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古代に学んだ信長の誇り
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1 織田弾正信長▼

織田信長《1534〜1582年》といえば、桶狭間の戦いのあと、次々と近隣の大名を抑えて国内の再統一を行い、長く続いた戦国時代を終わらせた人物として有名です。
信長といえば「天下布武」の言葉を標榜し、比叡山攻めや本願寺との戦いを通して仏教界から武装勢力の排除を図って仏敵、あるいは第六天の魔王などと呼ばれ、また豊臣秀吉が信長を怖ろしい武人として描いたことから、近年では強烈な個性を持った冷酷な武将と描かれます。

しかしその信長の足跡を見ると、実はある一つの理念につらぬかれたものであったことがわかります。
それが織田家が勝旗織田氏、別名「織田弾正」の家柄であったことです。

弾正(だんじょう)というのは、もともと8世紀における律令体制にあった天皇直下の機構です。
律令体制は、天皇直下に太政官、神祇官、弾正台の三つの役所が設けられましたが、この中で太政官は、政治上の様々な意思決定や国政の管理を行う役所です。そこで決められた新たな政策等は、たとえば新元号の制定なども、おおむね三日もあれば、全国津々浦々にまで浸透したといわれています。

どうして三日で全国に政策を示達できたのかというと、この役を担ったのが神祇官(じんぎかん)です。
神祇官は、天皇の祭祀を司るとともに、全国の神社の総元締め的な役割を果たしました。
そしてこの神祇官のもとに、全国の神社は天社(あまつやしろ)と呼ばれる後の官幣大社のような神社、その下に国単位に置かれた国社(くにつやしろ)、その下にいまでいう市町村ごとの神社である神地(かむどころ)、そして末端に、ご近所の氏神様である神戸(かむべ)が系列化されていました。

太政官で考察され、天皇の勅許を得た示達は、こうして神祇官の所轄する全国の神社のネットワークを経て、またたく間に全国津々浦々にまで示達されていたのです。
おもしろいことにこのネットワークは、示達された結果について、民衆がどのようにこれを受け止めているか、また政策の実施状況がどうなっているのか等について、やはり神社のネットワークを通じて、今度は下から上に情報が伝達されていました。
そして全国の民の声は、最終的に天皇直下の神祇伯を通じて、天皇に上奏される仕組みになっていたわけです。

この下から上の情報ルートは、神社とは別に太政官が主催した国司のルートからも上奏される仕組みになっていました。
つまり、下から上への情報ルートは、二重に確保されていたわけで、これによって民意が常に国家最高権威にまで伝えられる仕組みになっていたわけです。

ところが、そうした情報ルートも、あるいは政策的意思決定機関も、内部が腐ってしまっていては、まったく意味を持ちません。
そこで設置されていたのが弾正台(だんじょうだい)です。

2 桶狭間の戦いの意味▼

弾正台は、天皇直下にあって、太政官や神祇官の高官で不忠を働くもの、あるいは私腹を肥やして民生を省(かえり)みない者がいた場合、問答無用で斬捨御免の権能を与えられていました。
つまり弾正台は、政治家や行政機関だけを対象とした警察機構であったわけです。《民間に関する警察機能は別に太政官の中の刑部省に設けられました。》

おもしろいもので、我が国の歴史を通じて、この弾正台が不正を働いた官僚や政治家を一刀両断のもとに斬り倒したという事例はありません。
だから「弾正台が形式的に置かれていたが、まったく機能しなかった」という先生もおいでになりますが、そうではなくて、弾正台という重石(おもし)があったからこそ、弾正台が刃を振るうことがなかったのです。
刃(やいば)は振るうことより、振るわずに抑えるところに意味があります。
それが我が国の歴史であり、我が国の考え方です。

その弾正が唯一(ゆいいつ)我が国の歴史の中で機能した事例が、織田信長の桶狭間の戦いです。
信長のいる尾張国に攻め込もうとした今川義元の今川家は、赤穂浪士で有名になった吉良家の分家です。
その吉良家は、もともと足利一族の分家です。
つまり今川氏は、足利家の分家のさらに分家という位置にありました。
その今川氏が、天下を狙って上洛しようというわけです。

家格からすれば、これは許されるべきものではありません。
ということは、弾正の家柄を持つ織田家としては、これをみすみす見過ごすわけにいかない。
たとえ相手が強大な武力を持っていようと、これを打ち倒すのが弾正の名を受け継ぐ織田弾正家の使命であり誇りです。
そもそも弾正は、相手が強大であるとか、政治権力を持つとか、そういうこととは関係なしに正義を貫くのが役割だからです。

職業の誇りというものは、人に勇気と知恵を与えます。
刑事さんがどんな悪党の巣窟であっても、そこに出かけていくし、悪と対峙するのと同じです。
主君である信長が、弾正としての職責を果たすとなれば、先祖代々織田家に仕えてきた家臣一同も奮い立ちます。いまこそ織田弾正の家に生まれた先祖伝来の使命を果たすときなのです。

だから信長は、いざ出陣という前に、謡曲の「敦盛(あつもり)」を舞ったのです。
「敦盛」は、源平合戦の折りの一ノ谷の戦いで、平清盛の甥の平敦盛が、退却に際して青葉の笛の「小竹」を持ち出し忘れたことに気付き、これを取りに戻ったところを源氏方の熊谷直実(くまがいなおざね)に呼び止められ、一騎打ちを挑まれる。
相手にしないで逃げようとする敦盛に、熊谷直実は「兵に命じて矢を放つ」と威迫(いはく)します。
多勢に無勢、雑兵に矢を射られて死ぬくらいならと、一騎討ちに応じるけれど、百戦錬磨の直実に、熱盛は簡単に組み伏せられてしまう。
直実が、頸(くび)をはねようと組み伏せた相手顔を見ると、まだ元服も間もない紅顔の若武者です。

 人間五十年 化天(げてん)のうちを比(くら)ぶれば
 夢幻(ゆめまぼろし)の如(ごと)くなり
 一度(ひとたび)生(しょう)を享(う)け
 滅せぬもののあるべきか

どうせ一度は死ぬ命。
たとえ負けるとわかっていても、武士ならば堂々と戦って死のうという決意が、この敦盛に象徴されているわけです。

覚悟を決めた信長は、同じく主君とともに討ち死にの覚悟を決めた二千の手勢を率いて、桶狭間で今川義元の本陣を急襲して、見事、義元の頸(くび)をあげる。
こうして信長は、まさに弾正としての職責をまっとうしたのです。

3 桶狭間効果▼

こうして律令時代から続く武門の筋を通そうとする信長のもとには、全国から同じ志を持った優秀な部下たちが集まります。
それらの武士たちを養うためには、我が国史上初となる専業武士団を形成しなければならない。
そしてそのための費用を賄うために信長が行った財政政策が楽市楽座です。

そして先祖代々の弾正としての職責を象徴するのが、信長が用いた印に刻印された「天下布武」の朱印です。
天下布武は、よく中国の史書にある七徳の武の引用だといわれていますが、そればかりではありません。

「武」の訓読みは「たける」です。
「たける」とは、ゆがんだものを竹のように真っ直ぐにすることをいいます。
つまり「天下布武」とは、「天(あめ)の下に、たけるを布(し)く」、
もっと現代風にいうなら、「天下の歪(ゆが)みをまっすぐに正す」という意味の言葉です。
まさに織田弾正にふさわしい刻印だったわけです。

たとえば信長の生きた時代は、人倫を説き民衆の救済をすべき仏教が、僧兵を雇い、その武力にものを言わせて、あたかも国内の別勢力を形成していた時代です。
これを朝廷の傘下に戻し、仏教を仏教本来の民衆救済という本義に戻すためには、仏教勢力から武闘勢力を削そがなければなりません。

そこで信長が行ったのが、比叡山の焼き討ちであり、本願寺攻めです。
まさに「天下の歪みをまっすぐに正す」ためのものであったのです。
その証拠に信長は、比叡山も本願寺も仏教の本義を説く高僧たちを、まったく温存しています。

信長の逸話『信長公記』におもしろい話があります。
天正8年のこと、無辺(むへん)という僧侶が石馬寺に住み着いて、不思議な力を持つと人々の間で評判となったのだそうです。

信長が無辺を引見して出身地などいくつかの質問をすると、無辺がわざと不思議な答えをする。
そこで信長は、
「どこの生まれでもないということは、妖怪かもしれぬから、火であぶってみよう。」と、火の用意をさせます。
すると無辺が、今度は事実を正直に答えたという。
しかも無辺は信長の前で、不思議な霊験も示すことができなかったために、信長は、無辺の髪の毛をまばらにそぎ落とし、裸にして縄で縛って町に放り出して追放しました。

ところが、追放後も無辺は、迷信を利用して女性に淫らな行いを繰り返していたことが判明し、ついに信長は無辺を逮捕し処刑させています。
信仰の名のもとに人を騙し、あるいは女淫にまみれるなど、もってのほか、ということです。
ここでも弾正信長の本領がいかんなく発揮されています。

要するに信長は、我が国の歴史と文化を古典に学び、そこから我が国の国民精神を得るとともに、みずからが弾正の家系であるという誇りを大切に生涯を貫いているのです。
歴史伝統文化を古典に学ぶことは、誇りを育むということです。

そして誇りを育むということは、国民精神を身にまとうということです。
これを英語でかっこよく言ったら、アイデンティティを得るということになります。

いま日本人に不足していること。
それこそが国民精神です。その国民精神の復活には、現状の時事問題に右往左往するのではなく、我々自身が古典を学び、古典に書かれた歴史伝統文化の精神の再確認が必要であると思うのですが、みなさんはいかがでしょうか。

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