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議論は左右の対決によって深まるといわれています。
ですから近世以降の国会には与野党があるし、米国などはそのために二大政党制を敷いています。
日本の国会にも衆参両院があり、米国にも上院下院があります。
要するに多様な意見を、最終的に賛成と反対、実行するしないなど、2つの意見に集約し、これを取りまとめて最後に採決をして、意思決定するというのが議会制民主主義です。

こうした現代の政治体制から過去の日本を連想し、日本の社会のすべてをChina譲りの「陰陽二択社会」と定義されている研究者の先生もおいでになります。

この影響は戦前の古事記の解釈などにも影響していて、たとえば古事記の創生の神である、
・天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
・高御産巣日神(たかみむすひのかみ)
・神産巣日神 (かみむすひのかみ)
の三神は、
「チャイナの陰陽二元論が元であり、
 もともとは高御産巣日神と神産巣日神の二神だったものを、
 あとから道教の影響を受けて天之御中主神が追加され、
 造化三神とされたのだ」
という解釈を述べている本もあります。

しかしその解釈は間違っています。
日本文明はチャイナ渡来ではないからです。
日本文明は、中華文明の派生文明や、中華文明を太陽とする衛生文明でさえもありません。
世界には、そのような派生文明、衛生文明を持つ国が多々あることは事実ですが、日本はその範疇に入らないのです。

このことは英国のアーノルド・J・トインビー博士自身が、ご自身で否定していることでも明らかです。
トインビー博士は、地政学的観点から世界の文明論を書いた『歴史の研究』(A Study of History)という本の中で、「日本はチャイナ文明の衛星文明だ」と、たしかに書いたのです。
けれどその後に日本を訪問し、日本の文化に触れ、結果として自説を修正して「日本は独自の文明を形成していた」と自説を改められています。

日本は独自の日本文明を持ち、その日本文明の土台の上に、チャイナや天竺(インドのこと)など、世界中の様々な国や民族が持つ素晴らしい文明文化を取り入れ、工夫を凝らすことにより、より民衆を大切に育む文明を高めてきたのです。

そもそも世の中は「分布」であって、「善悪二元」のものではありません。
この点を誤解すると、世界の、とりわけ西洋社会の文明は、何かを「善」と決めれば、他は全部「悪」にしてしまうという愚をおかすことになります。
この善悪二元論のよろしくないところは、「悪」と定義してものに徹底的な攻撃を行うことが「善」となることです。

いま米国で起きている大統領選の両陣営の相手陣営に対するネガティブキャンペーンなど、まさにその典型ですし、過去を振り返れば、一方を「善」とし、一方を「悪」と決めつける思想が、植民地支配や中世の魔女狩りを生んだりもしていますし、近くには共産主義者による社会の破壊活動につながったりしています。
このことはチャイナも同じで、いわゆる陰陽二元説と呼ばれるものは、陽を善とし、陰を悪とします。

けれど日本では、縄文の昔から「中今」を中心とし、そこからあらゆることが天人地という縦軸と、世間という横軸と「結ばれている」と考えられてきました。

たとえば古事記なら、最初の神様は天之御中主神(あめのみなかのぬしのかみ)です。
これは広大な時空間の、中心核となる神様です。
次いで高御産巣日神(たかみのむすびかみ)、神産巣日神(かみのむすびかみ)です。
いずれも「結び」の神様で、前者は高い存在との結び、後者は神との結びの神様です。
そして神とは、八百万の神々であり、それらは私たちの祖先です。
つまり、私たちが縦軸の高次元と結ばれ、横軸の神々と結ばれることが、最初のたった三柱の神様の御名によって明らかにされています。

昔の人は、これを布にたとえ、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が結ばれたものを衣(きぬ)としました。
大和言葉は一字一音一義で、「き」はエネルギー、「ぬ」は貫くものを意味します。
ですから「きぬ」とは、エネルギーが貫かれたもののことで、それを体にまとうことは、そのまま体を保護し、体にエネルギを与え、体の活躍を扶(たす)けるものとされました。

およそ人類社会の進歩にあたり、人類生存の環境を劇的に変えたものは、3つです。
 ひとつが葦船(だから日本は豊葦原の国です)
 ふたつが黒曜石(刃物として用いられました)
 みっつが布(体を守りエネルギーを増すもの)です。

不思議なことに世界の神話では、神も人も、いずれも最初から布の衣装を着ています。
旧約聖書のアダムとイブは裸に葉っぱの衣装ですが、それ以降の人物は、すべて、なぜだか布の衣装を最初からまとっています。

ところが我が国の神話では、イザナギ、イザナミは、はじめは互いに裸で登場して、互いの体の違いを見て二神が結ばれるのですが、そのイザナミがお亡くなりになる直前に生んだ建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)の別名が建布都神(たけふつのかみ)、または豊布都神(とよふつのかみ)です。
つまりイザナミの子によって、布が誕生しているのです。

おもしろいのは、この布の神様が男性の神であり、後に武門の神ともなっている点です。
布は裁断しなければならないものであり、我が国では、刃物は、布を正確に採寸し裁断することから用いられるようになったと書かれているのです。
世界中どこでも、刃は、人を殺めるための道具として発展しました。
ところが日本では、刃物はもともとは布の裁断のために用いるものであったとされているのです。

こうして神も人も布を用いるようになり、最高神である天照大御神様が直々に機織りをして、布を作る作業をなさる様子が描かれています。
上も下もない。
誰もが、自分でできる必要な労働をして、人々のお役に立つという思想が、ここから生まれているのです。

ちなみに、現代では、布は企画大量生産によって、ありあまる布が出回っていますが、ほんの100年前までの世界では、布の衣装は、それなりに貴重なものでした。
なにしろ、一枚の布を織るだけでも手作業ですから、たいへんなことであったのです。
そしてそれだけ貴重な布でしたから、明治天皇の皇后であられた昭憲皇后の逸話にも、皇后陛下の用いられた衣類は、そのままお下がりとなって女官たちに用いられたし、それがわかっているから昭憲皇后ご自身が、衣類を汚さないように、とても大切に用いられていたといったものがあったりするのです。

世の中に、経糸(たていと)が「善」、緯糸(よこいと)が「悪」などということはありません。
両方が合わさって、はじめて糸が布になるのです。
これが「結び」の知恵で、古来我が国では、すべてを「結び」という概念で統合してきた歴史を持ちます。

この思想で行くならば、米国の大統領選挙も、トラさん対カマラ氏の対決(Versus)ではなく、共和党と民主党の結びのための戦いといった発想と行動になります。

日本における総裁選も、メディア等の解釈は「対決」であり「バーサス(Versus)」ですが、現実には自民党の総裁選は、義理と人情で票が動いていきます。
利害と考えるから、対立的になるのです。
そして、選挙のたびに対立し、他陣営を悪く言ったら、その政治家は当選後に政治生命を失います。
なぜなら、ここは日本だからです。

日本に西洋的な対立思想がいくら入ってきても、実際の日本人の行動は、いつの世でも、
 お世話になったことへの感謝と尊敬と、
 いざというときの協力関係の構築
にあります。

そして私たちが日本人である限り、この関係式が変わることはありません。
なぜなら私たち日本人は、万年の単位で、そういう生活をしてきているからです。

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善悪二元論と日本の神様” に対して1件のコメントがあります。

  1. 森林浴 より:

    ごく最近、思うのですが、よく言われるようにメディア他の言うことに言葉や行動を左右されるのと同様に、SNS他に左右されて喚き散らすのは疲れないかなと思うんです。

    私も、この間までそんな風な傾向がありましたがこれが本当に疲れる。
    こんなことにエネルギーを使っているくらいなら、穏やかに落ち着いて静かに自分のできること、やるべきことを、できる範囲からやっていった方が本当に気持ちもよいし建設的だなと感じています。

    (昨今の先生のYOUTUBEの御発言に対する意見を見ていましてそういう風に見ています)

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