第109回倭塾は、2024年5月25日 12:30-17:00 の開催です。場所は富岡八幡宮/婚儀殿2F。テーマは「マネーの歴史とこれから」です。みなさまの奮ってのご参加をお待ちします。詳細はコチラ→https://nezu3344.com/blog-entry-5957.html

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「ネイション(Nation)」と「ステイト(State)」についてお話してみたいと思います。

「ネイション(Nation)」は、一般的には文化的、言語的、民族的な結びつきを持つ人々の集団を指します。
国民性や共通の歴史、価値観、つまり共通のアイデンティティや文化を共有している人々の集合体がネイションです。
「ステイト(State)」は、政治的組織のことで、国家、政府、行政組織のことをいいます。
一つの政治的な単位や領域を統治する組織体であり、法律や規則を制定し、実施する役割を果たします。

このことを日本に当てはめてみたとき、2683年前に神武天皇によって建国された日本、もしくは縄文以来、万年の単位で続いている日本という概念は「ネイション(Nation)」です。
これに対し、明治の大日本帝国や、戦後の日本国などは、いずれも「State」ということになります。

さらにいえば、平安期までの日本は「Nation」と「State」が朝廷という機構で一体化していたけれど、鎌倉期以降、日本はそれまでの朝廷という「State」が切り離されて、鎌倉政府という「State」や、室町政府、織豊政府、江戸政府、明治新政府、敗戦政府といった「State」によって統治されてきた、ということになります。

もう少し厳密に言うと、明治以前の日本は農家の人口が全体の95%以上を占めていましたが、織豊期までは農家は、朝廷の直轄荘園、寺社の荘園、武家の持つ新田の3つが存在していました。
従って、それまでの日本は、天皇という「Nation」のもとに、朝廷、寺社、武家という3つの「State機構」をもっていたことになります。
これが戦国期に乱れて混乱し、江戸時代に至って、それら3つの「State」が統合されて、徳川幕府の管理下に置かれるようになっています。

アメリカ合衆国の場合、合衆国自体が「Nation」です。そして全米の各州が「State」という関係になりますが、日本の場合は、土地の領域ではなく、管理主体によって分けられていたと考えるとわかりやすいかもしれません。

さて、よく左の人たちは「8月革命説」といって、日本は昭和20年8月の終戦によって、新しく日本国という国に生まれ変わったのだ、という説を唱えられます。
この説に従えば、昭和20年以降、日本はGHQの支配下に入り、昭和27年に独立をして日本国となったことになり、中共政府が昭和24年設立、韓国政府が昭和23年設立ですから、日本はその後に生まれた後進国ということになります。

これに対し、保守系の方々は「そうではない。日本は建国以来2683年の歴史を持つ世界で一番古い国だ」と述べます。筆者もその説を採っています。
しかしこの両者の意見の食い違いは、日本を文化的集合体としての「Nation」と捉えるのか、政治体制としての「State」と捉えるのかの違いに他なりません。

上に戦後の日本の「State」のことを、「敗戦政府」と書かせていただきました。
言い方は、敗戦利得者政府でも、あるいは対米追従政府でも、どちらでも構いません。
ただ、現実には、日本人が日本人としての誇り、つまり「Nation」の人々としての誇りを失った日本であるわけで、この結果戦後の日本が、占領統治下という特殊な状況で生じた歪みが、結果としてこの30年間もの長い日本の停滞に至っていることは、おそらく右の方も左の方も異論のないところだと思います。
土台が歪んでいれば、いくら小手先の改革を繰り返したところで、歪みがますます大きくなるのはあたりまえのことです。

そうであれば、日本は、日本という神武創業以来の「Nation」を軸として、新たな「State」を創造していく必要があります。
これは「革命」であってはなりません。あくまでも「創造」でなければなりません。
なぜなら、性急な「革命」では、我々が最も大切にしなければならない平和が失われ、多くの人命が失われることになるからです。

右も左も在日も邦人もない。
日本に住むすべての人々が、豊かに安全に安心して暮らすことができる日本を築く。
このことは、日本に住む日本人なら、誰もが思うことであろうと思います。

※この記事は2023年5月のねずブロ記事のリニューアルです。

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