近年、米国社会が壊れて行ってるという話があります。
なるほど街はゴミだらけ。ホームレスが徘徊し、政治は大金持ちの利権に左右されて、世界の安寧どころか自国の国民の豊かで安全で安心な暮らしを保障しない。

州によっては950ドルまでは盗みを働いても、三度捕まるまでは罪にならない。
950ドルっていえば、日本円で13万円強です。

ハインリッヒの法則では、1件の重大事故の裏には、29回の軽微な事件があり、さらに300回の事件が存在し、3000の気づかない事故があるといいます。
同じ研究のバードの事故比率では、1件の重大事件の裏には、10件の傷害事件があり、600件の事件にならない暴力があるといった研究もあります。

つまり、13万円分で警察に捕まる人が1人いたら、その裏側には数百から数千の捕まらない事件が起きているということで、このため米国の主要都市の商店街は、いまやシャッター通りとなり、商店の廃業も相次いでいるといいます。

本当かどうかはわかりませんが、マウイの火災も、いずれ焼け野原となったところに、大規模リゾートが開発されることになるであろうと言う人もいます。
個人個人の幸せよりも、大企業の利権や、国際謀略が優先する社会となれば、米国の信用は失墜し、信用の失墜は、そのまま経済の衰退を招きます。
こうした意味で、「アメリカの終わり」を述べられる方も多くおいでになります。

けれど、ひとつのものが終わるときというのは、新しい何かが始まっているときでもあります。

少し考えたらわかることですが、これまでの世界、とりわけ中世以降の世界では、何よりも権力が優先されてきました。
王は権力者であり、権力さえあれば、王は何をやっても許されるというのが、世界の常識でした。
こうした王権を制限するために、立憲君主制や、民主主義が提唱されてきましたが、それでも結果として権力を持った者は、何をやっても許されるという基本構造に変化はありませんでした。

権力というのは、「暴力、財力、情報力」で、これは別な言い方をするなら、
Attack(攻撃力)、Economy(経済力)、Information(情報力)ということになります。
要するに、軍事力警察力を支配し、経済的に力を付け、メディアを操作することができれば、まさに「世界を支配できる」ということが、良し悪しは別として、社会の現実であったわけです。

その意味で、米国という国は、もともと石炭に代わる石油発掘で力を得た国で、どんな酒ばかり飲んでいる乱暴者でも、借金まみれになって大型の掘削機を買い、あちこち掘って、たまたまそこから重油が吹き出せば、その瞬間からその人は大金持ちになることができる。
これが実はアメリカン・ドリームの正体で、この石油が、ゴールドラッシュになったり、映画になったり、企業活動になったりしてきたという国柄を原点とします。

そしてこうした「一夜にして大金持ちになる」というドリームは、秩序を破壊します。
力を得ることができさえすれば、あらゆる不道徳が許されてしまうからです。
むしろ、不道徳がカネになるなら、カネを得たもの勝ちという社会構造が確立されてしまうわけです。

そしてそんなアメリカが、世界の覇権を握ることで、世界の諸国諸民族も、その影響を受け、不道徳であっても儲かれば良いという「文化」が、世界に広がることになりました。
いまでは、その儲けが、石油から、医療や食料分野にまで広がっている、というのが世界の現実となっているといえます。

けれど不道徳であるということは、一方で退廃を生みます。
半世紀前のヒッピーもそうでしたし、現代におけるホームレスも同じです。

おもしろいことに、力によって約束を反故にするといった姿勢は、もともとそういう文化を持っていたチャイナが上手です。
なにしろ米国はなんだかんだ言って、まだ建国から247年の歴史です。
これに対しチャイナは4000年の謀略の歴史を持ちます。
歴史の深さが違うのです。

このため昨今では、米国の経済圏を脱し、むしろ積極的にチャイナ経済圏に入り込もうとする世界の政治家も現れてきています。
これはある意味、当然の動きであろうと思います。

ただし現代世界は謀略も、力による支配も、企業活動、つまり商業がベースにある時代です。
そして経済活動というのは、信用が根幹になります。
あたりまえです。
カネを払っても納品しなかったら、爆弾を打ち込むぞ!という社会には、莫大な軍事コストがかかります。
それが信用と信頼によってカバーできるなら、その分コストが安くなり、儲け幅が広がるのです。

信用というものは、預金通帳と同じです。
努力して約束を守ることで、少しずつ信用という名の通帳残高が増えていくからです。
けれど、約束を破れば、通帳の残高が一気に減ります。
場合によっては、赤字になることさえもある。
一方、残高を増やすためには、日々コツコツと、信頼を高めていくしかないのです。

全米において、いま始まっている新しい動きが、この信頼の輪です。
崩壊する社会の中で、様々なコミュニティが立ち上がり、そのコミュニティ内で、互いが信用し、信頼し合うことができる。
人を大切にし、家族や友人との深い信頼関係や絆を築いていく。
そうした、これまでにないまったく新しい文化が、全米で始まっていると言われています。

つまり、力による支配や、財力による横暴ではなく、信用と信頼の仲間たちが、これまでと違う新しい米国の形を求めるようになってきたといえます。
その象徴になっているのが、寅さんといえるかもしれません。

全米の次の大統領選挙がどうなるかはわかりません。
けれど、民衆の間で、力よりも信用や信頼が求められていく社会への構造変化の動きは、もはや停めることはできません。
そして、この分野で、もっとも先進的な姿を得ているのが日本です。

日本に観光にやってくる外国人の多くは、日本人を見に来ていると言われています。
それは、日本人の外観がかっこいいとか、そういうことではなく、日本人の持つ、思いやりや、サービスの心、おもてなしの心、互いを気遣うやさしさといった、日本人が持つ文化性を肌で感じたい、というものです。

古く、永く、平和を保ってきた日本には、世界の諸国にはない、あたたかさとやさしさがあります。
そして「MADE IN JAPAN」自体が、いまやブランドです。
高品質、アフターが安心、精巧、デザイン性、使いやすさといったことに加え、日本アニメやマンガを通じて、日本人の持つ協調性、縦の関係ではなく、横の関係を重視する姿勢。
そういった日本の文化そのものが、まさに「MADE IN JAPAN」自体をブランドにしています。

もちろん経済力は大事です。軍事力も大事です。情報機能も大事です。
従来の権力を全否定するわけではありません。
ですが、文化の力によって、民衆が豊かに安全に安心して暮らせる国や世界を築いていく。
そうしたことへの願いは、これは万国共通の庶民の願いであると思うのです。

その文化を、日本は世界で最も古い国として、また険しい四季を持つ国として、人の和こそを大切にするという庶民文化を形成してきました。
戦後、こうした日本の古き良き文化は、GHQやその後の日本政府の政策によってずいぶんと否定されてきましたし、その結果として、多くの庶民はもはや選挙にも行かない、知事選などは投票率が20%という有様にまでなっています。

それは、選挙に行かないから政治に関心がないのではなくて、多くの日本人が、政治に幻滅を感じている結果です。
けれど同時に、子を持つ親である日本人、孫を持つ爺ちゃん、婆ちゃんたちのほとんどは、よほど政治的に偏向している人を除き、ほとんどの日本人は、子や孫のために、少しでも良い未来をと願っています。

そしてその未来は、権力の横暴によって、民衆が食い物にされ、年々貧しくなって、働き盛りの30歳から50歳までの国民一人当たりの所得が30年前と比べて年収で100万円も下がっている現代の延長線上にあって良いなどと思っている日本人は誰もいないと思います。

その意味で、アメリカの終わりと始まりは、日本人にとっても、戦後という日本社会の終わりであり、新しい歴史ある日本としての文化の香り高い日本構築への、始まりであるといえます。

人の世が織りなす問題点は、すべて人が作ったものです。
そうであれば、すべての問題は人の力で解決できます。

ひとつの時代の終わりは、同時に新しい時代のはじまりを意味するのです。

     ↓日本をこんな状態にしてはいけない↓


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アメリカの終わり、アメリカの始まり” に対して1件のコメントがあります。

  1. 加府藤茂 より:

    2045年AIが人類を越えるシンギュラリティ以降を如何お考えでしょう?

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