最近はおもしろいことをいう人たちがいて、日本というのは「非常に遅れた民族」であって、6世紀の仏教伝来とともに朝鮮半島から箸が伝えられるまで、「日本人には箸を使う文化がなかった」という説を唱える人たちがいます。
それが意外と権威ある学者の先生方であったりします。

けれどもそんな説は、たとえそれがどんなに高名な先生の説であっても、あるいはテレビで有名タレントが言っていたとしても、普通の素人が簡単に論破否定することができます。
あたりまえです。
縄文人は、鍋料理を食べていたことが、土器の内側に付着した微物から、すでに判明しているのです。
熱い鍋料理をいただくときに、手づかみで鍋に手を入れることは、たとえ縄文人に超能力があっても、不可能だからです。

もともと祖代の日本で用いられていた箸は、竹を割って細い棒状にし、その棒の真中を熱しながら曲げて作る「トング状」のお箸であったことが明らかです。
このことは2つの点から論証できます。

ひとつは、皇室祭祀の新嘗祭です。
新嘗祭は、天神地祇の神々を天皇が皇居にお招きし、ご一緒に今年採れた新穀をお召し上がりになられる祭祀です。
とても古い時代から行われていたもので、ここでは柏の葉にご飯を盛り付け、トング状のお箸(これを古代箸といいます)で、お召し上がりになられます。
炊きたての熱いご飯を柏の葉に乗せていただくというのは、まだお茶碗がなかった頃からの習慣といえます。
そして我が国の古代における箸は、二本箸ではなく、まさにトング状のお箸であったことが、ここからもわかるわけです。

もうひとつは、神話です。
神話には、高天原を追われたスサノオが、斐伊川のほとりに降り立って途方に暮れていると、上流から「箸が流れてくる」。
これを見たスサノオは、上流に人が住んでいると確信して、川をさかのぼり、そこでヤマタノオロチ退治を行ったという物語があります。

このとき、流れてきたお箸が、現代のような二本箸の一本であれば、それは簪(かんざし)なのか、ただの枝なのか、区別がつきません。
神話はもともとは、何百年、あるいは何千年と口伝で伝え続けられた物語ですが、もし二本箸を用いるのが常識であったなら、神話が語られる都度、子どもたちから
「え〜、どうしてお箸だってわかったのぉ?
 装飾でもしてあったのぉ?」
などと、語り部にツッコミが入ります。

ある意味、子供というのは、純粋であるだけに残酷なところがあるのです。
権威ある人が「ワシが言っているのじゃから、間違いはないのだ!」などと言っても納得しないし、納得しなかった子どもたちは、大人になって我が子に「そのときお箸の片方が流れてきて・・・」なんて物語は言って聞かせることはありません。
たとえあったとしても、そのような矛盾をはらむ物語は、数世代で消えていってしまうのです。
その意味で神話は、「なぜ、どうして」と思う疑問に、ことごとく答えることができるものでなければ、生き残ることができないのです。

このように申し上げると、たとえばチャイナの場合、「天帝の子が10人生まれ、全員が太陽になったため、地上が灼熱地獄となり、そこで天から派遣された羿がひとつを残して9個の太陽を弓で射落とした」なんていう神話があります。
普通に考えたら、子どもでも「太陽が10個、弓で射落とした、無理無理(笑)」となる物語です。
ところがこうしたいわゆる中国神話というのは、各地に伝わっていた不思議物語を、20世紀の学者である袁珂(えんか)がまとめたものにすぎません。

要するに、日本で言うなら柳田国男先生の『遠野物語』を神話にしたようなものなのです。
もっというなら、王朝の交替の都度、神話が失われてしまったので、『ゲゲゲの鬼太郎』の物語を、国の正規の神話にしましたぁ!というものと実は何も変わらない。
ちなみに袁珂がお亡くなりになられたのは、2001年のことです。

ギリシャ神話とか北欧神話といったものもあります。
ギリシャ神話は、もともと古代ギリシアにおいて、市民の教養とされた(この時代で市民というのは、人口の1%の特権階級のこと)物語で、代表作がホメロス『イリアス』と『オデュッセア』です。
ところがそのホメロスは、紀元前8世紀の吟遊詩人であって、日本で言うなら琵琶法師のようなものです。
江戸時代で云うなら講談師か浪曲師のようなものです。

そういう意味では、旧約聖書も、成立したのが紀元前550年前後のバビロニア捕囚期とされています。
そしてこの時代になると、すでに文字がありましたから、文書として書き残され、そこから神話が定着を始めることになるのです。

口伝は、伝言ゲームと同じで、長い歳月の間に変形するし、加工されるし、その過程において論理化され、合理化されていきます。
ところが一度文字にされると、神話は矛盾があってもそこで固定化されます。
その意味で、口唱歌謡だったホメロスと、旧約聖書では、その重さが違ってきたりしています。

日本の場合、神話が文書化されたのは、いわゆる古史古伝と呼ばれる書物を別にすれば、いま歴史学的に間違いなく存在が確認されているが、日本書紀と古事記です。
この両者は、成立が8世紀初頭とされ、当然、文字もあった時代ですから、その内容が固定化されています。
ところが、これは古事記の序文に書かれていることですが、そこに書かれた神話の内容は、稗田阿礼の口唱であったとされています。
つまり、書かれた神話のもとになる口唱の物語があったということなのです。

一般に、神話は新石器文明のはじまりとともに口唱されるようになったものとされますが、世界における新石器時代のはじまがおよそ8千年前。
これに対し日本の新石器文明の始まりは、なんと3万8千年前にさかのぼります。

日本における神代文字の成立が、いつ頃のものであったのかは、現時点ではまったくわからないことですが、ただ、古代シュメールの文字と、日本の神代文字との間に共通性が見られることから、最短でも8千年前には、すでに文字が用いられていたと考えられます。

そして日本は、戦後という極めて特殊な一時期を除き、これまで数千年から数万年に到る途方もなく長い期間、一度も他所の国に占領されることなく、民族独自の文化を形成することに成功してきた、世界で唯一の国でもあるのです。
つまり日本の神話は、途方もなく長い期間を口唱ですごし、それが後に文字で定着したという、世界史的に見てもきわめて特別な存在であるのです。

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