先にひとこと述べておきます。
それは、「上下関係がすべてを決定づける社会では、弱い者の人権はない」ということです。
上に立てば、下の者に対して何をやっても良いのだという考え方や行動は、我々日本人にはまったく許容できないものです。
しかしそんな(我々日本人にとっての)常識も、我が国が縄文の昔から人を大切にするという文化を育んできたという歴史を持つことに由来します。
けれど国境を越えれば、欲望のためには人を蹂躙しても構わないのだということが法律以上に常識化している国や民族もあるということを、我々は知る必要があります。

日本は、あまりに日本が平和で人を大切にする社会であるがゆえに、つい他国多民族も同じだと考えがちです。
昨今では、タクシーの運転手やバスの運転手のなり手がないからと、外国人を安い賃金で呼び込もうとしている動きがあります。
しかし、いまの日本は、東亜諸国よりも賃金が安い国です。
そのような日本に出稼ぎに来る人達による運転が、乗客たちの安全と安心を本当に護ることができるのか。
そのことを我々はしっかりと考える必要があります。

もちろん個体差はあります。
隣国にだってまともで良い人もいます。
けれど、そうした人たちが集団化したとき、その国の、その民族の文化性が発動します。

「人面獣心」
この言葉を我々はいまいちど噛みしめる必要があると思います。

以下の文は、一部伏せ字や違う漢字を用いています。

 ***

2013年9月5日の週刊『女性自身』が、
「《郷カン》件数は日本の9倍!
 欧米も注意喚起する《缶コク》の性犯罪」という報道を行いました。
そこには大きく
「人面獣心」
という活字が躍っています。

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【《郷カン》件数は日本の9倍!欧米も注意喚起する“《缶コク》の性犯罪”】
女性自身 9月5日(木)

「人面獣心」。
去年判決の出たレイプ事件を《缶コク》メディアはこう報じた。
17歳の女子高生が交通事故に遭った。
運転していた男たちが、事故で怪我を負った女子高生を車に乗せ、人気のないところで《郷カン》した非道な事件である。

2006年には、伝説的な三連続《郷カン》事件も起きた。
《郷カン》の被害に遭った16歳の女子高生が、被害を相談した別の男にもレイプされ、警察に届け出るために乗ったタクシーの運転手にまで《郷カン》された。
女子高生は警察の事情聴取に、
「すべての男たちがケダモノのようで、
 外に出るのが恐ろしい」
と語った。

“性犯罪大国”《缶コク》は統計上も明らかだ。
国連麻薬犯罪事務所(UNODC)が2010年に発表した資料によると、
《缶コク》の10万人あたりの《郷カン》件数13.3件は、
日本の1.5件の8.9倍にも達する。

「最近目立つのは、
 性犯罪の被害者が
 高年齢と低年齢層にも広がっていることです。
 上は80代から、
 下は10代どころか、
 ひと桁の年齢にまで被害が広がっています。
 また、知的障害者や身体障害者など
 社会的弱者が被害に遭うケースも増えています」
(元時事通信《祖売る市》特派員・室谷克実氏)

2013年2月には、31歳の男が80代女性を《郷カン》しようとして殺害する事件が発生。
また加害者も低年齢化しており、2013年3月には、小学生男児3人が20代の知的障害女性を性的に暴行していた事件が発覚した。
男児らはじゃんけんで、暴行する順番を決めていたという。

性犯罪の被害者は外国人にもおよんでいる。
《缶コク》警察庁によれば、2013年1~6月に《缶コク》国内で起きた外国人に対する性暴力事件は前年から66.3%増の271件に達した。
欧米諸国では《缶コク》への渡航者向けにこんな注意を呼びかけている。

「《祖売る市》の人気のナイトライフ地区や住宅地で、
 レ・イプ事件が報告されている。
 夜に外出するときは注意し、
 タクシーや公共交通機関を使用しましょう」
(イギリス外務省)

「暗くなってからの一人での外出は避けてください。
 外国人に対する性的暴・行が発生しています」
(カナダ外務省)

《缶コク》は売春大国でもある。
2004年に売春は禁止されたが、その後も、あらゆる売春施設がアングラ営業をしている。
そしていま問題になっているのが、“売春婦の輸出”だ。
経済評論家の三橋貴明氏によれば、世界中に約10万人の《缶コク》人売春婦が出稼ぎに出ている。

「アメリカの売春婦の4人に1人が
 《缶コク》人売春婦といわれています。
 《缶コク》人売春婦は日本にも
 5万人いるといわれていますが、
 背景には《缶コク》経済の低迷があります。
 借金を返せなくなって
 売春婦としてやってくるケースが多い。
 かつての慰安婦と同じ構図ですよ。
 慰安婦も売春婦も“強制連行”なんかじゃありませんから」
(三橋氏)
===========

欧米諸国の外務省が、こういう事実を前にして、国民にしっかりと警鐘を発しているのに対し、日本の外務省は、ホームページにさえ、窃盗や強盗、詐欺についての警鐘の記載はあるものの、《郷カン》被害(一説によれば、外国人でもっとも被害の多いのが日本人)に関しては、まったくその記載がありません。
いったいどこの国のための外務省なのでしょうか。

現状では、外務省のHPの記述は、それぞれの国への配慮が事実に優先していますが、こうしたことは外務省が悪いのではありません。
外務省に配慮を要請している日本国内の国会や圧力団体がそのようにさせています。
そうであれば、こうしたことは国会でちゃんと法制化し、
「外務省における諸国紹介のホームページは、
 国民の利益を最優先とし、
 当該国や日本に住む等の当該国人への
 配慮をしてはならない」
などと明確に定めておくべきです。

《缶コク》が《郷カン》が多いのは、実はいまにはじまったことではありません。
もともと建国の歴史神話自体が《郷カン》にはじまっているという悲しい事実があります。

ひとつは建国神話です。
《缶コク》では、10月3日が「開天節」という名の国民の祝祭日です。
これがどういう日かというと、《缶コク人》の始祖とされる壇・君が王朝を建国したとされる日です。
いわば建国記念日というわけです。

この檀君がどういう人(神様?)かというと、祖父が桓因(かんいん)という万物の支配者、父親が「桓雄(かんうん)」で、その桓雄がある日、天帝から使わされて、Chinaと満州との国境にある白頭山(はくとうさん)に降り立ちます。
するとそこに虎と熊の夫婦がいました。

桓雄は、夫の虎を追い払って、祭壇の上で熊女を《郷カン》し、子をもうけます。
その子が檀・君(だんくん)で、祭壇の上で授かった子だから「檀・君」と呼ばれるようになったわけです。
檀君は、神の血と熊の血がまじったとても強くて立派な大人に育ち、Chinaの堯帝が即位して50年目のときに、白頭山を後にして平壤にやってきて、そこを都と定めます。
それが朝・鮮のはじまり、というわけです。

ちなみにそしてこの檀君は、周の武王が即位した年に、箕子(きし)が朝・鮮の統治者として周からやってきたときに、Chineseから隠れて山の神になります。
そのときの檀君の年齢は、1908歳だったそうです。

建国神話とか建国理念というものは、本来、その国の誰もが知るものであるだけに(いまの日本だけが例外的に建国神話が知られていないという、これまた異常な状態にありますが)、その国の国民意識や国の常識の構成に、たいへん大きな影響を持ちます。

その意味で、朝・鮮半島では古来、相手の女性が人妻であり、たとえ夫が虎のように強くて凶暴な者であったとしても、それを追い払い、たとえ相手が年齢不詳のクマのような女性であったとしても、その女性を《郷カン》することは、子を作り子孫を残すための当然の振る舞いという考え方が、つい近世まで続いていたわけです。

また李氏朝・鮮の第4代国王であった世宗(せそう)は、彼の国を代表する名君とされた国王ですが、その世宗がどうして名君とされたのかと言うと、李氏朝・鮮の官僚が地方を視察等で回るとき、立ち寄り先で女性をどれだけ《郷カン》しても罪にならないとし、さらにこれを奨励したからであるとされます。

このような国柄ですから、彼の国では近世に至るまで女性には(たとえそれが国王の母であっても)名前すら与えられませんでしたし、女性はただ、男性に蹂躙されるに任せるのが常識となっていました。
女性は相手構わず《郷カン》して子を孕ませるための道具とされていたわけです。

つくづく国のカタチというのは、おそろしいものだと思います。

そんな朝・鮮半島において、《郷カン》が当然のこととされていた歴史に「待った」をかけたのが、実は日本統治時代です。
日本は朝・鮮半島に戸籍制度をもたらし、結婚という概念を与え、《郷カン》を禁じたのです。

世界的な常識でみれば、これは、単に「あたりまえのこと」です。
しかし、彼の国の貴族階級である両・班(やんばん)たちにはこれがものすごく不服となりました。
結局わずか35年で日本の朝・鮮統治が終わったあと、旧両班であった李承晩が《缶コク》の初代大統領となり、親日派の《缶コク》人や、日本的常識人を片端から逮捕、投獄、殺害し、結果として《郷カン》文化までも復活させてしまいました。
それが《缶コク》の悲しい現実です。

ちなみにこの檀君、北朝・鮮では、平成5(1993)年に、平壌でこの檀君の骨が見つかったと発表し、また《缶コク》では、国定教科書で檀君の存在を「史実」として子供達に教えています。
教えられる子供たちも哀れなものですが、なぜ「史実」なのかというと、《缶コク》の歴史が非常に長いことを示すためなのだそうで、それが教育指導要領にも記載されています。

ところがこの檀君、史記や三国史記などのChinaの史書には、まったく登場していません。
つまりChinaの歴史書には、まるで登場していないのです。
そもそも寿命が1908歳というのも、誰がどう考えてもアヤシゲです。

おそらく神話そのものは、民間伝承のようなカタチで、昔からあったのでしょうが、《缶コク》ではこの檀君が、1287年に朝・鮮半島で編纂された「帝王韻紀」という書物に記録があると子供たちに教えているけれど、残念ながらその書は現存していません。

現存する書籍で檀君の名が登場する最初の本は、「桓檀古記(かんだんこき, 朝: 환단고기)という書物で、この本は、超古代からの朝・鮮半島の歴史を詳細に書き綴ったものなのですが、この本は、書いたのが桂延壽という人物で、最初に出版されたのが《明治44(1911)年》のことです。

しかも内容は度々変更されていて、いま《缶コク》が国定教科書で引用している現行版の「桓檀古記」は、昭和24(1949)年に書かれたものであり、出版は昭和54(1979)年です。

内容をみると、清の嘉慶5年(1800年)に命名された「長春」という地名の表記があったり、男女平等、父権など、近代になってから登場した社会用語がそのまま使用されている等、笑っちゃうくらい、明らかに20世紀に入ってから作られた偽書であることが明白です。

ちなみに北朝・鮮が平成5(1993)年に見つけたと発表した檀君の骨ですが、「電子スピン共鳴法」による年代測定で、5011年前のものとだと分かったために、檀君は実在の人物と発表されたのだそうです。

ところが、5011年前では、檀君神話に基づく檀君朝・鮮の建国年と667年もの違いがあります。
加えて、年代測定に電子スピン法を用いたというけれど、その詳細な解析方法については詳細が公表されていません。
つまりこれもでっちあげのねつ造話である可能性が高いのです。

民族の誇りを思う気持ちはわからないではないけれど、他人の女房を寝取って子を孕ましただの、その女性が熊だったの、1908年も生きただの、それを《缶コク》の正史として子供達に教科書で教えているだの、《郷カン》が正当な神の行為とされているなど、あまりのおそろしさに鳥肌が立ちます。

お口直しに申し上げると、日本の建国は、神武天皇が即位した紀元前660年です。
その建国の理念は、八紘一宇、つまりすべての民が、天皇とともにひとつ屋根の下に暮らす家族となって暮らそうというのが建国の理念です。

そして、その神武天皇の正当性は、神武天皇の直系の祖先が、日本の最高神である天照大神であることに由来します。
つまり、日本の天皇は、我が国の最高神から続く万世一系のお血筋にあられます。
そしてどこまでも男女は対等とし、女性を守り、たいせつにしてきたのが、日本人であり日本文化です。

いまでこそ、結婚後は女性が男性の家にはいるようになっていますが、もともとは日本は通い婚(かよいこん)社会でした。
男性が、女性のもとに通い、女性の家にはいっていたのです。
それほどまでに、女性を大事にした国だからこそ、日本では世界最古の女流文学も生まれています。

思うに、《缶コク》にせよ、北朝・鮮にせよ、檀君神話を建国神話として保持する限り、《郷カン》大国としての実情から逃れることができないのかもしれません。

世界中、どんな民族においても、どんな人種においても、言語風俗習慣の別なく「愛する人の子を産み育てたい」と思うのは、女性の本能であろうと思います。
そして、その愛する女性と愛する我が子を護りたいと思うのも、男性の本能であろうと思います。
そういう、
 人類普遍の愛する心を、
 普通に実現できる社会
これこそ人類が求める普遍の正義だと思います。

日本にやってきた《缶コク》人は、その意味で、日本人として本当の幸せを実現できるチャンスに恵まれることになった幸せな人々であろうと思うのです。
反日などという馬鹿な妄想はやめにして、日本人として普通の人間として、普通に暮らせる幸せを、もういちど思い起こしてもらいたいものだと思います。

人は、自己の欲望のために利用するものではありません。
人はともに助け合い共助して未来を拓くものです。
反日を是とするような不逞なやからには、一日も早く日本から出て行ってもらいたいと思います。
日本人は、立派な日本人として生きる人なら、人種や民族の別なく、温かく受け入れる民族なのですから。

※この記事は2013年9月のねずブロ記事のリニューアルです。

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