日本がなくなる!!
このように心配する声があふれています。
政治的、経済的、思想的に、あるいは天変地異によって日本がなくなる。
そのように主張する人たちが増えています。

なるほど、現状の日本を見れば、問題だらけです。
食の自立の問題、日本の公的インフラの外国企業への売却問題、大学等教育機関の外資化、医療問題、反日的教育等々、現状において日本が抱える問題は、まさに多岐に渡ります。

加えて日本は、もともと火山列島です。
いつ天変地異が起こるかわからない。
さらに太平洋のどこかで巨大火山の噴火が起これば、大津波が日本の沿岸を襲い、沿岸部にある日本の大都市はほぼすべて壊滅してしまうという危機もあります。

第二の567が国内で流行すると、日本から渡航を世界中の国々が禁止するというリスクもあります。
こうなると日本は輸出入が絶たれ、二次エネルギーとしての電気やガスが使えなくなり、日本の生活インフラは破壊されます。
食料自給は、農水省の発表では37%というけれど、それはあくまでカロリーベースの話。
現実には国産農業は海外からの農薬に頼っていますから、その輸入が止まると、現実の日本の食料自給は4%にまで下がるともいわれています。
その情況が続けば、日本人1億2千万人のうち、生き残れれるのはおそらく500万人程度であろうともいわれています。

これらの問題は、すでに起きているものであり、また近い将来に必ず起こる可能性があることでもあります。
つまり、まさに日本は危機的状況なのです。

その状況下で、日本政府は、国民を護るどころか、日本人がどんどんと貧乏になる方向に政策を進めています。
ですからこのままでは本当に日本が危ないという声もあります。
その通りと思います。

では、いま挙げたような様々な問題に対処するためには、何が必要なのでしょうか。
そしてそれらは、いわゆる「縦割り行政」という仕組みの中で解決可能な問題なのでしょうか。
あるいは、一部の国会議員が「問題だ」といえば、それで解決できる問題なのでしょうか。

多くの人が誤解していることですが、国会というのは、もともとは王様が行う統治や政治に、「王様、それではこのような問題が生じます。ちょっと待ってください!」と、いわば王権に対するブレーキをかけるためのシステムです。
そのブレーキ役の国会が、現下の日本国憲法下では、なぜか立法府とされています。
つまり国会が法律を作るのだというのですが、現実には複雑に絡む法律は、ひとつの条文をいじるだけで、数百の法律に影響が出るのです。
ですから、議員立法というのは、実は絵に描いた餅にすぎません。

実際には、様々なことを決め、それを実行していくのは、行政府の役割ということになっています。
いわば内閣府は、本当は、王様の役割を果たすところのはずです。
けれど、日本の憲法は、そのような仕組みにはなっていません。

どういうことかというと、もともと三権分立を決めた日本国憲法は、GHQという占領軍のもとで、日本人服務規程として誕生したものなのです。
わかりやすく言うなら、GHQが会社の経営者、その下にある内閣府がその実行部隊としての関係各課にあたります。
そしてそのGHQはいまはいませんから、結局のところ日本は、経営者不在で、課長さんしかいない会社のようなものなのです。
しかもその会社は、1億2千万人を超える従業員を雇用しており、対外純資産は世界一、保有しているマネーの総量は、世界の20%にあたります。

つまり日本は、世界最大の超お金持ちな優良企業でありながら、なんと経営者不在で、課長しかいないという、極めて脆弱な情況になっているわけです。

課長さんには、職務分掌で定められた決裁権があります。
けれど、課を横断するような取り決めは、課長さんには権限がありません。
それができるのは、経営判断を行うことができる経営者ですが、戦後の日本は、まさにその経営者が不在なのです。

つまり、冒頭にお示ししたような様々な問題を解決する、あるいは問題を予期して対策を講じるためには、何よりもまず、関係各課を横断的に動員して、総合判断ができる日本の経営者を作らないことには、実はどうにもならないのです。

では、そのような経営者を作るためには、どうしたら良いのでしょうか。
何事につけ、日本は庶民の国です。
その庶民が、経営者を求め、歓迎してくれるような社会環境が整わなければ、日本に経営者をもたらすことはできません。
だからいま、日本は、国民に目覚めよ!という売国的な、つまり本来行うべき方向とは真逆の方向に政治の舵が切られています。

人口の10%の人が日本の危機に目覚めれば、集合意識が働き、日本の有権者の過半数が、日本の経営者を求めるようになります。
そして日本に経営者が誕生するとどうなるか。
それはつまり、ひとことでいうなら、日本に、ロシアでいうプーチン氏のような存在が誕生することを意味します。
つまり、独裁者です。

では、現状の日本において、政治家が「私は独裁者になります!」と国の経営に乗り出したとして、果たしてこのことに国民が付いてくるでしょうか。
答えはNOです。

ならば国民が、独裁者を求めるようになるところまで、日本を追い詰める必要がある。
いま、行われていることが、これです。

日本には、これから激震が走ります。
けれどその激震は、日本が日本人が目覚めるための激震です。

日本人は平和を愛し、人を愛し、共同体やコミュニティを大切にし、道義をしっかりと保つことができる国民性を持ち、信頼や信用を大切にします。
そして実はその信頼や信用を大切にするという日本人の国民性が、世界における日本の信用となり、世界の経済の中で日本が一人勝ちとなっている理由でもあります。

つまり、日本が日本らしくあること。
そのことが日本を、豊かな国であり続けさせる、最大の原動力なのです。

その日本を再び取り戻すr。
そのために必要なことが、いま起きている出来事です。

吉田松陰が水戸藩の郷士堀江克之助に与えた書の言葉があります。

「天照の神勅に、
 日嗣之隆興 天壞無窮 と有之候所、
 神勅相違なければ日本は未だ亡びず。
 日本未だ亡びざれば、
 正気重て発生の時は必ずある也。
 只今の時勢に頓着するは
 神勅を疑の罪軽からざる也」

【現代語訳】
 天照大神の神勅に、
 天皇を頂点とする我が日本の興隆は天地に終わりなし、とある。
 その通りに、日本はいまだ滅びていません。
 ならば、日本が正気になるときは必ず来ます。
 ただいまの時勢に翻弄されるのは
 天壌無窮の神勅を疑うということです。
 それは、決して軽くない罪です。

さらに吉田松陰は、次のようなことも言っています。

 夢なき者に理想なし
 理想なき者に計画なし
 計画なき者に実行なし
 実行なき者に成功なし。
 故に、夢なき者に成功なし。

戦後の日本の夢とはどのようなものでしょうか。
それは、昭和天皇が終戦のご詔勅のなかで明確に述べられています。

 宜シク挙国一家子孫相伝ヘ
 確ク神州ノ不滅ヲ信シ
 任重クシテ道遠キヲ念ヒ
 総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ
 道義ヲ篤(あつ)クシ
 志操ヲ鞏(かた)クシ
 誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ
 世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

つまり日本にとっての理想は、
「道義国家」であり、
「堅固な志操を保つ国家」です。

道義国家というのは、ものすごく簡単に言ったら、朝起きたらちゃんと布団をあげる、そういう国柄です。
戦後はベッドが普及し、布団は年中、ベットの上に敷きっぱなしになっています。
そうではなく、ひとりひとりが、毎朝、布団で寝られたことに感謝して、布団をたたんで押入れにしまう。

「道」とは、人が従うべきルールのことです。
「義」とは、条理のことをいいます。
つまり道義国家とは、人々が真っ直ぐな気持ちで生きることができる「徳の国」を意味します。

戦後の日本は、焼け野原から復興しました。
そしてお金持ちににもなりました。
けれど多くの日本人は、金儲けのためなら何でもありという神経を持ちません。
つまり、今日本は、単にお金持ちであるというだけでなく、あらためて人々が安全に安心して暮らせる国へと、シフトアップしようとしているといえます。

日月神示にも書かれています。
ミロクの世がやってくる、と。
神示は、ただ危機が迫ると述べているだけではないのです。
その次までをも、ちゃんと明かしてくれているのです。
ならば私たちは、堂々と、そのミロクの世に向けて進むだけだと思うのです。

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