
石垣島の古い井戸を訪れたとき、両側の壁にびっしりと光るサソリを見て、思わず息をのみました。かつてこの危険な井戸で、女性たちは毎日裸足で水を汲んでいたといいます。その体験が、ふと気づかせてくれました。「なぜ日本人だけが、虫刺されにすぐ軟膏を塗るのか」。その背景には、弱き者の痛みを放っておかないという、日本文明の奥底に宿るやさしさがあります。小さな行為に宿る文化のちがいから、未来の文明のヒントを探ります。
1 井戸に大量のサソリが!
沖縄の八重山諸島にある石垣島。
その石垣島の宮良に、「アダドゥナー」と呼ばれる史跡の井戸があります。
普通の井戸は、垂直に穴を掘り下げて、ツルベなどで水を汲み出すのですが、この井戸は、石灰岩の岩盤を削り、斜面に石段を築いて水際まで下りて汲む「降り井戸(ウリカー)」と呼ばれる古い形式の井戸です。
この井戸は、1771年に明和大津波で埋もれてしまったのですが、霊力のある人が場所を示すことで再建され、石垣島に上水道が敷かれるようになるまでは、実際に使用されていた井戸なのだそうです。
この井戸に、夜、視察に行きました。
行ってびっくり!!
ブラックライトで照らすと、人ひとりがやっと通れる細い通路の両脇の崖に、サソリがびっしりいて、動き回っていたのです。
南方のサソリですから、体長は3センチ程度と小さなものです。
餌は腐った木のシロアリなどなのだそうで、もちろん毒を持ちます。
ただ、小さなサソリなので、持っている毒は少量で、刺されても痒くなるだけで死ぬことはありません。
井戸で水を汲むのは、昔は主に女性の仕事で、当時は靴もなく、裸足で歩くのが普通だったのだそうで、そんな両側にサソリがびっしりの井戸に、生活用水としての水を汲むために、女性たちが穴を毎日往復していた。
想像するだけで、なにやら恐怖を感じる話ですが、サソリに噛まれたときには、なんとかいうおまじないを母(ぶねー)やお婆さん(あっぱー)がしてくれたのだそうです。
いまではその井戸は使われなくなりましたし、虫に噛まれても、放っておいても大丈夫だし、気になるなら軟膏を塗れば大丈夫なのだそうです。
ただ、この「危険と日常が隣り合わせ」という世界観こそ、
実は後で触れる「Powerの文明」と深くつながっているのです。
2 「虫に刺されに軟膏を塗る文化」は日本だけ?
ところが案内をしてくれた人に聴くと、
「虫に刺されても、世界の多くの人は軟膏なんて塗らないよ」
えっ?と驚きました。
痒みはつらいのに、なんで塗らないのか。
そこで気づいたことがありました。
これは、「文明の価値観そのものに関わる話」なのです。
米国のように暴力とパワーが支配する社会。
中南米のように貧困と抗争が日常にある地域。
中東や東南アジア、チャイナ、コリアなどのように格差と権力が常に緊張を生む世界。
そうした国々で生きる人々にとって、
“肌の痒み”よりも先に守るべきものは、
パワー
安全
食
権威
生存
だから、肌の痒みなんて、日本人みたいに「気にしている暇すらない」。
3 日本人だけが持ってきた“弱さへのまなざし”
日本人は、虫に刺されればすぐ軟膏を塗ります。
転べばすぐ絆創膏。
熱が出ればすぐ冷えピタ。
この「すぐケアする」という文化は、実は、世界的に見るととても特殊です。
日本でこうした文化があたりまえになっている背景にあるのは、幼い子どもが虫に刺されたり、熱を出したりしたとき、母親が「大丈夫」と言って、すぐに軟膏を塗ってくれる。
そんな習慣が、そのまま大人になっても、あたりまえの常識として根付いているからといえるのです。
これを、ただの過保護だと言いたいのではありません。
そこにあるのは
「弱さを放っておかない」
「小さな痛みを見捨てない」
という、やさしさを大切にする日本人の文化性があるといえるからです。
考えてみれば、日本は世界でも珍しい
「庶民が文化の主役」になってきた国です。
● 江戸の町人文化
● 農村の村落共同体
● 領民を守る武士道
● 「民のかまど」を見守る天皇のまなざし
どれもこれも、上からの支配ではなく、下の命を大切にする社会として誕生した文化です。
つまり、虫刺されに軟膏を塗るという行動には、
そうした「文明の根っこ」が現れているといえるのです。
4 Powerの文化、やさしさの文化
人類が取り戻すべきものは、大きな力ではありません。
小さな痛みに気づく心です。
日本人は、本来Powerでは動かない国民性を持ちます。
心の奥底に「弱き者を守る」というやさしさがあるからです。
ではどうして、世界はパワーゲームが蔓延するのでしょうか。
考えてみれば、世界の権力者や大金持ちであっても、ひとりひとりの心の奥にはちっぽけな自分がいます。
それを隠すために、自分を「大きく見せて」います。
その強がりが、
国家の暴力、社会の格差、宗教の争いとして現れています。
もし、そんな「強がり」を手放せたら?
響き合いの文明に向かえたら?
世界の人々も、
虫刺されに軟膏を塗るようになるかもしれない・・・。
言い換えれば、「小さな痛みを気にかける社会」が、世界に広がるかもしれない。
5 文明の転換はいつも「些細な行為」から起こる
我々は学校で、「文明は大きな革命で変わる」と教えられてきました。
けれど、現実の社会生活が教えてくれることは、
「一人ひとりの小さな行為の積み重ね」が、文明を変える、ということです。
● 誰かを気遣う
● 小さな痛みを見逃さない
● 弱さに寄り添う
● 心がふっと震える瞬間を大事にする
日本のやさしさは、
その“ど真ん中”にあります。
そして、もし世界がその感性を思い出せたら、
暴力や格差で支配されるPower文明から、
心が響き合うResonance文明へと変わっていける。
虫刺されの軟膏──
たったそれだけのことが、
未来の文明を照らすヒントだったのです。
【所感】
石垣島で見たサソリたちは、ただの「危険な生き物」ではなく、
文明の根っこを静かに教えてくれる存在でした。
人は、強さで守られて生きるとき、心の余白を失います。
けれど、小さな弱さに気づき、それをそっとケアする文化の中では、
心の奥にやさしさの芽が育っていきます。
虫刺されに軟膏を塗るという些細な行為のなかにも、
何千年も続いてきた日本人のまなざしが息づいている。
そのことに気づかせてもらえた今回の旅は、
私にとって忘れられない学びとなりました。


