねずさんの日本の心で読み解く百人一首

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