小中学校は義務教育なので、あまりつぶれることはありませんが、高校ともなると、少子化の影響でたいへんに生き残りが難しくなっています。
現に首都圏でさえも、廃校となる高校が増えています。

生き残りのために、学校は偏差値を上げようとするのだけれど、そのために必要な原則があります。
それは、生き残れるだけの教育ができる学校になることです。

童子教に有名な言葉があります。

 悪しき弟子を養えば、
 師弟ともに地獄に堕ちるべし

樹を真っ直ぐに育てたいと思うなら、余計な枝を払わなくてはなりません。これを「枝打ち」といいます。
畑で良い作物を作りたいと思うなら、畑の雑草を丁寧に取り除かなければなりません。これを「草取り」といいます。
取ってしまったら雑草がかわいそうなどとは言っていられないのです。

昭和天皇は「雑草という草はない」と仰られました。
その通り、畑や田んぼの雑草のひとつひとつにも名前があります。
けれど、ちゃんとした作物を育てるためには、草取りは不可欠なのです。

このことは、企業などの集団でも同じです。
個人の交友関係でも同じです。

戦後は小中学校は義務教育とされ、高校も、ほとんどの生徒が高校に進学するようになりました。
そして、学校が生徒を放校処分にすることは、あたかも犯罪であるかのような悪いことのように言われるようになりました。
けれど、それは錯覚です。

朱(しゅ)に染まれば朱(あか)くなるといいます。
ならば朱を取り除くほかないのです。
あたりまえのことです。
そうしなければ、ちゃんとした子が育たないのです。

では、取り除かれた生徒には、教育を受ける機会がないのかといえば、そんなことはないのです。
戦前戦中までは、そうした生徒を積極的に受ける学校もあったのです。
そして意外なことに、そうした「ろくでなし」とされた生徒を受け入れた学校から、著名人が数多く輩出されています。

社会からどうしても取り除くことができないのならば、その人たちは一箇所に集めて、その人たちの中に責任者を置いて一定の権限を与え、集団の中にひとりでも不埒な行動をする者があれば、その責任者を処分し、集団には連帯責任を負わせるしかありません。
我が国で、江戸時代や、それよりもずっと以前にも行われてきた方法が、実はこの方法です。
それをしなければ、国ごと地獄に堕ちてしまうというのは童子教の教えの通りです。

このブログでは、一貫して
「対立と闘争の時代から、
 和と結の世界へ」
ということを申しあげています。

和の世界、結の世界というのは、いわば健全な社会です。
健康な体を作ろうとするとき、ガン細胞があれば、それは小さなものならばキラー細胞によって打倒さなければならないそ、大きなガンになっていたならば、外科手術で切除しなければなりません。

それは差別とは意味が異なるものです。
健康と生き残りのために必要不可欠なものです。

無駄な枝を払うことや草取りをすることを、差別という人もいます。
しかし「差別は良くない」という思考こそ、実はトラップです。
運転免許を持たない人が自動車を運転することはできません。
これは運転免許を持たない人を差別しているのでしょうか。
むしろ健全な社会のためには、差別は不可欠なものです。
差別されてつらいなら、差別されない自分に成長すればよいのです。
「差別はいけない」という発想こそ、差別主義者の思考です。

日本人の低レベル化が問題となっています。
目的は、和と結を中心となす令和の世を築くことです。
そのために日本社会の大手術を行うのか。
それとも、自然治癒に近い形で穏便な改革を行うのか。
後者で進めるべきことは明らかです。
けれど、日本人が覚醒しないなら、もしかすると神々は大鉈(おおなた)を振るう選択をするかもしれません。

ミンコフスキー時空という概念があります。
トップの図です。
実は、過去は人によって様々だし、未来も様々なのです。

ということは、神々が大鉈を振るう時空もあるということです。
それは2025年の大津波かもしれないし、巨大隕石の衝突なのかもしれません。
あるいは政治的に日本が壊れるという未来かもしれません。

けれど、筆者がいる未来の時間軸に、それはありません。
なぜなら、神々の大鉈の前に、日本人が覚醒するからです。

日本はひどい国だという人がいます。
けれど、先日のトラさんと売電さんのテレビ討論をご覧になられた方ならわかると思います。
これまでの日本がお手本としてきた素晴らしい国であるはずの米国が、いまや最低の国になっています。
一方、日本はいまや、世界中のVIPが憧れる国となり、またそうなろうとしています。

日本を壊すということは、人類世界から良心を消し去るという選択です。
ということはつまり、人類そのものを破壊しなければならないという選択になります。
現代の人類社会にとってのノアの方舟、それが日本なのです。

日本が日本でいるために必要なことは、ただひとつです。
それは一人ひとりの日本人が、信用と信頼を大切にする本来の日本人であること。
ただ、それだけです。
そしてそのことが、日本の円を世界最強の通貨にするし、日本を繁栄に導くし、その繁栄が安定的に継続するみなもととなります。

日本人が目覚めるということは、日本人が怒ることではありません。
現状の問題の多さと深さに慄然とするでしょうけれど、それらはひとつひとつ解決していかなければならないことでもあります。
そしてその解決のためには、民衆こそが大御宝とされる日本の国柄を常識とすることと、日本人の民度の向上が不可欠なのです。
そして民度の高い国民とは、ただ怒っている国民ではありません。
しっかりと生きる国民です。

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