歴史とは「過去の事実の因果関係を記述したもの」のことをいいます。
少し詳しく言うと、歴史は

  直進する時間
  時間を管理する技術
  文字で記録をつくる技術
  ものごとの因果関係の筋書き

の4つが揃ってはじめて歴史となります。
従って「歴史を持つ国や民族」というのは、世界の歴史にあって「少数派」です。

たとえば古代インド文明は、歴史を持ちません。
なぜなら、彼らは輪廻・転生の思想を持ち、事件や事故の原因を前世に求め、その結果を今生と考えるからです。
前世が未来になる場合もあるわけですから、そこでは時間は直進していませんし、因果関係は、事実の積み上げではなく、いきなり前世に飛んでいってしまうわけですから、これでは歴史になりません。

またイスラム文明も、一瞬一瞬はすべてアラーの神の思し召しです。
瞬間自体がアラーによって新たに創造されるのですから、そこに因果律はありませんし、時間の概念もありません。

つまり世界のほとんどの国や民族は、
「歴史を持たない文明」となっているのです。

一方、歴史を「創作」する文明もあります。
それがヨーロッパの地中海文明と、China文明です。

ヨーロッパでは古代ギリシャのヘロドトスが『ヒストリア』を書きました。
この書の序文でヘロドトスは、
「世界は変化するものであり、その変化を語るのが歴史である」と述べています。
そして、バラバラで対立と闘争を繰り返していたギリシャの都市国家が、強大なペルシャがやってきたので、最後にはみんなで協力してペルシャをやっつけた。めでたしめでたしという筋書きを書いています。

これは、不当な侵略を前に、英雄が立ち上がって勝利するという筋書きです。
ですからそこには、世界がまとまるための恐怖の帝国の存在を必要とします。
この思想は現代でも徹底していて、彼らはいまでも「世界がまとまるための恐怖の帝国」の存在を必要としています。
国連においては、それが敵国である「日本」です。
ですから日本がいくら国連にお金を出したとしても、それは「恐怖の帝国が支払った金」であって、彼らはその資金提供にまったく感謝の思いなど持ちません。

これがチャイナになると、前漢の武帝に仕えた司馬遷が著した『史記』が歴史書の原点です。
これは帝国の正統性を記した書です。
正統というのは、わかりやすくいえば、
「誰がいちばん偉いか」
ということです。
つまりチャイナの史書というのは、「誰がいちばん偉いのか、どうして偉いと言えるのか」を記した書です。
チャイナの史書では、御存知の通り周辺諸国はすべて蛮族とされますが、そもそも史書がそのような目的で書かれた書であれば、そうなることがむしろ当然といえます。

西洋とチャイナの違いですが、チャイナの場合は、単に「誰がいちばん偉いか」を記しているだけですから、この場合「共通の敵」の存在の必要がありません。
前王朝がいかに理不尽だったかという、不当性だけが問題となります。
このとき本当は、前の王朝を倒した側、つまりいまの王朝が、実際にはかなりの非道を繰り返しているのですが、彼らの歴史認識では、その非道はことごとく前の王朝、前の支配者の「せい」になります。
現代において、彼らが日本を目の敵にする理由もそこにあります。

チャイナの歴史観は、もともとがそういうものですから、王朝が交代するたびに歴史が書き換えられます。
つまり、現代チャイナの歴史認識は、いまの中共王朝が消えてなくなるまで変わることはない、ということです。
かれらにとって、真実は関係ないのです。
必要なことは「誰がいちばん偉いのか」という正統性だけです。

要するに、その時点で誰が一番偉いのかだけが問題なのであって、そこに真実は必要ありません。
そこに直進する時間も、因果関係もありません。
都合に合わせて、あとから書き換えるのが歴史だからです。

韓国の近代に関する歴史認識も、この延長線上にあります。
日本軍にひどい目に遭わされた、それを開放したのが現代韓国なのだ、ということ以外に、彼らにとっての正統性はありません。
さまざまな客観的事実が、どれだけ出てきて発表されようと、その一点は変わらないのです。

ここまでを整理すると、
1 西洋の歴史は「共通の敵に対する英雄譚」であり、
2 チャイナの歴史は「誰が上にいるかを証明するためのもの」であり、
3 印度の歴史は「前世との関連」であり、
4 イスラムの歴史は「アラーの思し召し」です。

では、日本における歴史は、どのようなものでしょうか。
日本には、万古不易の共通の敵などはいませんし、
神々の時代から正統な天皇が存在していますし、
前世からの因縁よりも現在の暮らしと未来の子供たちが大事ですし、
アラーの神もいません。

そうなると歴史は、現状を打破するために学ぶものという概念が生まれてきます。
つまり歴史は「学ぶもの」ということになります。
どうして学ぶのかといえば、現状を打破する力を得るためです。
ですから、過去の事実や事件の流れ等を、まず正確に把握する。
そのうえで、何がどうなっていたのかを「考える」。
それが日本における歴史であり、歴史を学ぶ意義です。

たとえば、日本における史書といえば、古事記や日本書紀がありますが、それらは読めば読むほど、深い解釈が成り立つなどと言われます。
読み方ひとつで、そこから得られる知識や知見は、もっともっと深まることになる・・・とこのように言われるわけです。

「いや、史書でしょ?」
「真実はひとつでしょ?」
そうではないのです。
真実は、タイムマシンでも登場しない限り、わからないのです。
ただ、いつどこで何がどうなったという事実だけはあります。
そこで「どうしてそうなったのか」を考えるのが、日本における歴史なのです。

このことは企業が研修等でよく行う「ケース・スタディ」と同じです。
その会社で過去におきた事件を通じ、本当はどうすればよかったか、どうしたら防げるかを考えるのがケース・スタディです。
そのケースの発生日時や登場人物名を丸暗記したところで、何の意味もありません。
そのようなことをどれだけたくさん丸暗記したところで、
「そんなものは学問のうちに入らない」
と、これは福沢諭吉の指摘です。

そこでたとえば南京問題を例に出すと、
中共王朝にとっては、王朝の正統性確保のために、日本軍による蛮行が「あったことにしなければならないもの」です。
中共王朝が正統であるためには、それは「あった」ことが必要です。
なくても「あった」のです。

一方日本にとっては、歴史は真実を探るものですから、実際にどうだったのか問題になります。
真実を探求しようとする国と、都合により真実を改変する国では、その立脚点が180度異なります。

では、それを西欧に持ち込んだらどうなるかというと、彼らにとって歴史は英雄譚ですから、南京で虐殺があったことになれば、第二次世界大戦で日本を打ち負かした彼らは英雄になるわけですから、これは歓迎すべき歴史ということになります。

また西欧が南京事件をなかったと認めるときは、中共が彼らにとっての敵となったときです。
つまり、日本が西欧社会とともに、人類共通の敵である共産主義や、嘘と欺罔の悪魔の所業と、積極的に戦う英雄の一員となる日が来るまで、日本は人類共通の敵というポジションから抜け出せないことになります。
これが現実です。

実は南京問題というのは、いろいろな見方ができるものでもあるのです。
当時の国民党は、南京城内を占領したあと、城内に住む民間人に銃を突きつけて強制徴兵し、特戦隊がその民間人に後ろから銃を突きつけて日本軍と戦わせていました。
日本軍は、そうした「民間人で銃を撃ってくる者」と戦ったわけですから、ドンパチが起これば、当然、「後ろから銃を突きつけられて、銃を手にして日本軍に向けて発砲する民間人」を殺生しています。
その意味では、民間人の死傷者は出ているのです。

けれど、戦時国際法によれば、国家同士の戦争は、軍服を着用し、ひと目で軍人と分かる鉄兜や帽子をかぶり戦いの責任者のもとで、銃を携行している者を相手に戦うものであり、そうでない者は民間人であって殺害してはならないものとされています。
では、当時のChina国民党兵がどうだったかというと、軍服を着ている者は、基本、戦わず、民間人に銃を突きつけて前線で戦わせていたわけです。
しかも軍の総指揮官の蒋介石も、前線の責任者の唐生智も、戦いがはじまる早々に、南京から逃げ出しています。
つまり和平を結ぶ相手さえいないという状況にあったわけです。
そのうえ、蒋介石率いる国民党は、領土と国民に責任を持つ国家ではありません。単なる軍閥であり、領土もなければ領民もありません。
そんな領土も領民もいない軍閥が、勝手に南京を占領して、民間人に銃を突きつけて戦いを強要していたわけです。

このような場合、戦時国際法に従えば、China国民党は軍とはそもそもみなされません。
これは過激派によるテロであり、その過激派を排除して南京の治安を回復しようとした日本軍に対して、たとえ強制徴用であったとしても、発砲する者があり、しかもその発砲者らが軍人なのか民間人なのか見極めがつかないという状況にあれば、これは戦う相手とみなされますから、老若男女を問わず、本来は降参するまで、皆殺しをすべき相手ということになります。

ところが彼らは、いったん降参したと見せかけて、隠し持った武器で騒乱を起こしているわけですから、この場合、その場にいるすべてのChineseが、殲滅の対象となったとしても、戦時国際法上は、むしろそれが正統な行為となります。
にもかかわらず、日本側はそうした殺戮となる状態を防ぐために、誠実な努力を重ねているわけですから、これはもう神の軍としかいえない行動といえます。

それだけの恩恵を被ったChinaが、それでも日本を悪く言うのは、その後に中共王朝ができたからです。
その中共王朝は、昭和24年で、日本にとっては終戦後のことにすぎません。
にもかかわらず中共王朝が南京を持ち出すのは、彼らの正統性が、彼らが日本軍と戦い、Chinaから日本軍を追い払ったから、というものだからです。
実際には、彼らは日本と干戈を交えていないにもかかわらず、彼らは自分たちの正統性を確保するために、そうした事実を「創作」したわけです。
それが彼らにとっては、必要な歴史です。

つまり、上辺は歴史戦といわれていますけれど、これは国家間の、実は文化的価値観の違いの問題でもあるわけです。
良い悪いではなくて、世界には、そうした理不尽が、まだまだたくさん残っているということです。

けれど私たちは日本人です。
そして日本人にとって、必要なことは、事実としての明確な因果関係としての歴史であり、未来を担う力です。
私たちは、そうした思考を、捨てる必要も、曲げる必要も、まったくないと思います。

※この記事は2016年3月のねずブロ記事の再掲です。

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