当ブログでも何度もご紹介しています。
昔がんばった人のご紹介ですが、いずれも、ものすごく過酷なところまで追い詰められ、何もかも失い、それでも歯を食いしばってまた立ち上がってきた人たちです。
そんななかのひとりが、この「木村屋のあんぱん」の木村安兵衛です。

どうしてこのような記事を書くのかというと、理由は3つあります。
1 生きる勇気を得る
2 あきらめない心を養う
3 幸せは遠い未来にあるのではなく、いまの努力の向こう側にある
いずれも、あたりまえのことです。
けれど、あたりまえがあたりまえでなくなっているのが、いまの日本ではないでしょうか。

昨今では偉人伝を学校で教えないし、書店に行っても偉人伝が売られていません。
代わって置いてあるのが、新作ものの絵本で、そのほとんどが左系の絵本です。
ちなみに右系の絵本(たとえば軍人さんを扱ったような絵本)は、そもそも書店さんに置いてさえもらえません。

けれど我が国の偉人伝には、あるひとつの共通項があります。
それは、西洋のヒーローのように、最初から何もかも持っているような人物がいない、といことです。
歴史を振り返れば、おそらく最初から何もかも手に入れていたような人物といえば、源為朝くらいなものです。
けれど、そうした人物であれば、その後、必ずたいへんな目に遭い、最期はたいてい破綻しています。
逆に、努力はしたけれど、たいした能力があるわけではない。
けれど、多くの人々のためにと、何度もくりかえしたいへんな目に遭いながらも、そこから立ち上がって、立派な業績を成し、多くの人から慕われた・・・そんな人物が、我が国では偉人とされています。

それって、人に勇気を与えるものではないでしょうか。
誰もが、辛かったり凹んだり悲しかったり、苦心惨憺しています。
でも、そこからまた立ち上がる。
それこそが勇気といえるのではないでしょうか。

昨今では、凹んだときの逃げ場がたくさん用意されています。
その逃げる先が、たとえばネットだったりすることもあります。
ハンドルネームで本名を隠して、ひたすら他人の悪口を言う、中傷する。
政治の悪口を言う。批判する。馬鹿にする。
それが嵩じて、国や政治家が悪いことをしなように監視するのが野党議員の役目だ、などと言いながら、ひたすら与党議員や閣僚をコケにすることが政治であると勘違いしている人たちまでいます。

そんなものばかり見せられたら、国民の多くは、選挙なんて馬鹿らしくて行かなくなります。
実際、国会選挙ですら、投票率は50%前後、地方議会や市長選挙になると、なかには10%程度の投票率しかないことさえもしばしばです。

でも、逃げちゃいけないと思うのです。
もういちど、政治の本質に帰る。
「おほみたから」である民衆が、豊かに安全に安心して生きることができる日本を目指す、地方を目指す。
そのために歯を食いしばって、何度でも立ち上がる。挑戦し続ける。
民衆の心に火を付ける。

一般に、選挙は組織票の食い合いだと言われています。
その結果、選挙に受かった政治家たちによって、いまの日本がどうなっているか。
かれこれ30年、経済成長ゼロです。
たいせつな森や水の資源が、外国人に買われています。
物価が上がり、消費税もあがり、その一方で日本人の所得が下がっています。
それでいいのでしょうか。
だから、これまで通りの選挙をしている方々には、これまで通り頑張っていただければよいのです。
そうではなく、これまでの与野党とは違う、まったくの第三極。
右でもなければ左でもない。
日本のど真ん中に柱を立てて、日本人の日本人による日本人の政治を取り戻すのです。

偉人たちは、どんなに辛くても、苦しくても、あきらめずに頑張ってきました。
日本の偉人伝は、そういうことを学ばせてくれます。
今度は私達ががんばる番です。

また、毎度申し上げていますように、日本では、時間軸は未来から過去へと流れます。
これは西洋とは真逆の時間の概念です。
未来から過去へと流れる時間だとどうなるのかというと、過去は「過ぎ去った」のです。
過ぎ去ったものに、いつまでも、「もりそばがいいか、かけうどんがいいか」などとぐずぐずいっても詮無いことです。

左右の対立とか言いますけれど、東西冷戦はとっくに終わっています。
いまは日本人に幸せを取り戻す。そのための戦いをすべきです。
愚痴るのではない。
文句を言うのでもない。
おかしいことを、おかしいと、ちゃんと言える世の中を築くときです。
そして、多くの人のために役立てるように、自分にできることをする。一隅を照らす。

日本のかつての偉人たち、その偉人たちを支えたのは、誰でしょう。
いっぱんの人たちです。

トップの画像は、蓮の花です。
蓮の根は泥土の中にあります。
その泥だらけの中から、一本の茎を伸ばし、水上に見事な花を咲かせます。
私たち日本の蓮を咲かせましょう。

 世の人は 我を何とも 言わばいえ
 我がなす事は 我のみぞ知る
   坂本龍馬

 身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも
 留め置かまし 大和魂
   吉田松陰

※この記事は2022年7月のねずブロ記事の再掲です。

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