6月22日に、希望の日本再生チャンネルで、皆様とお伊勢様の外宮、内宮に参拝をし、お神楽の奉納をしてまいりました。
修養団の寺岡賢講師から、お伊勢様の意義や、木々のこと、なんてことなく配置されているさざれ石や、五十鈴川のお話などをお伺いしながらの参拝でした。
ご参加の皆様とも、これまでのお伊勢様参拝とは一味違う、深い意義のある参拝となりました。
ご参加の皆様、ありがとうございました。
何事も「はじまりはお伊勢さまから」と昔から申します。
希望の日本再生チャンネルも、この日を境に、これから大幅リニューアルをしていきます。
その開始にあたり、お伊勢様へのご参拝ができたことは、とても良いことであったと思います。
人(ひと)とは「霊(ひ)止」です。肉体に霊(ひ)をとどめている間が人です。
霊(ひ)が離れると、肉体は「から(空)だ」になります。
つまり、人には霊(ひ)があり、霊(ひ)は神々に通じる存在です。
そしてお伊勢様は、日の本(霊(ひ)のもと)の最高神です。
何事とも「お伊勢様から」という言葉は、言葉以上にたいへんに重い意味のある言葉であると思います。
希望の日本再生チャンネルでのお伊勢様参拝は、これからも毎年続けていく予定です。
またよろしくお願いします。
そういえば古事記の天孫降臨のところに、次の記述があります。
このふたはしら かみさまを 此二柱神者
をがみまつるは さくくしろ 拝祭佐久久斯侶
いすずのみやに おわします 伊須受能宮(自佐至能以音)
つぎにとようけ おおみかみ 次登由宇気神此者
わたらひそとの みやおはす 坐外宮之度相神者也。
【現代語訳】
この二柱の神(鏡と思兼神)は、鈴の飾りのついた美しい伊須受能宮(いすずのみや)に拝み祭られています。
次に登由宇気神(とゆうけのかみ)は、外宮の度相(わたらひ)(地名)に御鎮座されています。
この文は、いよいよ天孫降臨の際に、天照大御神が八尺勾璁(やさかのまがたま)、鏡(かがみ)、草那芸剣(くさなきのつるぎ)、つまり三種の神器をニニギのミコトに賜われたときの文です。
そしてこのとき「鏡を私と思っていつき祀りなさい」との御神勅を賜われています。
よく「お伊勢様の内宮には、別な神様もお祀りされているのでは」といった声を聞くことがありますが、古事記にはちゃんと「鏡と思兼神の二神が祀られていますよ」と書かれているわけです。
そしてもうひとつ、大国主神話の冒頭に、実に興味深い記述があります。
それが「従者」という記述です。
大国主神は大いなる国の主になる前の若い頃、大穴牟遅(おほなむち)という名前でした。
八十神(やそがみ)たちが八上比売(やがみひめ)を求めて出雲(いずも)から稲羽(いなば)に向かった時、大穴牟遅は「従者」であったと古事記は書いています。
そして「従者」は、このように書いて「ともびと」と読みます。
そこに日本的組織の大切な教えがあります。
古事記の原文と読み下し文を読んでみます。
***
おほくにぬしの あにおとに 故此大国主神之兄弟
やそかみたちは みなくにを 八十神坐然皆国者
おおくにぬしに さりましぬ 避於大国主神
やそがみたちの さるゆえは 所以避者其八十神
いなばのやがみ ひめこころ 各有欲婚
おのおのよめを ほつしては 稲羽之八上比売之心
ともにいなばに ゆきしとき 共行稲羽時
おほなむちかみ ふくろおひ 於大穴牟遅神負袋
ともびととして ひきゆきき 為従者率往
(現代語訳)
大国主(おおくにぬし)の兄弟の八十神(やそかみ)たちは、全員、国を去りました。
その理由は、因幡(いなば)にある八上比売(やがみひめ)の心を嫁にしようと、皆でともに因幡に行ったときにはじまります。このとき大穴牟遅神(おほなむちのかみ)は、従者(ともびと)として引率されていました。
***
西洋でも東洋でも、およそ世界の国々で社会を構成しているのは、上下と支配の関係です。
上に立つものが主人、下にいる者が従者です。
これを主従関係と言い、社会秩序の基になります。
けれど実際には、主従関係と言えば聞こえは良いのですが、実態は所有関係です。
上にいる人が下の人を私的に所有するという関係です。
私的に所有することは、ひとことでいえば下にいる人は「私物」だ、ということです。
極端に言えば煮て食おうが焼いて食おうが所有者の勝手です。
職場におても上司がボスであり、所有者です。
部下は所有物ですから、活かすも殺すも(つまりクビにするのも)上司のであるボスの勝手です。
ところが日本は違うのです。
上の文においても、従者と書いて「ともびと」と呼んでいます。
しかも、普通であれば上司の数よりも部下の数の方が多いものですが、八十神(やそがみ)という何人いるかわからないほどたくさんいるのが上司であって、部下である従者は、大穴牟遅神ひとりです。
※八は、たくさんの、という意味を持ちます。八十(やそ)は、それが十もあるのですから、数え切れないほどたくさんの、という意味になります。
普通ならひとりの課長の下に大勢の部下がいるものですが、ここでは数え切れないほどたくさんの部課長の下に、平社員がひとりだけ、という関係になっています。
実に興味深い記述です。
その部下のことを、従者(ともびと)と書いています。
「ともびと」は、同音異義語で書けば「友人(ともびと)」です。
友人同士の関係は、所有や支配とはまったく異なるものです。
縦の関係ではなく、横の関係です。
「とも」は「伴」とも書きますが、「伴」もまた同一集団に属する横の関係の仲間や友人のことを言います。
伴侶なら配偶者のことですが、この「侶」という字も訓読みは「とも」です。
つまり伴侶というのは、連れ添う友であり、夫婦は互いに同列にあって生涯をともに連れ添う対等な仲間という認識がそこにあります。
似たような言葉に「一族郎党」があります。
「一族」というのは血縁関係のある人々のこと、「郎」は良い男、「党」は仲間です。
一族郎党とは、血縁関係のある良い男たちの仲間集団だ、というわけです。
鎌倉武士は、御恩(ごおん)と奉公(ほうこう)の関係にありますが、地所を守って頂いたお礼に「いざ鎌倉!」と鎧兜に身を包み、馬に乗って複数の郎党を従えて出征します。
そうした武士と郎党の姿は、なるほど外見上は大陸や西洋のような主従の関係に見えます。
しかし日本型社会では、意味が違うのです。
戦の時に、武器を手にして丁々発止(ちょうちょうはっし)と白刃(はくじん)を交えるのは馬上の武士の役割です。
その武士の面倒を細かく見るのが郎党の役割です。
よくボクシングの試合などで、次のラウンドの合間にリング上の選手が自分のコーナーに戻ると、コーチやら付き人の人たちが一斉に選手に群がって、汗を拭いたり指示を与えたり、トランクスを引っ張って呼吸をしやすくしたりします。
そうしたコーチやら付き人の人たちと選手の関係は、選手によって支配された所有関係ではありません。
全員が戦いに勝つための当事者としてのまとまりであり、互いに役割分担をして、チームで勝利を期します。
馬上にあって郎党を従えた鎌倉武士の姿は、実はこれとまったく同じです。
チームなのです。
同様に、大穴牟遅の兄弟であった八十神たちもまた、大穴牟遅の支配者ではありません。
大穴牟遅もともに八十神たちの仲間です。
いわば同じ村の青年団の仲間たちであって、その中で大穴牟遅は他の仲間たちの荷物を担ぐ役割が与えられていたということです。
ここに、西洋や東洋の主従関係とは一味違った日本型の集団構造があります。
古事記はこのことを「従者(ともびと)」という言葉で表現しているわけです。
日本型リーダーは、西洋や東洋の社会にあたりまえのようにあった上下と支配の関係とはまったく異なるものです。
上司と部下の関係は、あくまで人として対等な関係を前提とします。
従って部下は所有物ではなく、どこまでも身内であり「ともびと(友人)」であり、パートナーです。
上司と部下は、同じ一つの目的のもとに集った仲間と認識されます。
なぜこのような姿が日本に育ったのかと言うと、日本が古くからの文化を伝承した国だからです。
これはとても貴重なことです。
西洋でも東洋でも王朝は破壊と建国の歴史です。
王朝が交替するたびに人口の三分の一が失われ、それまでにあったすべての社会システムは破壊され、まったく新たな社会統治体制が生まれます。
ですから王朝が替わる度ごとに、すべてがゼロからスタートします。
つまり以前の文化が伝承されないのです。
このことは、知識や経験や知恵さえも、ふたたびゼロからスタートすることを意味します。
近年の世界の科学技術の進歩は、まさに目をみはるものがありますが、そうした科学技術の進歩は、科学技術に関するあらゆる情報の交流が途切れていないことによります。
ひとつの技術が成立すれば、その技術が公開情報となり、次の人はその技術をもとにさらにその上を行く技術を生み出していきます。
十二馬力を出力することが夢だったエンジンが、いまでは数万馬力の出力を持つエンジンまで開発されるようになったのは、こうした技術の公開と相互の切磋琢磨(せっさたくま)によります。
携帯電話も、ほんの三〇年前には一台の電話が小学生のランドセルくらいの大きさでした。
いまでは片手で持てるだけでなく、パソコンの性能さえも持っています。
情報通信網も、インターネットの普及によって加速度的に整備され、いまでは居ながらにして世界中のあらゆる情報に接することができるようになりました。
しかしもし、大規模な戦争によって何もかもが破壊され、技術を持った人たちまで全員殺されて人々が原始時代のような生活からやり直すことになったとしたならば、人類はまた数千年かけて文明を取り戻していかなければならなくなります。
つまり破壊と殺戮の繰り返しの中では、戦いの技術は進歩するかもしれませんが、社会システムが進歩することはないのです。
ところが日本では、現在判明しているところでは、高い文化を持ち始めたのがおよそ4万年前、縄文時代のはじまりが1万7000年前です。
とりわけ長く続いた縄文時代は、その全期間を通じて、殺人や事故による死傷率が、わずか1.8%です(山口大学と岡山大学の2016年の共同調査結果)。
つまり日本には人が人を殺すという文化がそもそも存在していないのです。
当然、破壊もない。
すると何が起きるかというと、文化が伝承され、積み上げられていくのです。
社会はそれまでに経験した様々な出来事に学びながら、世代をこえて進化します。
こうして我が国に生まれたのが、支配や所有とは異なる「とも」としての集団形成です。
縄文時代も、初期の生活は狩猟採集生活であったと言われています。
狩猟採集生活というのは、ある意味とても楽しい生活で、人々は一日二〜三時間働くだけで、その日の食べ物を得ることができたのだそうです。
ところが日本では、これだけでは集団が生きていくことが困難なのです。
理由は天然の災害です。
日本列島では、地震、落雷、大水、津波、噴火、火災などが頻発します。
海が荒れれば漁にも行けず、火山が噴火すれば山でタヌキを捕まえることもできません。
そうした災害に生き残るためには、ひとつには人々が助け合って生きることも大切ですが、それ以上に常に災害に備えて食料を備蓄しておくことが必要です。
ところが冷蔵庫のなかった時代です。
肉や魚や野菜や木の実は長期の食料保存ができません。
できるのは唯一、稲だけです。
稲は風通しの良いところに保管して、ネズミや虫害だけ対策すれば10年以上もの保存が利(き)くのです。
このことから、縄文中期には、さかんに稲作が行われるようになりました。
そして稲は、個人で保管するよりも、水害にあいにくくて地盤の堅い山上に、みんなの共有財産として保管したほうが、より安全に長期の保存ができることを学びます。
こうして、山の上の地盤の堅いところに、村の共有財産として神社が建てられます。
神社は高床式で建てられ、奉納米が備蓄されました。
少し古い神社では、いまでも宮司さん以下の社の職員たちは新米を食べることができません。
奉納米は新穀(しんこく)で奉納されますが、神社ではそれを最低二年間保管します。
万一の災害時における村人たちの非常食とするためです。
みんなの共有物としての万一の際の保存食料は、村でもっとも安全な場所で、通気性の良い高床式の建物に保管し、神様に守っていただくという、神社を村の共有財産として、神社を中心に村落を営む姿が形成されていたのです。
そしてその中で、誰が偉いわけでもない、偉いのは神様だけで、人は互いに協力し合うことを第一にする、すなわち和をもって貴(たっと)しとする我が国の形が形成されていったのです。
また災害時の備蓄食料の分配は、単純にどの家庭にも同じ分量だけ配給すれば良いというものではありません。
家族の人数も違うし、成長期の子供のいる家庭と、高齢者の家庭では一日に食べる量も異なります。
単純に同量を分配するのが平等なら、どの家にも過不足なく上手に分配するのが公平です。
そうした公平性は、上下と支配の関係では成立がむつかしいものです。
どんな人でも同じ村の仲間として、対等な人間として接するところに、公平が生まれます。
そして日本は、こうした文化を千年万年の単位でずっと継承し一度も滅びることがなかった国です。
だからこそ世界でもめずらしいと言える上下関係を「とも」と呼べる社会システムを構築しているのです。
特に、いわゆる社会的エリートと呼ばれる人の中に、役職=偉いという、誤った考え方を持つ人が多いようです。
戦後教育は、西洋文化がいたずらに素晴らしいとするかなり偏った教育ですし、そうした教育を受けて育ったエリートさんたちが、このような誤った考え方に取り憑かれることは、よくあることです。
そうした人たちは、「命令すれば部下が動く」と思い込んでいるフシがあります。
それは違います。
かつての帝国陸軍がそうでしたが、上司の命令ひとつで、部下たちは敵弾の前に突撃をしました。
それは上司の命令だったからか、といえば、もちろん命令があったからではあるのですが、命令一下で、生命を捨ててまで突撃することができたのは、そこには上司への絶対の信頼があったからです。
なぜそのような信頼が生まれるのかといえば、上司と部下はともに目的をおなじくする「とも」であったからです。
そのうえに、上司と部下という役割分担があります。
そういうことをしっかりと認識し、立派な上司のもとであるからこそ、部下たちは敵の機銃の前に、三八式歩兵銃ひとつで突撃攻撃を仕掛けることができたのです。
役職というのは、単なる役割です。
上に立つ人も、下にいる部下も、みんな等しく「おほみたから」であり、「とも」なのです。
それが日本の文化です。
※この記事は2022年6月のねずブロ記事のリニューアルです。