戦国時代に日本にやってきたフランシスコ・ザビエルが日本に関して述べた有名な言葉があります。
「この国の人々は、今までに発見された国民の中で最高であり、
 日本人より優れている人々は異教徒の間では見つけられない。
 彼らは親しみやすく、一般に善良で悪意がない。
 驚くほど名誉心の強い人々で、他の何ものよりも名誉を重んじる。
 大部分の人々は貧しいが、武士も、そういう人々も貧しいことを不名誉と思わない」

フランシスコ・ザビエルといえば、天文18年《1549年》年8月に、日本に初めてキリスト教を伝えた人として有名です。
そのザビエルが日本に滞在したのは、同年から天文21年《1552年》11月までの3年3ヶ月でした。
その間にザビエルは鹿児島、山口、京都をめぐって布教活動を行っています。
ザビエルがこのような評価をしたのは、日本が平和で文化が円熟した江戸時代ではありません。
日本の歴史上で、最も国が荒れた戦国時代です。
その荒れた戦国時代を見て、ザビエルは日本を「最高」と評価し、「親しみやすく善良」だと書いているのです。

 文の中でザビエルは「異教徒」という言葉を用いています。
この時代、西洋人にとって「異教徒」は蛮族であり、ヒトモドキです。
これは映画に出て来るバンパイヤ《吸血鬼》や、リカント《狼男》と同じで、異教徒は人の姿をした獣なのですから、人として認識されません。
人だから殺人罪が適用されるのです。
人でない獣に、殺獣罪という法はありません。
ところがその「異教徒」の国である日本を、ザビエルは「いままで見た国の中で最高」と述べているわけです。
これはいってみれば猿の社会を、人間の社会よりも美しい国、美しい国民と評価しているようなものです。

異教徒でありながら、実に優れた文化を持った国とザビエルは評価したのですが、その評価を与えられた日本は、日本人の常識からしたら、世が荒れた時代です。
このことが意味するところをお考えいただきたいのです。
もしみなさんがザビエルの立場にある宣教師だったとしたならば、いまの日本を見たとき、果たしてザビエルと同等の評価をするでしょうか。
もし「しない」のであれば、それは世が荒れたと言われる戦国時代よりも、いまの日本のほうが、よほど民心が荒(すさ)んでいるということになります。

実際には、最近発見された戦国時代の日記などの記録をみると、後世の我々が「戦国時代」と名付けた時代も江戸時代も、日本人の心はまるで変わっていないことに驚かされます。
つまり日本人は、戦国期においても、文化が円熟したとされる江戸期においても、等しく勤勉で真面目で、人を大事にし、ひとりひとりが自らの成長に励み、人々が互いに助け合い、たとえ貧しくても立派に生きることを選択する民度の高い国民であったのです。

エドワード・モース(Edward Sylvester Morse)は、明治10年《1878年》から明治15年《1882年》にかけて、3度にわたって来日したアメリカの教授です。
ダーウィンの進化論を日本に伝えた人でもあります。
そのモースが、日本での体験談を「JAPAN DAY BY DAY」という本にしています。
戊辰戦争が終わって間もない明治10年ごろの日本の姿です。すこし引用してみます。

■世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしているところから判断すると、子供達は朝から晩まで幸福である。

■外国人の筆者が一人残らず一致することがある。それは日本が「子どもたちの天国だ」ということである。

■この国の子どもたちは親切に取り扱われるばかりではなく、他のいずれの国の子どもたちよりも多くの自由を持ち、その自由を乱用することはより少なく、気持ちのよい経験の、より多くの変化を持っている。

■世界中で両親を敬愛し、老年者を尊敬すること、日本の子どもに如くものはない。汝の父と母とを敬愛せよ、これは日本人に深くしみ込んだ特性である。

■日本人のきれい好きなことは、常に外国人が口にしている。日本人は家に入るのに、足袋以外は履いていない。
木製の履物なり、わらの草履なりを、文字通り踏み外してから入る。最下級の子どもたちは家の前で遊ぶが、それにしても地面でじかに遊ぶことはせず、大人がむしろを敷いてやる。

モースは、明治19年にも「Japanese Homes and their Surroundings」という本を書いています。そこには、次の記述があります。

■レインをはじめ文筆家たちは「日本の住居にはプライバシーが欠けている」と述べている。しかし彼らは、プライバシーは野蛮で不作法な人々の間でのみ必要なことを忘れている。日本人はこういった野蛮な人々の非常に少ない国民である。

ザビエルやモースたちよりも、もっとずっと古い時代、奈良時代の終わり頃の756年に建てられた国宝を保存する正倉院には、これまた有名な話ですけれど、鍵がありません。
紙でできたお札(ふだ)が貼ってあるだけです。それでいて泥棒がはいらない。
一般の民家でも、一昔前までは、家に鍵などありませんでした。
玄関の戸を開け放しでも、泥棒が入る心配などまったくなかったからです。

なぜそんなことが可能だったのでしょうか。
その答えは、以前、いつもお世話になっている市内のある神社の宮司がおっしゃられました。
「日本という国は、陛下のもとにみんなが共同体として生活していたのです」
戦国時代の日本も、やはり同じ日本だったのです。

会社で、同業他社をいくらこき下ろしたとしても、自分の会社が良くなることは決してないことくらい、誰でもわかっていることです。自分のいる会社を良い会社にしたいなら、自分たちが努力して頑張るしかない。
そうでなければ、決して会社の業績があがることはありません。
また、同業他社に自社の悪口を言われたからといって、同じようにその会社の悪口を並べ立てたところで、自社の業績が上向くことはありません。
それどころか他社の悪口ばかり言っていると、心が疑心暗鬼なって、自分の会社内でさえ、互いに信じ合うことができない荒んだ空気が漂うことになります。
ところが不思議なことに、国政となるとなぜか、こき下ろしばかり。政治は悪口ばかりです。

日本を取り戻したい。
それは多くの日本人の共通の思いです。
いくら欧米のマネをしても、中国の言いなりになっても、日本が良くなることはありません。
日本は日本です。

日本が世界最古の国家であることには理由があります。
その理由を取り戻して常識化し、そこから新たな未来を創造していく。
そこにこそ日本が未来を拓く鍵があるのだと思います。

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