昨日、Youtube倭塾と、倭塾webサロンに次のコピーを乗せました。

『古典に学ぶ新たな気付きが幸せを生む』

古典というのは、日本の歴史に登場する書物です。
そして最低でも150年、古いものですと、歴史的にはっきりとわかっているもので1300年、さらに不明なものまでいれると、もしかすると数千年の昔から、我が国に伝わり、我が国が大切にしてきた文学であり、史書です。
そして間違いなく言えることは、日本の基礎を形作ってきたのが、これら古典であるということです。

戦後、こうした日本的な思想は、日本人が自信を持ち、日本人が強くなるからという理由で、ことごとく無視されるか、内容を貶められてきました。
そこから学びを得ようとする教師は追放の憂き目に遭い、逆に内容を貶める教師たちが、主要なポストに就くようになりました。

良いことなのに、どうしてそのようなことが起きたのか。
それは、ひとつには日本解体というGHQの目的と意志があったからです。
そして戦後は、実は、日本を貶めることが、なんと、正義の行いということになったいえます。

これは、私たち日本人にはわかりにくいことであって、同時にいつの間にか染められてしまっているものです。
どういうことかというと、「これが正しい」というものがひとつ出来上がると、それ以外のものが全部、「正しくない、間違ったもの」になるのです。
いわゆる二項対立ですが、このことが厄介なのは、「正しくない、間違ったもの」を糾弾し、やっつけ、踏みにじることが、いつの間にか「正義になる」ことです。

なるほど数学の計算式の答えなら、正解はひとつです。
複雑な方程式も、解いてみれば、最後はただの「x=2」でしかなかったということになります。
そしてそれ以外は、全部間違いとなります。
そして間違いに「✕」を付け、間違いが起こらないように何度も訓練することが、良い成績を取るために必要なことということになります。

けれど実社会では、「なにかひとつが正しいから、それ以外は全部間違いである」という思考は、現実には混乱を生みます。
早い話、誰かを愛しているから、他の人はみんな嫌いだという思考は成り立ちません。
あるいは日本を愛しているから、他の国は全部嫌いだという思考もまた成り立ちません。
誰かを、あるいは日本を愛する気持ちを持つなら、同様に他の人にも他の国にも優しくなるし、愛することができるのです。

ところが西洋的思考では、こうはなりません。
西洋的思考は、二項対立型です。
そこにあるのは、正義か悪か、だけです。
ですから、本当は日本が自主的に戦闘行為を罷めただけなのに、米国はこれを戦争に勝ったこととしたし、勝ったということは米国が正義だということだから、必然的に敗れた日本は悪ということになります。
そして悪は、悪魔によって起こされるものだから、裁判で悪魔のボスたちを徹底的に糾弾し、処刑して悪魔祓いを行い、さらに二度と日本人が悪魔に取り憑かれないように、徹底的に洗脳していくという作業が行われ、そうすることが正義とされてきました。
要するに、戦後政治は、すべてこの延長線上に置かれているわけです。

神宮外苑の中心的な建物である聖徳記念絵画館は、明治天皇ゆかりの建物で、幕末から明治時代までの明治天皇の生涯の事績を描いた貴重な絵画を展示した絵画館ですが、そこは少年たちに人気のドラマ『仮面ライダー』のショッカーの基地として用いられました。
おそらくこれが戦前ならば、たとえ少年向けドラマであったとしても、許可にはならなかったことでしょう。

こうして戦後の日本からは、ことごとく日本的なものが排除されていき、いまでは9分9厘まで、日本が西洋的善悪論、正邪論に染まるようになりました。
この思考のもとでは、何かが正しければ、それ以外は悪です。
そして悪があるからこそ、正義の集団は結束することができると考えられます。

もちろん、こうした思考が日本にまったくなかったわけではありません。
日本にも群雄割拠の戦国時代はあったし、政治的対立もありました。

平安末期の動乱は、そのおよそ100年後に起きた元寇への前準備だったともいえるわけです。
もし平安末期の動乱の時代がなければ、どんなに日本人が強くても、極端に争いを嫌う貴族政治では、外寇に立ち向かうことができません。
戦国時代の動乱も、およそ100年続きましたが、もしこの動乱期がなければ、日本の武力は弱く、またたくまに日本はスペインやポルトガルによって植民地にされていたことでしょう。
幕末動乱期もまた、この動乱がなければ、日本は西欧列強の植民地になっていたものといえます。
要するに日本が日本を護るためには、そうした動乱期も当然に必要であったわけです。

このように考えると、実に興味深い事実に行き当たります。
日本は先の大戦に引きずり込まれ、国中を焼け野原にするという大難を受けることになりました。
そしてその後は、徹底した日本的精神性の破壊が行われました。

ところが、巨視的に見ると、戦後に壊れたのは、日本よりもむしろ米国を筆頭とする西欧社会の方であったといえます。
いまではEUは、グローバリストの種狩り場と化し、米国もまたトップを決める選挙が、目を覆いたくなるようなむごたらしい批判合戦に堕ちています。
米国もEUも崩壊しようとしているといわれますが、この崩壊は、もはや止めることはできないことでしょう。
結局、露呈したのは、これまで数千年続いていた、正邪善悪の二元的価値観では、人々が幸せになることはできないし、また世界に和楽が訪れることはない、という事実といえます。

しかし一厘の神仕組みが、日本にあります。
それが古典です。

我が国の古典は、万年の単位で熟成された人々が幸せになる道を示すものです。
古典を学ぶと、様々な気付きがあります。
そしてその気付きから得られる何かが、私達自身の、そして日本再生の、さらには世界を覚醒へと導きます。
そのために仲間たちと日本人の根源を学ぶのです。

根源に立ち返ると、本質が見えてきます。
未来を拓く力が生まれます。

倭塾webサロンは、先達への感謝を大切に、そして日本の古典や国史を通じて、日本の根源をみんなで学ぶ場です。

日本の未来のために。
子供たちや孫たちの未来のために。
みんなで一緒に学ぶコミュニティ。

それが倭塾webサロンです。

お読みいただき、ありがとうございました。

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