以前にもご紹介したことがあるのですが、江戸時代に寺子屋で教科書として使われた「童子教(どうしきょう)」は、現代日本人が忘れている大切なことを教えてくれています。
それは童子教の冒頭からはじまるのですが、そこに何が書いてあるかというと、次の言葉です。

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1 夫貴人前居 夫(そ)れ貴人の前に居ては
2 顕露不得立 顕露に立つことを得ざれ
3 遇道路跪過 道路に遇ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ
4 有召事敬承 召す事有らば敬つて承れ
5 両手当胸向 両手を胸に当てて向へ
6 慎不顧左右 慎みて左右を顧みざれ
7 不問者不答 問はずんば答へず
8 有仰者謹聞 仰せ有らば謹しんで聞け
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目上の人の前では、かしこまれ、ということです。
「かしこむ」というのは、恐れつつしむという意味で、どこまでも厳しく目上の人を立てよ、ということです。
よく時代劇などで、若侍たちが侃侃諤々の議論をしているところにご家老が入ってくると、全員がかしこまって、正座して礼をしますけれど、まさにあのスタイルです。

ただし、Chinaや半島のような下卑た慎み方は必要ありません。
一寸の虫にも五分の魂です。
堂々と、そして規律正しく、礼をとります。それが日本式です。

ところがいつの世においても、いくら躾(しつ)けようとしても、言うことを聞かない子供もいます。
そんな場合にどうしたら良いのか。
その答えも童子教は明確に述べています。

115 不順教弟子  教へに順(したが)はざる弟子は
116 早可返父母  早く父母に返すべし
117 不和者擬冤  不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば
118 成怨敵加害  怨敵(おんてき)と成つて害を加ふ
119 順悪人不避  悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば
120 緤犬如廻柱  緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
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言うことを聞かない子は、さっさと親に返しなさい。
なだめる必要もない、です。
けんもほろろです。

いまどきの学校なら、教師の言うことを聞かない子でも、教育を受ける権利があるのだからと、教室に置きます。
けっか教室そのものが崩壊する。
昨今の大学に至っては、生徒数が足らないからと、強姦事件まで起こしたような不埒な生徒が、放校処分もされずに、そのまま大学に居座っています。
なかには、「俺はあの事件の犯人だ」と開き直って、女学生を脅す生徒までいるくらいです。
とんでもないことです。

これは会社や組織においても同じで、会社や組織の風土になじもうとせず、我儘を言う社員や組織員は、要するにサッサとクビにすることが常道です。
そうしないとどうなるのか。
その答えも、童子教は用意しています。
次の一文です。

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111 畜悪弟子者  悪しき弟子を畜(やしな)へば
112 師弟堕地獄  師弟地獄に堕(を)ちるべし
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師弟ともに地獄に堕ちるのです。
しかも面白いことに、童子教は、悪い弟子を「畜(やしな)」えば、と書いています。
悪い弟子は、弟子でもなければ人でもない、犬畜生と同じだと書いています。

もちろん数ある中には、教える師匠の側がろくでもないというケースもあったであろうと思います。
けれど、そこは江戸社会です。
江戸社会に文科省はなく、幕府や藩による寺子屋への助成金はありません。
ろくでもない師匠のもとには生徒が集まらず、生徒が集まらなければ、その寺子屋はたちまちのうちに倒産、廃業してしまうだけのことです。
そこは完全自由競争で、淘汰の原理が働くのです。

質の高い教育には、教師と生徒、双方の質の高さが要求されます。
政府が助成金を出さなければやっていけないような寺子屋は、社会的存在価値がないとされたのです。
一方、研究開発や技術開発、翻訳や医学などの最先端分野については、幕府や藩が藩校(いまの大学)にお金を出しました。

藩校や幕府経営の昌平坂学問所のようなところは、全国から選りすぐりの子弟が集まり、切磋琢磨しました。
そこで行われる当時に在っての最先端の学問には、幕府は惜しみなく経費を与えています。

その一方で、初等、中等教育については、民間に一任されていました。
民間の自由競争の中でこそ、優秀な人材は育つと考えられたのです。

ひるがえって現代日本を見ると、初等中等教育は義務教育とされ、どんなアホでも教育を受けることが「義務」とされる一方、最先端の学問を行う大学は、数ばかり増えて、猫も杓子も大学に進学し、学問そっちのけでアルバイトに精を出すという状態になっています。
要するに江戸時代の学問体制は、現代日本とは正反対なのです。

ちなみに、寺子屋を追い出された生徒はどうなるかというと、町方なら、親が自分で面倒をみなければなりません。
それが十分に目が行き届かずに、その子が不良になって町で問題を起こせば、住んでいる長屋ごと、お取り潰しです。
これは、長屋全部がつぶされました。
つまり、その子や親だけでなく、隣近所に住んでいる人たちから、家主にまで迷惑がかかったのです。
それだけ厳しかったのです。

それでもどうにもならない子は、親が子を勘当(かんどう)しました。
勘当された子は、親という身元引受人を失いますから、どこにも就職できません。
丁稚奉公にさえ行けない。
するとどうなるかというと、無宿人になる他ない。
無宿人は、野良犬や野良猫と同じ扱いですから、殺されても人の数のうちに入りません。

武士はもっと厳しいです。
子が藩校を追い出されたとなると、その子は武家としての跡目を継げなくなるだけでなく、追い出されるような子をもうけた親も、俸禄を減免され、身分を落とされ、程度によっては藩主の顔に泥を塗ったということで、親子共々切腹です。

童子教が言う、「教へに順(したが)はざる弟子は早く父母に返すべし」は、だからものすごく重たい言葉であったのです。

そうした社会は、子供たちの我儘が許される現代と比べたら、ずいぶんとやかましい世間に思えるかもしれません。
けれど少し考えたらわかることですが、まともに生きている子供たちや親には、何の関係もない話です。

しかも、もっというなら、かつての日本社会の厳しさも、中共や北朝鮮などの共産主義国家とくらべたら、まるで天国です。
共産圏は密告社会ですが、反政府的言動者は密告しなければならないというだけでなく、密告をしなかった周囲者も、「密告をしなかった」という罪で、反政府主義者と同じ罪に問われます。
共産主義社会の異常性を考えれば、むしろ反体制派に属する人の方が健全な精神の持ち主のようにも思えるのですが、仮にそうだとしても歪んだ社会体制のもとにあっては、正常なものが斜めになり、斜めのものが正常になります。

日本社会は、かつての厳しさを取り戻すべきです。
すくなくとも、二重国籍のスパイが国会で幅をきかせるような社会は、どうみてもまともな社会とはいえないからです。
そしてまともな社会を取り戻すためには、まともな教育が必要なのです。

冒頭の絵をご欄頂くと、厳しかっったはずの寺子屋で、生徒たちが明るく笑っている様子が見て取れると思います。
厳しいから、楽しいのです。
厳しさがあるから、明るくなれるのです。

童子教は鎌倉時代から江戸時代まで、寺子屋で広く用いられた教科書です。
ところが明治に入って、これが廃止となり、以後は教育勅語に変わりました。
理由は簡単で、童子教はたいへん良いことが書かれているのですが、仏教を尊ぶ姿勢が明確に書かれてたことによります。

明治政府は、明治3年から廃仏毀釈を推進し、国内から仏教を廃し、国家神道を国教にしようとしました。
このため大阪住吉大社大伽藍は破壊されたし、奈良興福寺の食堂も破壊、仏塔さえも捨値で売りに出され、千葉の鋸山ではすべての五百羅漢像が破壊されたりしました。
こうした一連の取り組みの中で、仏教を尊ぶ童子教は不要とされるようになり、結果として、明治以降、童子教は徐々に忘れ去られていくことになったわけです。

以下に童子教の全文を掲載しますが、ご一読いただければ、人として何が大切なのか、また師弟関係とはどのようなものか、そして江戸時代の庶民がなぜ民度が高かったのかなどをご理解いただけるのではないかと思います。

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童子教

1 夫貴人前居  夫(そ)れ貴人の前に居ては
2 顕露不得立  顕露に立つことを得ざれ
3 遇道路跪過  道路に遇ふては跪(ひざまづ)いて過ぎよ
4 有召事敬承  召す事有らば敬つて承れ
5 両手当胸向  両手を胸に当てて向へ
6 慎不顧左右  慎みて左右を顧みざれ
7 不問者不答  問はずんば答へず
8 有仰者謹聞  仰せ有らば謹しんで聞け

9 三宝尽三礼  三宝には三礼を尽し
10 神明致再拝  神明には再拝を致せ
11 人間成一礼  人間には一礼を成せ
12 師君可頂戴  師君には頂戴すべし
13 過墓時則慎  墓を過ぐる時は則ち慎め
14 過社時則下  社を過ぐる時は則ち下(を)りよ
15 向堂塔之前  堂塔の前に向かつて
16 不可行不浄  不浄を行ふべからず
17 向聖教之上  聖教(しやうきやう)の上に向かつて
18 不可致無礼  無礼を致すべからず

19 人倫有礼者  人倫礼有れば
20 朝廷必在法  朝廷に必ず法在り
21 人而無礼者  人として礼無きは
22 衆中又有過  衆中(しゆちう)又過(あやま)ち有り
23 交衆不雑言  衆に交はりて雑言(ざうごん)せざれ
24 事畢者速避  事畢(おは)らば速(すみやか)に避けよ

25 触事不違朋  事に触れて朋(とも)に違(たが)へず
26 言語不得離  言語(げんぎよ)離すことを得ざれ
27 語多者品少  語(ことば)多き者は品少なし
28 老狗如吠友  老いたる狗(いぬ)の友を吠(ほ)ゆる如し

29 懈怠者食急  懈怠(けだい)は食を急ぐ
30 痩猿如貪菓  痩せたる猿の菓(このみ)を貪る如し
31 勇者必有危  勇む者は必ず危(あやう)き有り
32 夏虫如入火  夏の虫の火に入(い)るが如し
33 鈍者亦無過  鈍(にぶ)き者は又過(あやま)ち無し
34 春鳥如遊林  春の鳥の林に遊ぶが如し

35 人耳者附壁  人の耳は壁に付く
36 密而勿讒言  密(かく)して讒言すること勿(なか)れ
37 人眼者懸天  人の眼(め)は天に懸(かゝ)る
38 隠而勿犯用  隠して犯し用ゆること勿れ
39 車以三寸轄  車は三寸の轄(くさび)を以て
40 遊行千里路  千里の路(みち)を遊行(ゆぎやう)す
41 人以三寸舌  人は三寸の舌を以つて
42 破損五尺身  五尺の身を破損す
43 口是禍之門  口は是(これ)禍(わざはひ)の門(もん)
44 舌是禍之根  舌は是(これ)禍(わざわひ)の根
45 使口如鼻者  口をして鼻の如くならしめば
46 終身敢無事  身終るまで敢へて事無し
47 過言一出者  過言(くわごん)を一たび出(い)だす者は
48 駟追不返舌  駟追(しつい)の舌を返さざれ

49 白圭珠可磨  白圭の珠(たま)は磨くべし
50 悪言玉難磨  悪言(あくげん)の玉は磨き難し
51 禍福者無門  禍福は門に無し
52 唯人在所招  唯(ただ)人の招く所に在り
53 天作災可避  天の作(つく)る災は避(さ)くべし
54 自作災難逃  自ら作(つく)る災は逃(のが)れ難し
55 夫積善之家  夫(そ)れ積善(せきぜん)の家には
56 必有余慶矣  必ず余慶有り
57 亦好悪之処  又好悪の処(ところ)には
58 必有余殃矣  必ず余殃(よわう)有り
59 人而有陰徳  人として陰徳有れば
60 必有陽報矣  必ず陽報有り
61 人而有陰行  人として陰行(いんこう)有れば
62 必有照名矣  必ず照名有り
63 信力堅固門  信力(しんりき)堅固の門(かど)には
64 災禍雲無起  災禍の雲起ること無し
65 念力強盛家  念力強盛(ごうせい)の家には
66 福祐月増光  福祐の月(つき)光(ひかり)を増す
67 心不同如面  心の同じさらざるは面(をもて)の如し
68 譬如水随器  譬(たと)へば水の器に随ふが如し

69 不挽他人弓  他人の弓を挽(ひ)かざれ
70 不騎他人馬  他人の馬に騎(の)らざれ
71 前車之見覆  前車の覆(くつがへ)るを見ては
72 後車之為誡  後車の誡(いましめ)とす
73 前事之不忘  前事の忘れざるは
74 後事之為師  後事(ごじ)の師とす
75 善立而名流  善立ちて名流れ
76 寵極而禍多  寵(てう)極めつて禍(わざはひ)多し

77 人者死留名  人は死して名を留(とど)め
78 虎者死留皮  虎は死して皮を留む
79 治国土賢王  国土を治むる賢王(けんわう)は
80 勿侮鰥寡矣  鰥寡(くはんくは)を侮(く)ゆることなし
81 君子不誉人  君子の人を誉めざるは
82 則民作怨矣  則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり

83 入境而問禁  境(きやう)に入つては禁(いましめ)を問へ
84 入国而問国  国に入(い)つては国を問へ
85 入郷而随郷  郷(ごう)に入(い)つては郷に随ひ
86 入俗而随俗  俗に入つては俗に随へ
87 入門先問諱  門に入つては先づ諱(いみな)を問へ
88 為敬主人也  主人を敬(うやま)ふ為なり
89 君所無私諱  君の所(ところ)に私の諱(いみな)無し
90 無二尊号也  尊号二つ無ければなり

91 愚者無遠慮  愚者は遠き慮(おもんぱかり)無し
92 必可有近憂  必ず近き憂(うれ)ひ有るべし
93 如用管窺天  管(くだ)を用ひて天を窺(うかが)ふが如し
94 似用針指地  針(はり)を用ひて地を指すに似たり

95 神明罰愚人  神明(しんめい)は愚人を罰す
96 非殺為令懲  殺すにあらず懲(こ)らしめんが為なり
97 師匠打弟子  師匠の弟子を打つは
98 非悪為令能  悪(にく)むにあらず能(よ)からしめん為也
99 生而無貴者  生れながらにして貴(たつと)き者無し
100 習修成智徳  習ひ修(しゆ)して智徳とは成る

101 貴者必不冨  貴(たつと)き者は必ず冨まず
102 冨者未必貴  冨める者は未(いま)だ必ず貴からず
103 雖冨心多欲  冨めりと雖(いへど)も心に欲多ければ
104 是名為貧人  是(これ)を名づけて貧人(ひんじん)とす
105 雖貧心欲足  貧なりといえども心に足るを欲せば
106 是名為冨人  是(これ)を名づけて冨人(ふじん)とす

107 師不訓弟子  師の弟子を訓(をし)へざるは
108 是名為破戒  是(これ)を名づけて破戒とす
109 師呵責弟子  師の弟子を呵責(かしやく)するは
110 是名為持戒  是(これ)を名づけて持戒とす
111 畜悪弟子者  悪しき弟子を畜(やしな)へば
112 師弟堕地獄  師弟地獄に堕(を)ち
113 養善弟子者  善き弟子を養へば
114 師弟到仏果  師弟仏果に到る
115 不順教弟子  教へに順(したが)はざる弟子は
116 早可返父母  早く父母に返すべし
117 不和者擬冤  不和なる者を冤(なだ)めんと擬(ぎ)すれば
118 成怨敵加害  怨敵(おんてき)と成つて害を加ふ
119 順悪人不避  悪人に順(したが)ひて避(さ)けざれば
120 緤犬如廻柱  緤(つな)げる犬の柱を廻(めぐ)るが如し
121 馴善人不離  善人に馴(な)れて離れざるは
122 大船如浮海  大船の海に浮かめるが如し

123 随順善友者  善き友に随順すれば
124 如麻中蓬直  麻の中の蓬(よもぎ)の直(なを)きが如し
125 親近悪友者  悪しき友に親近すれば
126 如藪中荊曲  藪の中の荊(いばら)の曲(まが)るが如し
127 離祖付疎師  祖に離れ疎師に付く
128 習戒定恵業  戒定恵(かいぢやうゑ)の業(わざ)を習ひ
129 根性雖愚鈍  根性は愚鈍と雖(いへど)も
130 好自致学位  好めば自(おのづか)ら学位に致る
131 一日学一字  一日に一字を学べば
132 三百六十字  三百六十字
133 一字当千金  一字千金に当る
134 一点助他生  一点他生を助く
135 一日師不疎  一日の師たりとも疎(うとん)ぜざれば
136 况数年師乎  况(いはん)や数年の師をや

137 師者三世契  師は三世(さんぜ)の契り
138 祖者一世眤  祖は一世(いつせ)の眤(むつび)
139 弟子去七尺  弟子七尺(しちしやく)を去つて
140 師影不可踏  師の影を踏むべからず
141 観音為師孝  観音は師孝の為に
142 宝冠戴弥陀  宝冠に弥陀を戴(いただ)き
143 勢至為親孝  勢至(せいし)は親孝(しんかう)の為に
144 頭戴父母骨  頭(こうべ)に父母の骨を戴き
145 宝瓶納白骨  宝瓶(ほうびん)に白骨を納む

146 朝早起洗手  朝(あさ)早く起きて手を洗ひ
147 摂意誦経巻  意(こころ)を摂して経巻を誦(じゆ)せよ
148 夕遅寝洒足  夕(ゆふべ)には遅く寝て足を洒(あら)ひ
149 静性案義理  性(せい)を静めて義理を案ぜよ
150 習読不入意  習ひ読めども意(こころ)に入れざるは
151 如酔寝閻語  酔ふて寐て閻(むつごと)を語るが如し
152 読千巻不復  千巻(せんぐはん)を読めども復さざれば
153 無財如臨町  財無くして町に臨むが如し

154 薄衣之冬夜  薄衣(はくえ)の冬の夜(よ)も
155 忍寒通夜誦  寒を忍んで通夜(よもすがら)誦(じゆ)せよ
156 乏食之夏日  食乏(とぼ)しきの夏の日も
157 除飢終日習  飢(うへ)を除いて終日(ひめもす)習へ
158 酔酒心狂乱  酒に酔(ゑ)ふて心狂乱す
159 過食倦学文  食過ぐれば学文に倦(う)む
160 温身増睡眠  身温(あたた)まれば睡眠(すいめん)を増す
161 安身起懈怠  身安ければ懈怠(けだい)起る

162 匡衡為夜学  匡衡(けいこう)は夜学の為に
163 鑿壁招月光  壁を鑿(うが)つて月光を招き
164 孫敬為学文  孫敬(そんけい)は学文の為に
165 閉戸不通人  戸を閉ぢて人を通さず
166 蘇秦為学文  蘇秦は学文の為に
167 錐刺股不眠  錐を股(もも)に刺して眠らず
168 俊敬為学文  俊敬(しゆんけい)は学文の為に
169 縄懸頸不眠  縄を頸(くび)に懸(か)けて眠らず
170 車胤好夜学  車胤(しやいん)は夜学を好んで
171 聚蛍為燈矣  蛍を聚(あつ)めて燈(ともしび)とす
172 宣士好夜学  宣士(せんし)は夜学を好んで
173 積雪為燈矣  雪を積んで燈(ともしび)とす
174 休穆入意文  休穆(きうぼく)は文に意(こころ)を入れて
175 不知冠之落  冠(かんぶり)の落つるを知らず
176 高鳳入意文  高鳳(こうほう)は文に意(こころ)を入れて
177 不知麦之流  麦の流るゝを知らず
178 劉完乍織衣  劉完(りうくはん)は衣を織り乍ら
179 誦口書不息  口に書を誦(じゆ)して息(いこ)はず
180 倪寛乍耕作  倪寛(げいくはん)は耕作し乍(なが)ら
181 腰帯文不捨  腰に文を帯びて捨てず
182 此等人者皆  此等(これら)の人は皆
183 昼夜好学文  昼夜学文を好んで
184 文操満国家  文操国家に満つ
185 遂致碩学位  遂に碩学の位に致(いた)る

186 縦磨塞振筒  縦(たと)へ塞を磨き筒を振るとも
187 口恒誦経論  口には恒に経論を誦(じゆ)し
188 亦削弓矧矢  又弓を削り矢を矧(は)ぐとも
189 腰常挿文書  腰には常に文書を挿せ

190 張儀誦新古  張儀は新古を誦(じゆ)して
191 枯木結菓矣  枯木に菓(このみ)を結ぶ
192 亀耄誦史記  亀耄(きほう)は史記を誦(じゆ)して
193 古骨得膏矣  古骨に膏(あぶら)を得たり
194 伯英九歳初  伯英は九歳にして初めて
195 早至博士位  早く博士(はかせ)の位に至る
196 宋吏七十初  宋吏(さうし)は七十にして初めて
197 好学登師伝  学を好んで師伝に登る
198 智者雖下劣  智者は下劣なりと雖(いへど)も
199 登高台之閣  高台の閣に登る

200 愚者雖高位  愚者は高位なりと雖(いへど)も
201 堕奈利之底  奈利(ないり)の底に堕(お)つ
202 智者作罪者  智者の作る罪は
203 大不堕地獄  大いなれども地獄に堕(を)ちず
204 愚者作罪者  愚者の作る罪は
205 小必堕地獄  小さけれども必ず地獄に堕(を)つ

206 愚者常懐憂  愚者は常には憂(うれい)を懐(いだ)く
207 譬如獄中囚  たとへば獄中の囚(とらはれびと)の如し
208 智者常歓楽  智者は常に歓楽す
209 猶如光音天  猶(なを)光音天(くはうおんてん)の如し

210 父恩者高山  父の恩は山より高し
211 須弥山尚下  須弥山尚(なを)下(ひく)し
212 母徳者深海  母の徳は海よりも深く
213 滄溟海還浅  滄溟の海還(かへ)つて浅し
214 白骨者父淫  白骨は父の淫
215 赤肉者母淫  赤肉は母の淫
216 赤白二諦和  赤白の二諦和し
217 成五体身分  五体身分(しんぶん)と成る

218 処胎内十月  胎内に処(しよ)すること十月(とつき)
219 身心恒苦労  身心(しんじん)恒(つね)に苦労す
220 生胎外数年  胎外(たいげ)に生れて数年(すねん)
221 蒙父母養育  父母の養育を蒙(かふむ)る
222 昼者居父膝  昼は父の膝に居て
223 蒙摩頭多年  摩頭(まとう)を蒙(かふむ)ること多年
224 夜者臥母懐  夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)して
225 費乳味数斛  乳味を費すこと数斛(すこく)
226 朝交于山野  朝(あした)には山野に交はつて
227 殺蹄養妻子  蹄(ひづめ)を殺して妻子を養ひ
228 暮臨于江海  暮(ゆふべ)には江海に臨んで
229 漁鱗資身命  鱗(うろこ)を漁つて身命を資け

230 為資旦暮命  旦暮の命を資(たす)からん為に
231 日夜造悪業  日夜悪業(あくごう)を造り
232 為嗜朝夕味  朝夕の味を嗜(たしな)まん為に
233 多劫堕地獄  多劫(たこう)地獄に堕(を)つ
234 戴恩不知恩  恩を戴(いたゞ)ひて恩を知らざるは
235 如樹鳥枯枝  樹の鳥の枝を枯らすが如し
236 蒙徳不思徳  徳を蒙(かふむ)つて徳を思はざるは
237 如野鹿損草  野の鹿の草を損ずるが如し

238 酉夢打其父  酉夢(ゆうむ)其の父を打てば
239 天雷裂其身  天雷其の身を裂く
240 班婦罵其母  班婦其の母を罵(のゝし)れば
241 霊蛇吸其命  霊蛇其の命を吸ふ
242 郭巨為養母  郭巨(くはくきよ)は母を養はん為に
243 掘穴得金釜  穴を掘りて金(こがね)の釜を得たり
244 姜詩去自婦  姜詩(きやうし)は自婦を去りて
245 汲水得庭泉  水を汲めば庭に泉を得たり
246 孟宗哭竹中  孟宗竹中(ちくちう)に哭(こく)すれば
247 深雪中抜筍  深雪の中(うち)に筍(たかんな)を抜く
248 王祥歎叩氷  王祥歎(なげ)きて氷を叩(たゝ)けば
249 堅凍上踊魚  堅凍(けんたう)の上に魚踊る
250 舜子養盲父  舜子盲父を養ひて
251 涕泣開両眼  涕泣すれば両眼を開く
252 刑渠養老母  刑渠(けいこ)老母を養ひて
253 噛食成齢若  食を噛めば齢(よはひ)若(わか)く成る
254 董永売一身  董永(とうゑい)一身を売りて
255 備孝養御器  孝養の御器(ぎよき)に備ふ
256 楊威念独母  楊威は独りの母を念(おも)つて
257 虎前啼免害  虎の前に啼(な)きしかば害を免(まぬか)る
258 顔烏墓負土  顔烏(がんう)墓に土を負へば
259 烏鳥来運埋  烏鳥(うちやう)来つて運び埋(うづ)む
260 許牧自作墓  許牧自(みづか)ら墓を作れば
261 松柏植作墓  松柏植へて墓と作(な)る
262 此等人者皆  此等(これら)の人は皆
263 父母致孝養  父母に孝養を致し
264 仏神垂憐愍  仏神(ぶつじん)の憐愍(れんみん)を垂れ
265 所望悉成就  所望(しよまう)悉(ことごと)く成就す

266 生死命無常  生死(せうじ)の命は無常なり
267 早可欣涅槃  早く涅槃(ねはん)を欣(ねが)ふべし
268 煩悩身不浄  煩悩の身は不浄なり
269 速可求菩提  速(すみやか)に菩提を求むべし
270 厭可厭娑婆  厭(いと)ひても厭ふべきは娑婆なり
271 会者定離苦  会者定離(ゑしやぢやうり)の苦しみ
272 恐可恐六道  恐れても恐るべきは六道(ろくどう)
273 生者必滅悲  生者必滅(しやうじやひつめつ)の悲しみ
274 寿命如蜉蝣  寿命は蜉蝣(ふゆう)の如し
275 朝生夕死矣  朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死す
276 身体如芭蕉  身体は芭蕉の如し
277 随風易壊矣  風に随つて壊(やぶ)れ易し
278 綾羅錦繍者  綾羅錦繍(りやうらきんしう)は
279 全非冥途貯  全く冥途の貯えに非(あら)ず

280 黄金珠玉者  黄金珠玉は
281 只一世財宝  只一世(いつせ)の財宝
282 栄花栄耀者  栄花栄耀(えいぐわえいよう)は
283 更非仏道資  更に仏道の資(たす)けに非(あら)ず
284 官位寵職者  官位寵職は
285 唯現世名聞  唯(たゞ)現世の名聞(みやうもん)

286 致亀鶴之契  亀鶴の契りを致すも
287 露命不消程  露命の消えざるが程は
288 重鴛鴦之衾  鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)を重ぬるも
289 身体不壊間  身体の壊(やぶ)れざる間(あいだ)
290 刀利摩尼殿  刀利摩尼殿(とうりまにでん)も
291 歎遷化無常  遷化(せんげ)無常を歎く
292 大梵高台閣  大梵(だいぼん)高台の閣も
293 悲火血刀苦  火血刀の苦しみを悲しむ
294 須達之十徳  須達(しゆだつ)の十徳(じつとく)も
295 無留於無常  無常を留(とゞ)むること無し
296 阿育之七宝  阿育(あいく)の七宝(しつぽう)も
297 無買於寿命  寿命を買ふこと無し
298 月支還月威  月支(ぐわつし)の月を還せし威も
299 被縛炎王使  炎王(ゑんわう)の使ひに縛(ばく)せらる
300 龍帝投龍力  龍帝(りうてい)の龍(りやう)を投げし力も
301 被打獄卒杖  獄卒の杖(つえ)に打たる

302 人尤可行施  人尤(もつと)も施しを行ふべし
303 布施菩提粮  布施は菩提の粮(かて)
304 人最不惜財  人最(もつと)も財を惜しまざれ
305 財宝菩提障  財宝は菩提の障(さは)り
306 若人貧窮身  若(も)し人貧窮の身にて
307 可布施無財  布施すべき財無く
308 見他布施時  他の布施を見る時
309 可生随喜心  随喜の心を生ずべし
310 悲心施一人  心に悲しんで一人(いちにん)に施せば
311 功徳如大海  功徳(くどく)大海(だいかい)の如し
312 為己施諸人  己(おのれ)が為に諸人に施せば
313 得報如芥子  報を得ること芥子(けし)の如し
314 聚砂為塔人  砂(いさご)を聚(あつ)めて人塔を為す
315 早研黄金膚  早く黄金の膚(はだへ)を研(みが)く
316 折花供仏輩  花を折つて仏に供する輩(ともがら)は
317 速結蓮台政  速(すみや)かに蓮台の政(はなぶさ)を結ぶ
318 一句信受力  一句信受の力も
319 超転輪王位  転輪王の位に超(いた)る
320 半偈聞法徳  半偈(はんげ)聞法(もんぼう)の徳も
321 勝三千界宝  三千界の宝にも勝(すぐ)れたり
322 上須求仏道  上(かみ)は須(すべから)く仏道を求む
323 中可報四恩  中は四恩を報ずべし
324 下編及六道  下(しも)は編(あまねく)六道に及ぶ
325 共可成仏道  共に仏道成るべし
326 為誘引幼童  幼童を誘引せんが為に
327 註因果道理  因果の道理を註(ちう)す
328 出内典外典  内典外典より出でたり
329 見者勿誹謗  見る者誹謗すること勿れ
330 聞者不生笑  聞く者笑を生ぜざれ

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『童子教』現代語訳

貴い人の前では、あらわに立っていてはいけません。
道にあっては、ひざまづいて通り過ぎるのを待ち、
呼ばれたら、うやまって承りなさい。

両手を胸に当てて向い、慎んで左右をかえりみて、
問われなければ答えず、おおせがあれば、謹しんで聞きなさい。

仏法僧の三宝には稽首(けいしゅ)、跪(き)、揖(ゆう)の三礼を尽し
神前においては、再拝しなさい。

人には必ず一礼をし、師匠や君主には頭をたれなさい。
墓地を通り過ぎるときは慎み深くし、
神社を通り過ぎるときは、乗り物を降りなさい。
お堂や仏塔などの前に向かって不浄を行ってはなりません。
すぐれた教えをくださる目上の人に向かって、無礼をしてはなりません。
人には倫理と礼儀があります。国家に法があるのと同じです。

人として礼がなければ、大勢の人前で過(あやま)ちます。
大勢の人と交わるときには余計なことは言わず、
ことが終わったら、すみやかに帰りましょう。

事に触れて仲間たちとの約束を違(たが)えず
言うこととすることが離れないようにしなさい。
言葉の多い者は品が少ないものです。
それは、老いた犬が、友の犬に吠(ほ)えることと同じです。

怠けることは、急いで食べたり、痩せた猿が樹の実を貪(むさぼ)るのと同じです。
勇む者は必ず危ない目に遭います。夏の虫が火に飛び込むのと同じです。
むしろ、鈍(にぶ)いくらいの方が、過(あやま)ちがありません。
それは、うららかな春の日に鳥が林に遊ぶようなものです。

人の耳は壁に付きます。ですから密(かく)して讒言(ざんげん)してはなりません。
人の眼(め)は天の眼と同じです。隠し犯してもからなずバレます。

車輪は三寸のクサビで留めてあるだけですが、
それで千里の路(みち)を走ることができます。
けれど人は三寸の舌で、たった五尺の身を滅ぼします。

口は禍(わざはい)の門(もん)です。
舌は是(これ)禍(わざわひ)の根です。
口を鼻のようにしてしまえば、身が終るまで事が起こることはありません。
余計なことをひとたび言えば、四頭立ての馬車で追いかけても、追いつくことはできません。
白い珠(たま)は磨けば光ります。けれど悪言(あくげん)の玉は磨くことさえできないのです。

福も災いも、家の門にあるのではありません。
ただ、人が招くところにあるのです。
天が与える災難は、避けることができますが、自ら作る災難は逃れにくいものです。

善い行いを積む家には、必ず善いことが起こります。
悪事を積み重ねてきた家には、必ず子孫にまで災いが及びます。

人として陰徳あれば、必ず陽報があります。
人として陰行(いんこう)があれば、必ず照名があります。

信じる力が堅ければ、災禍の雲が起ることはありません。
念じる力が強い家には、必ず福祐の月の光が射し込みます。

人の心はみんな違います。それはひとりひとりの顔が違うのと同じです。
たとえていえば、水が器(うつわ)の形に従って形を変えるのと同じです。
他人の弓を挽(ひ)かない。他人の馬に騎(の)らない。
前の車が覆(くつがえ)ったことは、後に続く車の誡(いましめ)としなさい。

忘れられない出来事は、後事(ごじ)の師です。
善き行いが広く知られるようになり、誉められたり可愛がられるようになると、
思わぬ禍いもやってくるものです。

人は死して名を留(とど)め、虎は死して皮を留めます。
国土を治める賢王(けんおう)は、身寄りがないことを悔いることはありません。
君子が人を誉めないのは、則ち民(たみ)怨(あた)と作(な)ればなり
境に入ってはその境の禁(いましめ)を問い
国に入っては国を問い
郷に入っては郷に随い
俗に入っては俗に随い

門(もん)に入(い)るには先(ま)づご先祖を問いなさい。
その家の主人を敬(うやま)ふです。
君には、私(わたくし)の諱(いみな)はありません。尊号は二つはないからです。

愚かな者は先々のことを考えません。
必ずいまこの瞬間の憂いしか持ちません。
それはまるで細い管(くだ)で天を観るようなものです。
あるいは針で地面を刺すのと同じです。

神は愚人を罰します。殺しはしません。懲(こ)らしめるためです。
師匠が弟子を打つのは、悪(にく)むからではありません。
より能(よ)くしようと思うからです。

生れながらにして貴(たっ)とい者などいません。
習ひ修(おさ)めて、はじめて智徳と成るのです。

貴(たっと)き者は、必ず冨みません。
冨める者は、必ず貴くありません。
冨んでいても、心に欲が多ければ、これを名づけて貧人(ひんじん)と言うのです。
貧なりといえども、心に足(た)るを持てば、これを名づけて冨人(ふじん)と言うのです。

師が厳しく弟子を訓(おし)えないのは、これを名づけて破戒です。
師が弟子を叱るのは、これを名づけて持戒と言います。

叱らずに悪い弟子を畜(やしな)えば、師弟ともに地獄に堕ちます。
厳しく薫陶して善い弟子を養えば、師弟ともに仏果に到ります。

教えに順(したが)わない弟子は、さっさと父母に返しなさい。
不和な者を冤(なだ)めようとすれば、不満を持つ敵となって必ず害を加えるようになります。
悪人を避けないことは、つながれた犬が柱をグルグル回るのと同じです。
善人に近づいて離れないことは、大船が海に浮ぶのと同じです。
善き友に随えば、麻の中に蓬(よもぎ)が生えるようなものです。
悪しき友に親近すれば、藪(やぶ)の中で荊(いばら)に近づくようなものです。

親元を離れ、孤高な師に付いて、
悪を止める戒と、心の平静を得る定と、真実を悟る慧の
三学である戒定恵(かいじょうえ)を習うのです。
そうすれば自分の性が愚鈍であっても、
みずから進んで学ぶことで、自(おのづか)ら学位に致ります。

一日一字を学べば三百六十字
一字千金に当れば来世まで助けます。
一日の師から学ぶのであってもです。
まして数年の師であればなおのことです。

師は過去世・現在世・未来世の三世(さんぜ)の契りです。
父祖は一世(いっせ)の眤(むつび)です。
弟子は師匠の後ろに七尺(約2M)下がって、師匠の影を踏んではなりません。

観音様は師への孝のために、冠に阿弥陀様をいただきました。
勢至(せいし)様は親孝行のために頭上の宝瓶に父母の白骨をいただいたといわれています。
朝(あさ)早く起きて手を洗い
意(こころ)を込めて経を読みなさい。

夜は遅くに寝て、足を洗い、
心を静(しず)めて条理を考えなさい。

習い読んでも、それを心に入れなければ、
それは酔って寝てつまらないことを語るのと同じです。
千巻の書を読んでも、繰り返し読むのでなければ、
一文無しで町に出るのと同じです。

薄衣の冬の夜も寒さを忍んで夜通しでも口誦しなさい。
食べものが乏しい夏の日にお腹が空いても終日習いなさい。

酒に酔って心乱れたり、食べ過ぎたりすれば、学文に倦(う)みます。
身が温(あたた)まれば、眠気を催します。
身が楽ならば、だるさが起きます。
チャイナの匡衡(けいこう)という学者は、夜学のために
壁に穴を開けて月の光で書を学び、
同じくチャイナの孫敬(そんけい)という学者は、学問のために
戸を閉じて人を通しませんでした。
蘇秦という学者は、やはり学問のためにと、
錐(キリ)を股(もも)に刺して眠気を払い、
俊敬(しゆんけい)は学問のために縄を首に懸(か)けて眠りませんでした。
車胤(しやいん)は夜学のために、蛍を集めて灯りにしました。
宣士(せんし)は夜学を好んで、雪を積んで灯りにしました。
休穆(きうぼく)は文に意(こころ)を入れていたため、
冠が落ちたことにも気付きませんでした。
高鳳(こうほう)は文に意(こころ)を入れていたため
麦が流れてしまったことにも気付きませんでした。
劉完(りうくはん)は衣を織りながら
口に書を誦(じゅ)して息をせず、
倪寛(げいくはん)は畑を耕しながら、腰に文を帯びて捨てませんでした。

これらの人は皆、昼夜学問を好むことで、学問への志を国に満たしました。
たと砦にこもり、武器を振ことになっても、
口にはつねに経と論を誦(じゅ)し
弓を削り矢を矧(は)ぐとも、腰には常に文書を挿しなさい。

張儀(ちょうぎ)は新古を誦して枯木に実を結んだといいます。
亀耄(きほう)は史記を暗唱し、老齢まで働きました。
伯英(はくえい)は九歳で博士の位に至りました。
宋吏(そうし)は七十にして初めて学問の師となりました。

智者は下層の出身者でも、国家の高位に登ります。
愚者は高い地位を得ても、地獄に堕ちます。
愚者の作る罪は、小さくても必ず地獄に堕ちるのです。

愚者は常には憂(うれい)をいだきます。
それは、たとえていえば、獄中の囚人と同じです。
智者は常に楽観です。
それは天界と同じです。

父の恩は山より高いものです。
それは須弥山さえも下におくほどです。
母の徳は海よりも深いものです。
それは海原さえも浅く感じさせるものです。
骨は父より、肉は母よりと思い、
骨肉あい和して五体となります。
胎内にいること十ヵ月
その間、母にずっと苦労をかけ、
生まれてから数年、今度は父母の養育をいただいています。
昼は父の膝に居て頭を撫でられること多年、
夜は母の懐(ふところ)に臥(ふ)してその乳をいただきました。

けれど後には山野に交わって妻子を養い、
海の幸をいただいて身命をたすけるため、
暮には、命のためと称して日夜悪業を重ね
朝夕の食のためにと無限地獄に堕ちていく。

恩をいただいて恩を知らないのは
樹に住む鳥が枝を枯らすようなものです。
徳をいただいて徳を思わないのは、
野の鹿が草を損ねるようなものです。

夢にも父を打つならば、天雷がその身を裂きます。
身をわかちあった母を罵(のの)しるならば、
霊蛇がその命を吸ふことでしょう。

チャイナの郭巨(かくきょ)は母を養うために、
穴を掘って金(こがね)の釜を得ました。
姜詩(きょうし)は妻とともに母によく仕え
天より美しい湧き水をいただきました。
孟宗は竹やぶの中で母のために哭(な)き、
真冬の深雪の中に筍(たけのこ)を抜きました。
王祥は、母に魚を食べさせようと氷の上に寝て
堅い氷の下から魚を得ました。
舜子は目の見えない父を養って天子の座をいただきました。
刑渠(けいこ)は老いた母を養って
食べものの毒味を行い、
母は70歳を過ぎても30歳ほどにしかみえなかったといいます。
董永(とうえい)は父の葬儀のために、自らの身を売りました。
楊威は独りの母を想って虎の前に啼(な)いて害を免(まぬか)れました。
顔烏(がんう)は墓で、烏(カラス)に助けられました。
許牧は自ら墓を作り、松柏植へて墓としました。
これらの人は皆、父母に孝養をし、
仏神の憐愍(れんみん)をいただき、
望むところを成就したという故事です。

生死は無常です。
早く涅槃(ねはん)を欲しても、煩悩の身は不浄です。
すみやかに菩提を求めても、
現実は娑婆世界です。

愛別離苦の苦しみがあり
恐れても六道輪回の生者必滅の悲しみがあります。
寿命はカゲロウのようなものです。
朝(あした)に生れて夕(ゆうべ)に死ぬのです。

身体は葉の大きなバナナの木と同じです。
風が吹けば破れやすい。
刺繍を数多く施した美しい衣服は、冥途の貯えにはなりません。
黄金珠玉は、ただ今生だけの財宝にすぎません。
栄花栄耀は仏道の資(たす)けにはなりません。
官位寵職も、ただ現世の名聞(みょうもん)にすぎません。
万年千年の約束をしても、それは命のある間のこと、
仲睦まじい夫婦も、命のある限りのことでしかありません。

観世音菩薩は高僧の短命を嘆き、
梵天の高台の楼閣も、火血刀の苦しみを味わいました。
インドの長者の須達(しゅだつ)の十徳も、
無常を留めることができず、
アショーカ王の七宝も、寿命を買ふことはできませんでした。
かつての大国の大月支国も、ついには消え去り、
龍帝の龍さえ投げ飛ばす腕力も、最後には獄卒の杖に打たれるようになりました。

人は、もっと施しなさい。
布施は菩提の粮(かて)です。
人は、もっと財を惜しまず、
財宝は菩提の障(さわ)りと思い、
貧窮の身が布施を得れば、随喜の心を生じます。
心に悲しんで誰かに施せば、その功徳は大海と同じです。
自分のために誰かに施しをすることは、
それは芥子粒のようなものであったとしても、
その芥子粒が、集まって、仏塔となるのです。
黄金をみがき、
花を折って仏に供養する者は
すみやかに成仏の縁を得ることでしょう。
一句信受の力は、王の位を超えるものです。
半分しか理解できない聞法の徳は
実は、三千界の宝にも勝(すぐ)れたものです。
上が仏道を求め、
中が四恩報じれば、
下の功徳はあまねく六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人界、天界)に及びます。
共に仏に成る道です。

これらは幼童を教化するために、因果の道理を注したもので、
内外の書から書き起こしたものです。
これを見る者は、この文を誹謗してはなりません。
これを聞く者は、笑ってはなりません。

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※この記事は2019年6月のねずブロ記事の再掲です。

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